
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
ヴェニスのゴンドラの歌 ― 2005/09/24

メンデルスゾーンの 無言歌集作品19の6 ト短調で「ヴェニスのゴンドラの歌」
波のようなリズムのうえを、 憂いのあるメロディが 流れていく・・・ご存知でしょうか?
《SVIATOSLAV RICHTER Archives Vol.6 DHR-7766》
これは、1972年、ハンガリーでの スビャトスラフ・リヒテルのライヴ録音。
このなかに、この曲があります。
そこでは、心地よいリズムにのった愛らしい曲が、
もっと秘めやかなものに変わっていました。
聴いた私の胸にわきおこってきた感情を なんて名づけたらいいのでしょうか。
この物憂さはなんでしょう・・・
遠いものへのあこがれ、
かなわぬ願い、
言葉では言い表せない切ない思いが
こみ上げてきます。
『ロシア文学案内』(岩波文庫 2004年)を読みはじめる ― 2005/09/25
●『ロシア文学案内』(岩波文庫 2004年)
ついさっきから、
読み始めたのですけれど、
思いがけない深い内容のために、
読み飛ばせず、座りなおして読んでいます。
「はじめに」と第一章だけ読み終わりました。
ロシア語を学んだものとしては、無知といわれれば
それまでのことなんですが、新鮮な気持ちで
受け止め、余韻を楽しんでいます。
一気に読めそうだと思っていたのは、ついさっきまでのこと。
●ロシア文学の急激な発展と魅力
最初に書かれていることは、
「ロシア文学は歴史の浅い、若い文学だ」ということです。
文学は文字で書かれなくてはなりませんから、
文字の導入が前提です。そうなると、10世紀以降。
つまり、1000年の歴史しかないことになり、
日本より若いのです。
同時に、19世紀で大きな発展を遂げます。
「十九世紀には、プーシキンやゴーゴリ、ツルゲーネフ、
トルストイ、ドストエフスキーらの名とともに、
世界文学の最高峰とさえ言われるようになります」
日本は明治から昭和期の日本の知識人が、これを
大きな驚きをもってむかえ、その生き方さえ変わる
ほどの影響力をもったのです。
ついでだから、ここで挙げられている名前をご紹介します。
□二葉亭四迷
□森鴎外
□内田魯庵
□有島武郎
□萩原朔太郎
□広津和郎
もちろん、この本でも、スペースがあれば、
また、影響をうけた日本人が主題ならば、
もっと挙げることはできるでしょうけど。
●本書の目的
それで、本書の書かれた目的として、以下のように
なっています。
『本書は、こうしたロシア文学の急激な発展と、大きな
魅力の秘密を解きあかすために、書かれました』
このあたりまでは、なんの抵抗もなく、読んでいたのです。
そりゃそうでしょうねと。
この先は、次にしますね。
ついさっきから、
読み始めたのですけれど、
思いがけない深い内容のために、
読み飛ばせず、座りなおして読んでいます。
「はじめに」と第一章だけ読み終わりました。
ロシア語を学んだものとしては、無知といわれれば
それまでのことなんですが、新鮮な気持ちで
受け止め、余韻を楽しんでいます。
一気に読めそうだと思っていたのは、ついさっきまでのこと。
●ロシア文学の急激な発展と魅力
最初に書かれていることは、
「ロシア文学は歴史の浅い、若い文学だ」ということです。
文学は文字で書かれなくてはなりませんから、
文字の導入が前提です。そうなると、10世紀以降。
つまり、1000年の歴史しかないことになり、
日本より若いのです。
同時に、19世紀で大きな発展を遂げます。
「十九世紀には、プーシキンやゴーゴリ、ツルゲーネフ、
トルストイ、ドストエフスキーらの名とともに、
世界文学の最高峰とさえ言われるようになります」
日本は明治から昭和期の日本の知識人が、これを
大きな驚きをもってむかえ、その生き方さえ変わる
ほどの影響力をもったのです。
ついでだから、ここで挙げられている名前をご紹介します。
□二葉亭四迷
□森鴎外
□内田魯庵
□有島武郎
□萩原朔太郎
□広津和郎
もちろん、この本でも、スペースがあれば、
また、影響をうけた日本人が主題ならば、
もっと挙げることはできるでしょうけど。
●本書の目的
それで、本書の書かれた目的として、以下のように
なっています。
『本書は、こうしたロシア文学の急激な発展と、大きな
魅力の秘密を解きあかすために、書かれました』
このあたりまでは、なんの抵抗もなく、読んでいたのです。
そりゃそうでしょうねと。
この先は、次にしますね。
町長さんのこだわりの一品 ― 2005/09/26

旧土山町をUさんに案内していただきました。
車で一周する間に、とてもなじみを感じるようになりました。
●たとえば、この一品。
車から写したのは、灯篭(とうろう)です。
旧土山町長さんは、これにこわだりをもっていたらしい。
ほうぼうに見つけることができます。
「こだわり」というのは、本人からすれば、納得なんでしょうけれど、
申し訳ありませんが、他人から見ると、「???」と
なる場合がよくあるのです。
●税金を使ってのこだわりは慎重に
前大津市長のY氏は、噴水に「こだわり」がありました。
私からすれば「???」でした。
車で一周する間に、とてもなじみを感じるようになりました。
●たとえば、この一品。
車から写したのは、灯篭(とうろう)です。
旧土山町長さんは、これにこわだりをもっていたらしい。
ほうぼうに見つけることができます。
「こだわり」というのは、本人からすれば、納得なんでしょうけれど、
申し訳ありませんが、他人から見ると、「???」と
なる場合がよくあるのです。
●税金を使ってのこだわりは慎重に
前大津市長のY氏は、噴水に「こだわり」がありました。
私からすれば「???」でした。
土山で出合ったネコさんたち ① シロクロくん ― 2005/09/27

