お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
体を張った鈍角のたたかいに ― 2007/06/09
沖縄から届いたビデオを見させていただきました。
TVが制作した映像なんですね。
体を張っての行動に息を呑みました。
たまのニュースで知る程度でしたので、
ここまで緊迫した日々をすごされているとは
知る由もありませんでした。
一度目は、一人で見て、
二度目は、家族と見ました。
胸があつくなるととともに、
自分自身に問いかけるものも多くありました。
三度目に沖縄に行く時は、
辺野古のテントによらせていただきます。
TVが制作した映像なんですね。
体を張っての行動に息を呑みました。
たまのニュースで知る程度でしたので、
ここまで緊迫した日々をすごされているとは
知る由もありませんでした。
一度目は、一人で見て、
二度目は、家族と見ました。
胸があつくなるととともに、
自分自身に問いかけるものも多くありました。
三度目に沖縄に行く時は、
辺野古のテントによらせていただきます。
自衛隊が国民を監視Ⅱ : 「朝日新聞」社説をメモに ― 2007/06/09
自衛隊のあり方をめぐる最近の重大事件は、
国民を監視下においていた事実を示す内部文書の暴露でした。
それをマスコミはどう報道したのか、注目されます。
朝日新聞の社説は以下のとおりでした。
●6月7日付け 朝日新聞社説
情報保全隊―自衛隊は国民を監視するのか
自衛隊は国民を守るためにあるのか、それとも国民を監視するためにあるのか。そんな疑問すら抱きたくなるような文書の存在が明らかになった。
「イラク自衛隊派遣に対する国内勢力の反対動向」と「情報資料」というタイトルに、それぞれ「情報保全隊」「東北方面情報保全隊長」と印刷されている。文書は全部で166ページに及ぶ。共産党が「自衛隊関係者」から入手したとして発表した。
久間防衛相は文書が本物であるか確認することを拒んだが、この隊がそうした調査をしたことは認めた。文書の形式やその詳細な内容から見て、自衛隊の内部文書である可能性は極めて高い。
■何のための調査か
明らかになった文書の調査対象は03年から04年にかけてで、自衛隊のイラク派遣への反対活動ばかりでなく、医療費の負担増や年金改革をテーマとする団体も含まれている。対象は41都道府県の290以上の団体や個人に及んでいる。
文書には映画監督の山田洋次氏ら著名人、国会議員、地方議員、仏教やキリスト教などの宗教団体も登場する。報道機関や高校生の反戦グループ、日本国内のイスラム教徒も対象となっていた。
自衛隊のイラク派遣は国論を二分する大きな出来事だった。自衛隊が世論の動向に敏感なのは当然のことで、情報収集そのものを否定する理由はない。
しかし、文書に記されているのは、個々の活動や集会の参加人数から、時刻、スピーチの内容まで克明だ。団体や集会ごとに政党色で分類し、「反自衛隊活動」という項目もある。
これは単なる情報収集とはいえない。自衛隊のイラク派遣を批判する人を頭から危険な存在とみなし、活動を監視しているかのようである。
■「反自衛隊」のレッテル
文書によると、調査をしたのは陸上自衛隊の情報保全隊だ。保全隊は03年にそれまでの「調査隊」を再編・強化してつくられた。陸海空の3自衛隊に置かれ、総員は約900人にのぼる。
情報保全隊の任務は「自衛隊の機密情報の保護と漏洩(ろうえい)の防止」と説明されてきた。ところが、その組織が国民を幅広く調査の対象にしていたのだ。明らかに任務の逸脱である。
防衛庁時代の02年、自衛隊について情報公開を請求した人々のリストをひそかに作り、内部で閲覧していたことが発覚した。官房長を更迭するなど関係者を処分したが、その教訓は無視された。
調査の対象には共産党だけでなく、民主党や社民党も含まれている。野党全体を対象にしていたわけだ。
04年1月に福島県郡山市で行われた自衛隊員OBの新年会で、来賓として招かれた民主党の増子輝彦衆院議員が「自衛隊のイラク派遣は憲法違反であり、派遣に反対」と述べた。保全隊はこれを取り上げ、「反自衛隊」としたうえで、「イラク派遣を誹謗(ひぼう)」と批判している。
イラク派遣の是非は政治が判断すべき問題だ。どういう結果にせよ、自衛隊はそれに従うまでで、政治的に中立であるはずだ。自衛隊にまつわる政策に反対する議員らをそのように扱うことは、あってはならないことだ。
イラク派遣については、自衛隊のことを思えばこそ反対した人たちも少なくなかった。イラク派遣に反対することが「反自衛隊」だとはあまりにも短絡的な考え方である。自衛隊がそんな態度をとっていけば、せっかく築いた国民の支持を失っていくだろう。
