お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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目片信市長が合併問題で方針転換を表明2004/12/07

 合併問題で急展開が起こりました。この転換によって、志賀町でたたかわれている大型産廃処理施設白紙撤回の運動に新たな障害と志賀町そのもののあり方に重大な危機が生まれることになります。
 以下、BBCの報道から。

大津市長が表明 「志賀町と法定期限内に合併目指す」
2004年12月06日(月)

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大津市の目片信市長はきょう、志賀町と「法定期限内での合併を目指す」ことを表明し、合併への前向きな姿勢を初めて明らかにしました。これはきょうの記者会見の中で目片市長が明らかにしたもので、懸案だった志賀町との合併について、すでに志賀町議会から合併に向け要望書が提出されていること、また志賀町の後藤又久町長から正式に大津市への編入合併を求める文書がきょう付けで大津市に提出されたことから、目片市長が来年3月末の合併特例法の法定期限内での合併申請を目指すことを明らかにしたものです。県の市町村振興課によりますと、合併特例法の適応を受けるためには来年3月末までに県への合併申請を終えることが条件だということで、大津市では任意の協議会を今月中にも開き、期限内での申請を目指すということです。なお目片市長の発言を受け、志賀町の後藤町長は「合併について積極的な発言を頂いたということを聞き、大変ありがたいと思っている」とコメントしています。

平和講演会(高島郡)2004/12/08

12月8日に、平和講演会に行ってきました。
 高島郡は、自衛隊のあいば野演習場がありますので、戦争と平和をめぐる問題は、日常生活にむすびついています。日米合同訓練による被害など基地問題がありますし、逆に基地をおいているからこその国からの利益誘導もあります。自衛隊員と家族も住んでいますから、事は単純ではありません。
 平和への熱い思いと京都での九条の会での活動などを知ることができて、私には有益な集いでした。
 招いていただいたことに感謝します。

高島総合病院 現地での存続の願い2004/12/23

それぞれの公立病院には歴史があります。
それは、お上の命令や都合によってできるのではなく、医療の充実を願う住民の力によって作り上げられてくるのです。
この高島総合病院もそういう歴史をもっています。

町長、町議会、医療関係者、住民の努力によって、総合病院としての発展の歩みを築いてきました。
そのお話をナマで聞くにつけ、現地での存続を願う運動に共感を覚えるのです。しかし、高島郡の6町村の合併が現実のものとなるにつれ、問題は単純にはゆかないことが明らかとなってきました。
 その道行きを私も関心をもって見つめていきたいと思います。

滋賀・九条の会が発足しました2004/12/31

「滋賀・九条の会」福家俊明・三井寺長吏、山田耕三郎・元参議院議員ら33氏がよびかけ人となって結成されました。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)