土山町で出あったネコさん。
シロクロですね。
当然、初対面です。
ゆっくり接近したので、
どのタイミングで逃げようかと
緊張した一瞬が写っていますね。
このタイミングをはずすともう写すことは困難です。
シロクロですね。
当然、初対面です。
ゆっくり接近したので、
どのタイミングで逃げようかと
緊張した一瞬が写っていますね。
このタイミングをはずすともう写すことは困難です。
土山で出合ったネコさんたち ② 茶にクロのネコさん ― 2005/09/28

9月27日に出あったネコさんは、2匹でした。
シロとクロのまじったネコさん(①)と
このうす茶色がまじったネコさん。
うす茶色の地だけど、黒が効果的に
使われて、個性的なお顔になっている。
近づいても、堂々と寝転んだまま。
まあ、ネコさんの地元ですから、
よそ者に怖気づく必要はないですわねぇ。
シロとクロのまじったネコさん(①)と
このうす茶色がまじったネコさん。
うす茶色の地だけど、黒が効果的に
使われて、個性的なお顔になっている。
近づいても、堂々と寝転んだまま。
まあ、ネコさんの地元ですから、
よそ者に怖気づく必要はないですわねぇ。
土山で出あったネコさんたち ③ お友だちだったんですね ― 2005/09/29

土山町でであった二匹のネコさんは、
遠くで見ていると、お友だちである様子。
うす茶のネコさんのところへ、
シロクロのネコさんが近づいていって、毛づくろい。
友だちはいいものですね(笑)
見ていてなごみます。
遠くで見ていると、お友だちである様子。
うす茶のネコさんのところへ、
シロクロのネコさんが近づいていって、毛づくろい。
友だちはいいものですね(笑)
見ていてなごみます。
美術館「駅」KYOTOのシャガール展にいってきました ― 2005/09/30

最終日での駆け込み鑑賞でした
●赤くも青くもないシャガールもありました
1950年代以降の、赤もしくは青を基調にした
シャガールの絵が並ぶなか、異色の絵がありました。
1914年の絵です。
今回の展覧作品をあつめたパンフがないので、
いただいた作品リストで確認すると、
《わが村(夕べの通り)》 というタイトル。
インク・グワッシュ/厚紙に張った絵
基調は黒もしくはくすんだ灰色です。
もうひとつ。
《ヴィテプスクの上空で》
グワッシュ・水彩/カミ
基調は、灰色がかった薄茶色もしくは茶色。
一周して、全体がわかったので、もう一度
そこに戻りました。
なぜかというと、1910年代はこれだけ。
1920年代も30年代も40年代もありません。
二つの絵のところは、あまり人が立ちどまらない様子。
そこでじっと見ると、ロシア語の文字を見つけました。
ДОМ ЗАЛ (=集会所)と旧字体で書いてありました。
その下に、シャガールという名前がありましたが、
これはロシア文字ではありませんでした。
私には、この二つの絵から、いわゆるシャガールの絵に
どのように変貌していったのかという点に
興味を惹かれましたが、その間の展示物を
見ることはできませんでした。
そこを離れて別のところへいこうとすると
比較的年配の女性と比較的お若い女性が
顔を寄せて、その絵を見始めました。
なにか盛んに話しておられます。
そして、ロシア語とその意味を
説明されている声が聞こえました。
●すばらしい挿絵画家としてのシャガール
シャガールの挿絵が並んでいました。
ダフネスとクローエ。
私には、この連作がとてもとても気に入りました。
●赤くも青くもないシャガールもありました
1950年代以降の、赤もしくは青を基調にした
シャガールの絵が並ぶなか、異色の絵がありました。
1914年の絵です。
今回の展覧作品をあつめたパンフがないので、
いただいた作品リストで確認すると、
《わが村(夕べの通り)》 というタイトル。
インク・グワッシュ/厚紙に張った絵
基調は黒もしくはくすんだ灰色です。
もうひとつ。
《ヴィテプスクの上空で》
グワッシュ・水彩/カミ
基調は、灰色がかった薄茶色もしくは茶色。
一周して、全体がわかったので、もう一度
そこに戻りました。
なぜかというと、1910年代はこれだけ。
1920年代も30年代も40年代もありません。
二つの絵のところは、あまり人が立ちどまらない様子。
そこでじっと見ると、ロシア語の文字を見つけました。
ДОМ ЗАЛ (=集会所)と旧字体で書いてありました。
その下に、シャガールという名前がありましたが、
これはロシア文字ではありませんでした。
私には、この二つの絵から、いわゆるシャガールの絵に
どのように変貌していったのかという点に
興味を惹かれましたが、その間の展示物を
見ることはできませんでした。
そこを離れて別のところへいこうとすると
比較的年配の女性と比較的お若い女性が
顔を寄せて、その絵を見始めました。
なにか盛んに話しておられます。
そして、ロシア語とその意味を
説明されている声が聞こえました。
●すばらしい挿絵画家としてのシャガール
シャガールの挿絵が並んでいました。
ダフネスとクローエ。
私には、この連作がとてもとても気に入りました。

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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