
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
梯剛之さんのシューベルト ― 2007/04/30

●コンサート嫌いかな?
私は、10代からのクラシックファン。
大学ではまともに弾けないのに、オーケストラ(その当時は「アンサンブル」)に参加もしていました。しかし、学生のときは金欠で、、ほとんどコンサートには、足を運ぶことができませんでした。
勤務しはじめてからは、予約しても、仕事の日程がつまってきて、結局、ムダになるのが見えていましたから、あきらめていたのです。あきらめから無関心に、無関心から(コンサートには価値がない!などと)居直りになりがちでした。
数年前に、自宅から(職場からも)車で5分の距離に(歩いてもいける距離です)「びわこホール」が出来て、少し条件が変わってきました。ぎりぎりまで仕事をしていても間に合うからです。しかし、条件が変わったのに、この会場でコンサートを聴いたのは、今回を除くと一度きりでした。
びわこホールの公式サイト
http://www.biwako-hall.or.jp/index.html
●カミさんがプレゼントしてくれたコンサート
見たいオペラや聴きたいコンサートがあっても、じっと我慢の私でしたが、音楽好きは変えられず、せっせとアリさんのようにCDを集めて聴いていました。果ては、超素人なのに、HPまで立ち上げる始末(笑)。
2つの部屋にまたがってあふれているCDやじっと音楽に耳をすます私を、カミさんはどういう目で見ていたのでしょうか。ちなみにカミさんはクラシックのファンではありません。
そうこうするうちに、子どもの同級生のお母さんから誘いを受けて、クラッシックのコンサートに、カミさんの方が出かけるようになりました。「あなたもいかない?」といわれても、仕事の事情もありますし、嫉妬もあって、断るばかりでした。
数ヶ月前に、カミさんが、あるコンサートのことを持ち出しました。仕事の区切りがつく4月末のことでしたから、あまりモノを考えず反射的に「いきます」と返事をしました。素直な返事ははじめてのことでした。4月の始めに、私は突然倒れて、一時入院するはめになりました。4日間で立ち直って仕事に復帰するとともに、無事、コンサートに出かけることができました。
それが、梯剛之さんのピアノ・リサイタル。
●梯剛之さん
バッハ(フランス組曲)とモーツァルト(K570)は梯さんの澄み切った音色に心をひかれました。しかし、どこまでも同じ澄み切った水面・・・うまくいえないけれど、人間的ではあるけれど、どこかきれいすぎるもの、客観的すぎるものを感じたのです。
メインのベートーヴェンのアパッショナータは、テンポのせいもあるのでしょうけれど、緊張感がうすいように思え、曲と演奏の間に違和感がありました。会場でカミさんが買ったCDをあとからきくとそんなことはなかったのですけれど・・・。
シューベルトの即興曲は、ちがいました。
前のめりの演奏のなかに、梯さんの感情が解き放たれた感じがしたのです。ミューズが降り立った・・・演奏でした。
後日、他の方が、この日のコンサートのことをお書きになったものを読みました。そして、このような感想をもたれた方がほかにもいらっしゃることを知り、うれしく思いました。
梯剛之さんは全盲の方です。それで、会場への登場も、サイン会も、小柄なお母さんが付き添われていました。中越地震の被災者を慰問するコンサートを学校の体育館で行うなどの活動もされています。
■梯さんのHP
http://www.kakehashi-takeshi.com/
最後に、カミさんにあらためて感謝したいと思います。また、誘って下さい。よろしく。
私は、10代からのクラシックファン。
大学ではまともに弾けないのに、オーケストラ(その当時は「アンサンブル」)に参加もしていました。しかし、学生のときは金欠で、、ほとんどコンサートには、足を運ぶことができませんでした。
勤務しはじめてからは、予約しても、仕事の日程がつまってきて、結局、ムダになるのが見えていましたから、あきらめていたのです。あきらめから無関心に、無関心から(コンサートには価値がない!などと)居直りになりがちでした。
数年前に、自宅から(職場からも)車で5分の距離に(歩いてもいける距離です)「びわこホール」が出来て、少し条件が変わってきました。ぎりぎりまで仕事をしていても間に合うからです。しかし、条件が変わったのに、この会場でコンサートを聴いたのは、今回を除くと一度きりでした。
びわこホールの公式サイト
http://www.biwako-hall.or.jp/index.html
●カミさんがプレゼントしてくれたコンサート
見たいオペラや聴きたいコンサートがあっても、じっと我慢の私でしたが、音楽好きは変えられず、せっせとアリさんのようにCDを集めて聴いていました。果ては、超素人なのに、HPまで立ち上げる始末(笑)。
2つの部屋にまたがってあふれているCDやじっと音楽に耳をすます私を、カミさんはどういう目で見ていたのでしょうか。ちなみにカミさんはクラシックのファンではありません。