報道機関を調査の対象にしていたことも見逃せない。
たとえば、岩手県で開かれた報道各社幹部との懇親会での質問内容が、個人名を挙げて掲載されていた。自衛隊が厳しい報道管制を敷いていたイラクでの活動については、「東京新聞現地特派員」の記事や取材予定をチェックしていた。
イラク派遣について自衛隊員や地元の人々の声を伝えた朝日新聞青森県版の取材と報道について、「反自衛隊」と記録していた。「県内も賛否様々」と題して両論を公平に伝えたこの記事が、なぜ反自衛隊なのか。
■文民統制が揺らぐ
自衛隊は国を守る組織だが、それは自由な言論や報道ができる民主主義の国だからこそ真に守るに値する。そうした基本認識がうかがえないのは残念だ。
防衛省はこうした情報収集について、イラク派遣への反対運動から自衛隊員と家族を守るためにしたことで、業務の範囲内という立場だ。しかし、それはとても通用する理屈ではない。
忘れてはならないのは、武力を持つ実力組織は、国内に向かっては治安機関に転化しやすいという歴史的教訓である。戦前、軍隊内の警察だった憲兵隊がやがて国民を監視し、自由を抑圧する組織に変わっていった。
よもや戦前と同じことがいま起きるとは思わないが、よくよく気を付けなければならないことだ。自衛隊を「軍」にするという憲法改正案を政権党の自民党が掲げている現状を考えれば、なおさらである。
今回明らかになったのは全体の活動の一部にすぎまい。政府はこうした活動について、詳細を明らかにすべきだ。
守屋武昌防衛事務次官は「手の内をさらすことになるので、コメントするのは適切ではない」という。開き直りとしかいえず、とても納得できるものではない。無責任の極みである。
こうした事実を政府がうやむやにするようでは、文民統制を信じることはできない。国会も役割を問われている。
国民を監視下においていた事実を示す内部文書の暴露でした。
それをマスコミはどう報道したのか、注目されます。
朝日新聞の社説は以下のとおりでした。
●6月7日付け 朝日新聞社説
情報保全隊―自衛隊は国民を監視するのか
自衛隊は国民を守るためにあるのか、それとも国民を監視するためにあるのか。そんな疑問すら抱きたくなるような文書の存在が明らかになった。
「イラク自衛隊派遣に対する国内勢力の反対動向」と「情報資料」というタイトルに、それぞれ「情報保全隊」「東北方面情報保全隊長」と印刷されている。文書は全部で166ページに及ぶ。共産党が「自衛隊関係者」から入手したとして発表した。
久間防衛相は文書が本物であるか確認することを拒んだが、この隊がそうした調査をしたことは認めた。文書の形式やその詳細な内容から見て、自衛隊の内部文書である可能性は極めて高い。
■何のための調査か
明らかになった文書の調査対象は03年から04年にかけてで、自衛隊のイラク派遣への反対活動ばかりでなく、医療費の負担増や年金改革をテーマとする団体も含まれている。対象は41都道府県の290以上の団体や個人に及んでいる。
文書には映画監督の山田洋次氏ら著名人、国会議員、地方議員、仏教やキリスト教などの宗教団体も登場する。報道機関や高校生の反戦グループ、日本国内のイスラム教徒も対象となっていた。
自衛隊のイラク派遣は国論を二分する大きな出来事だった。自衛隊が世論の動向に敏感なのは当然のことで、情報収集そのものを否定する理由はない。
しかし、文書に記されているのは、個々の活動や集会の参加人数から、時刻、スピーチの内容まで克明だ。団体や集会ごとに政党色で分類し、「反自衛隊活動」という項目もある。
これは単なる情報収集とはいえない。自衛隊のイラク派遣を批判する人を頭から危険な存在とみなし、活動を監視しているかのようである。
■「反自衛隊」のレッテル
文書によると、調査をしたのは陸上自衛隊の情報保全隊だ。保全隊は03年にそれまでの「調査隊」を再編・強化してつくられた。陸海空の3自衛隊に置かれ、総員は約900人にのぼる。
情報保全隊の任務は「自衛隊の機密情報の保護と漏洩(ろうえい)の防止」と説明されてきた。ところが、その組織が国民を幅広く調査の対象にしていたのだ。明らかに任務の逸脱である。
防衛庁時代の02年、自衛隊について情報公開を請求した人々のリストをひそかに作り、内部で閲覧していたことが発覚した。官房長を更迭するなど関係者を処分したが、その教訓は無視された。
調査の対象には共産党だけでなく、民主党や社民党も含まれている。野党全体を対象にしていたわけだ。
