お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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パチンコ台の廃棄場か2004/03/03

 湖西バイパスを雄琴から降りて、山手にむかうとすぐに草に隠れて、廃棄物の山があることに気づきます。
 県は持ち去るように指導しているそうですが、持ち主は東南アジア(?)にパチンコ台を輸出するために置いているだけといっているそうですが。
ほんとうのところは、わかりません。
 いずれにしても、街の風景は、全体にかかわることです。持ち主の勝手というわけにはゆかないと思います。

わが家も小学校との別れ2004/03/19

ニ男のHくんもついに小学校生活にピリオドを打ちます。
卒業式の緊張がほぐれ、
クラスのみんなや担任の先生と記念撮影。

これから競争社会の波にもまれていくことを
考えながら、素直に「みんながんばれ」といって
やりたいと思いました。

淡路島へ卒業旅行2004/03/29

息子のH君が小学校を無事卒業。おめでとう! ということで、卒業旅行に出かけることにしました。

2年年上のK君の卒業旅行は、沖縄でした。 ↓ http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/25/1604950

今回は、私の時間がとれなくて、近場(淡路島)で我慢してくれました。 夕方から車を飛ばして、淡路島に向かいました。 名神高速道路、中国自動車道、山陽自動車道、神戸淡路鳴門自動車道を通り、垂水インターから、舞子トンネルへ。そこを抜けたとたん、明石海峡大橋が闇のなかに幻想的な光の中に浮かびました。私とカミさんは感動の声をあげました。残念ながら、眠っていた子どもたちは、見ることができませんでした。  橋を過ぎるとすぐに、街中へ。淡路町の小さなホテルにチェックインしました。私たちにとっては、豪華は食事をとりました。  朝起きると、そこは漁港でした。

淡路港のフェリー乗り場2004/03/30

 淡路町漁港は、フェリーの発着点。明石海峡大橋ができてからは、お客も少なくなったと思います。フェリー乗り場の駐車場は広くて、かつての賑やかさが想像できます。
 そうこうするうちに、フェリーが入港してきました。

やっぱり、タコなんだ、フェリーも2004/03/30

淡路港に入ってきたフェリー船を見て、その大胆な絵柄に圧倒されました。タコ!そうか、タコフェリーなんだ。

淡路漁港から明石海峡大橋がよく見えました2004/03/30

家族そろって朝の港に出ました(3月28日)。漁港を回って、フェリーの入港や巨大な明石海峡大橋を眺めていました。これから、その明石海峡大橋の橋梁の土台をぜひ見たいと思いました。遠くから見ても、その異様な巨大さがわかります。

明石海峡大橋の美しさ2004/03/30

巨大な明石大橋ですが、じっと見ているうちに美しいと思いました。
幾何学的な美というのでしょうか。

明石海峡大橋の基礎の巨大さ2004/03/31

つり橋を支える巨大な基礎。正確な名称は忘れてしまいました。
この巨大さを写真に撮るために、K君にその前に立ってもらいました。
さて、K君が見えるでしょうか?
(拡大機能をぜひ使って探してください)

野島断層博物館に行きました ①2004/03/31

北淡町震災記念公園 野島断層保存館といのが、正式名称でしょうか。
断層をまるごと保存しているのは、リアルに地震の大きさを実感できて
いいと思いました。

野島断層博物館に行きました ②断層そのもの2004/03/31

断層そのものが保存されていました。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)