そうこうするうちに、子どもの同級生のお母さんから誘いを受けて、クラッシックのコンサートに、カミさんの方が出かけるようになりました。「あなたもいかない?」といわれても、仕事の事情もありますし、嫉妬もあって、断るばかりでした。
数ヶ月前に、カミさんが、あるコンサートのことを持ち出しました。仕事の区切りがつく4月末のことでしたから、あまりモノを考えず反射的に「いきます」と返事をしました。素直な返事ははじめてのことでした。4月の始めに、私は突然倒れて、一時入院するはめになりました。4日間で立ち直って仕事に復帰するとともに、無事、コンサートに出かけることができました。
それが、梯剛之さんのピアノ・リサイタル。
●梯剛之さん
バッハ(フランス組曲)とモーツァルト(K570)は梯さんの澄み切った音色に心をひかれました。しかし、どこまでも同じ澄み切った水面・・・うまくいえないけれど、人間的ではあるけれど、どこかきれいすぎるもの、客観的すぎるものを感じたのです。
メインのベートーヴェンのアパッショナータは、テンポのせいもあるのでしょうけれど、緊張感がうすいように思え、曲と演奏の間に違和感がありました。会場でカミさんが買ったCDをあとからきくとそんなことはなかったのですけれど・・・。
シューベルトの即興曲は、ちがいました。
前のめりの演奏のなかに、梯さんの感情が解き放たれた感じがしたのです。ミューズが降り立った・・・演奏でした。
後日、他の方が、この日のコンサートのことをお書きになったものを読みました。そして、このような感想をもたれた方がほかにもいらっしゃることを知り、うれしく思いました。
梯剛之さんは全盲の方です。それで、会場への登場も、サイン会も、小柄なお母さんが付き添われていました。中越地震の被災者を慰問するコンサートを学校の体育館で行うなどの活動もされています。
■梯さんのHP
http://www.kakehashi-takeshi.com/
最後に、カミさんにあらためて感謝したいと思います。また、誘って下さい。よろしく。
産経新聞の記事 : 大和ハウス、大津に複合商業施設 ― 2007/04/30
産経新聞が、大和ハウスの複合商業施設建設計画について
報道した記事があります。
************************
大和ハウス、大津に複合商業施設
大手住宅メーカー「大和ハウス工業」(大阪市)が、大津市一里山の国道1号近くに、スーパーや飲食店など約100店舗が入る大規模な複合商業施設の建設を計画していることが分かった。来年秋にオープンの予定で、地域の活性化の起爆剤となりそうだ。
同社によると、施設はヤンマーの研修所跡地約15万平方メートルに建設。建物の敷地面積は約6万平方メートルで、売り場面積は約2万平方メートルを予定。大型ショッピングスーパーを核に大型書店やスポーツ店、飲食店、衣料品店など約100のテナントが入り、約1800台の駐車場と約700台の駐輪場も設ける。
今年1月中旬に大津市の開発許可を得て、現在はスーパーをはじめテナント誘致の交渉中。10月にも着工するという。
同社は「計画している土地は、京滋バイパスや名神高速など幹線道路に恵まれ、広域からのアクセスが可能。一帯は大阪や京都方面への通勤者が多く住む都心のベッドタウンで、大学などもあり、学生ら若者も多く住む」といい、集客に期待している。
隣接する草津市にはイオンが複合商業施設の出店を計画しており、今後は郊外型の大型店同士の競争がますます激しくなりそうだ。
(2007/04/27 03:16)
報道した記事があります。
************************
大和ハウス、大津に複合商業施設
大手住宅メーカー「大和ハウス工業」(大阪市)が、大津市一里山の国道1号近くに、スーパーや飲食店など約100店舗が入る大規模な複合商業施設の建設を計画していることが分かった。来年秋にオープンの予定で、地域の活性化の起爆剤となりそうだ。
同社によると、施設はヤンマーの研修所跡地約15万平方メートルに建設。建物の敷地面積は約6万平方メートルで、売り場面積は約2万平方メートルを予定。大型ショッピングスーパーを核に大型書店やスポーツ店、飲食店、衣料品店など約100のテナントが入り、約1800台の駐車場と約700台の駐輪場も設ける。
今年1月中旬に大津市の開発許可を得て、現在はスーパーをはじめテナント誘致の交渉中。10月にも着工するという。
同社は「計画している土地は、京滋バイパスや名神高速など幹線道路に恵まれ、広域からのアクセスが可能。一帯は大阪や京都方面への通勤者が多く住む都心のベッドタウンで、大学などもあり、学生ら若者も多く住む」といい、集客に期待している。
隣接する草津市にはイオンが複合商業施設の出店を計画しており、今後は郊外型の大型店同士の競争がますます激しくなりそうだ。
(2007/04/27 03:16)

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
最近のコメント