お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
ホームレス3ヶ月という・・ ― 2007/06/03
ホームレスの方から生活相談をうける。
30代前半の男性だが、仕事を失って3ヶ月目。
自宅はなく、車の中で生活をしているとのこと。
車はガソリンを買えず、バッテリーが上がっているので、
家の代わりにそこで住んでいるという。
とりあえず、仕事を探してあげようと思うが、
簡単に見つかるものではない。
生きることをあきらめないこと・・・それしかいえない。
30代前半の男性だが、仕事を失って3ヶ月目。
自宅はなく、車の中で生活をしているとのこと。
車はガソリンを買えず、バッテリーが上がっているので、
家の代わりにそこで住んでいるという。
とりあえず、仕事を探してあげようと思うが、
簡単に見つかるものではない。
生きることをあきらめないこと・・・それしかいえない。
安倍首相が嘉田知事と琵琶湖視察 ― 2007/06/03
《来月の参院選に向けた地方遊説の一環として、2日に来県した安倍晋三首相。自民党環境部会長の現職、山下英利氏(54)や環境社会学者の嘉田由紀子知事とともに琵琶湖などを視察し、環境重視の姿勢をアピールしたほか、県議選で「知事の抵抗勢力」とされたイメージを転換し、嘉田知事と自民との“融和”ムードを演出した。》という報道。
「ヤンバルの森」に ― 2007/06/03
ばるタン様
「ヤンバルの森」を読みました。平良夏芽さんのメッセージも読みました。
それで、わたしからもメッセージを書こうと思ったのです。
●沖縄は二度
私は、二度、沖縄におじゃましています。
一度目は、1995年。あの9月4日の事件の直後です。
あらためて沖縄のおかれている地位に驚き、この眼で見て、そして抗議の意思を示したかったからです。
そのときは、名護市に一泊したと思います。
二度目は、2002年。長男の中学卒業記念に沖縄の戦跡を訪れることにしたのです。95年のときの体験をひきつぎたいと思ったからです。
●都市型訓練施設
そういうことを思い出しながら、「ヤンバルの森」を読んでいました。
そして、『金武町に「都市型実弾訓練場」・・・』という文章にいたったときに、心に強く響くものがありました。
1995年の訪問のときは、金武町の町長さんから親しくお話を聞くことができたということもあります。
しかし主には「都市型訓練施設」という言葉に強く反応したのです。
●あいば野演習場
滋賀県には、ご存知ないかも知れませんが、あいば野演習場があります。近畿では珍しい米軍との共同訓練場です。そこに、「都市型訓練施設が」建設されました。それは、さらに予算をかけて増設されていますが、私はこれを直接見る機会を与えられました。
こちらは、実弾演習ではありません。ハイテク設備による模擬訓練です。
しかし、私の郷土の問題と沖縄の問題の結びつきを知った時に、このメッセージを書きたいと思ったのです。
●異常は異常としてどこまでも
私は異常なものはいつまでも異常なものとして感じるべきだと思うし、正常なものに変えさせてはならないと思います。そのためには、抗議しつづけることが不可欠です。それをやめたとき、心のなかに、なにかが変容してしまうのだと思います。
この点で、平良夏芽さんのメッセージには強く打たれました。
なにかまとまらないことを書いています。
沖縄以外の土地からの共感の声として読んでいただければうれしいです。
「ヤンバルの森」を読みました。平良夏芽さんのメッセージも読みました。
それで、わたしからもメッセージを書こうと思ったのです。
●沖縄は二度
私は、二度、沖縄におじゃましています。
一度目は、1995年。あの9月4日の事件の直後です。
あらためて沖縄のおかれている地位に驚き、この眼で見て、そして抗議の意思を示したかったからです。
そのときは、名護市に一泊したと思います。
二度目は、2002年。長男の中学卒業記念に沖縄の戦跡を訪れることにしたのです。95年のときの体験をひきつぎたいと思ったからです。
●都市型訓練施設
そういうことを思い出しながら、「ヤンバルの森」を読んでいました。
そして、『金武町に「都市型実弾訓練場」・・・』という文章にいたったときに、心に強く響くものがありました。
1995年の訪問のときは、金武町の町長さんから親しくお話を聞くことができたということもあります。
しかし主には「都市型訓練施設」という言葉に強く反応したのです。
●あいば野演習場
滋賀県には、ご存知ないかも知れませんが、あいば野演習場があります。近畿では珍しい米軍との共同訓練場です。そこに、「都市型訓練施設が」建設されました。それは、さらに予算をかけて増設されていますが、私はこれを直接見る機会を与えられました。
こちらは、実弾演習ではありません。ハイテク設備による模擬訓練です。
しかし、私の郷土の問題と沖縄の問題の結びつきを知った時に、このメッセージを書きたいと思ったのです。
●異常は異常としてどこまでも
私は異常なものはいつまでも異常なものとして感じるべきだと思うし、正常なものに変えさせてはならないと思います。そのためには、抗議しつづけることが不可欠です。それをやめたとき、心のなかに、なにかが変容してしまうのだと思います。
この点で、平良夏芽さんのメッセージには強く打たれました。
なにかまとまらないことを書いています。
沖縄以外の土地からの共感の声として読んでいただければうれしいです。
ネコという名のオットセイ飼っています ― 2007/06/03
ネコという名のオットセイがこの地上にいる。
ほかならぬわが家にである。
・・・そういいたくなるのだ。
いつのまにか、太りに太って10キログラム。
減量してもなお、9キログラム弱。
胴体にくらべて、足がちいさく感じるあたりが、
そっくり。
でも・・・かわいいのだ。
もしかして、オットセイというよりは、トドかも知れない。
ほかならぬわが家にである。
・・・そういいたくなるのだ。
いつのまにか、太りに太って10キログラム。
減量してもなお、9キログラム弱。
胴体にくらべて、足がちいさく感じるあたりが、
そっくり。
でも・・・かわいいのだ。
もしかして、オットセイというよりは、トドかも知れない。
ガソリン上がれば豆腐が食卓から遠ざかる? ― 2007/06/03
庶民の安価で大切なタンパク源
それは、トウフ。
近所にもトウフ屋さんがあって毎日製造中。
わが家の冷蔵庫をゴソゴソ探すと、ちゃんとあるのがトウフ。
しかし、心配事がでてきました。
値上げはガソリンにとどまらないからです。
石油の値上がり
↓
バイオ燃料への期待
↓
とうもろこしや大豆の値上がり
↓
トウフの値上がり
そうなると庶民が今までのようい気軽にトウフを食べられません。
はたしてどうなんでしょうか?
それは、トウフ。
近所にもトウフ屋さんがあって毎日製造中。
わが家の冷蔵庫をゴソゴソ探すと、ちゃんとあるのがトウフ。
しかし、心配事がでてきました。
値上げはガソリンにとどまらないからです。
石油の値上がり
↓
バイオ燃料への期待
↓
とうもろこしや大豆の値上がり
↓
トウフの値上がり
そうなると庶民が今までのようい気軽にトウフを食べられません。
はたしてどうなんでしょうか?
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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