04年1月に福島県郡山市で行われた自衛隊員OBの新年会で、来賓として招かれた民主党の増子輝彦衆院議員が「自衛隊のイラク派遣は憲法違反であり、派遣に反対」と述べた。保全隊はこれを取り上げ、「反自衛隊」としたうえで、「イラク派遣を誹謗(ひぼう)」と批判している。
イラク派遣の是非は政治が判断すべき問題だ。どういう結果にせよ、自衛隊はそれに従うまでで、政治的に中立であるはずだ。自衛隊にまつわる政策に反対する議員らをそのように扱うことは、あってはならないことだ。
イラク派遣については、自衛隊のことを思えばこそ反対した人たちも少なくなかった。イラク派遣に反対することが「反自衛隊」だとはあまりにも短絡的な考え方である。自衛隊がそんな態度をとっていけば、せっかく築いた国民の支持を失っていくだろう。
報道機関を調査の対象にしていたことも見逃せない。
たとえば、岩手県で開かれた報道各社幹部との懇親会での質問内容が、個人名を挙げて掲載されていた。自衛隊が厳しい報道管制を敷いていたイラクでの活動については、「東京新聞現地特派員」の記事や取材予定をチェックしていた。
イラク派遣について自衛隊員や地元の人々の声を伝えた朝日新聞青森県版の取材と報道について、「反自衛隊」と記録していた。「県内も賛否様々」と題して両論を公平に伝えたこの記事が、なぜ反自衛隊なのか。
■文民統制が揺らぐ
自衛隊は国を守る組織だが、それは自由な言論や報道ができる民主主義の国だからこそ真に守るに値する。そうした基本認識がうかがえないのは残念だ。
防衛省はこうした情報収集について、イラク派遣への反対運動から自衛隊員と家族を守るためにしたことで、業務の範囲内という立場だ。しかし、それはとても通用する理屈ではない。
忘れてはならないのは、武力を持つ実力組織は、国内に向かっては治安機関に転化しやすいという歴史的教訓である。戦前、軍隊内の警察だった憲兵隊がやがて国民を監視し、自由を抑圧する組織に変わっていった。
よもや戦前と同じことがいま起きるとは思わないが、よくよく気を付けなければならないことだ。自衛隊を「軍」にするという憲法改正案を政権党の自民党が掲げている現状を考えれば、なおさらである。
今回明らかになったのは全体の活動の一部にすぎまい。政府はこうした活動について、詳細を明らかにすべきだ。
守屋武昌防衛事務次官は「手の内をさらすことになるので、コメントするのは適切ではない」という。開き直りとしかいえず、とても納得できるものではない。無責任の極みである。
こうした事実を政府がうやむやにするようでは、文民統制を信じることはできない。国会も役割を問われている。
ネコのお顔 自分ちのネコと間違うはずが ― 2007/06/09
神社で出会ったネコの写真
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/07/1562924
を見せると、
うちのムー♂だっていいます。
アップになったものを見せているのに。
おいおい、ちがうだろ。
ムー♂は、もっとでかいし、顔にワンポイント
特徴があります。
鼻のひだりですね。
そこは白くない模様があるでしょ。
ところで、ネコってそんなに似ているのだろうか?
カミさんは、外国人の俳優の見分けがつきません。
むしろ、図形認識能力に問題があるじゃないか?
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/07/1562924
を見せると、
うちのムー♂だっていいます。
アップになったものを見せているのに。
おいおい、ちがうだろ。
ムー♂は、もっとでかいし、顔にワンポイント
特徴があります。
鼻のひだりですね。
そこは白くない模様があるでしょ。
ところで、ネコってそんなに似ているのだろうか?
カミさんは、外国人の俳優の見分けがつきません。
むしろ、図形認識能力に問題があるじゃないか?
福井県で都市交通戦略協議会が初会合 ― 2007/06/09
市民のとって交通問題は、基本的人権にかかわる問題だと思っています。
福井県で、公共交通を重視する会合のがったようなので、メモとして
残すことにします。
↓
http://www.sankei.co.jp/chiho/fukui/070608/fki070608001.htm
**************************
福井で都市交通戦略協議会の初会合 公共交通で都市活性化
望ましい都市交通体系を検討する「福井市都市交通戦略協議会」(会長、川上洋司・福井大教授)の初会合が福井市内のホテルで開かれ、えちぜん鉄道のLRT化やバス路線の拡充など公共交通中心の都市交通体系に転換し、市中心部の活性化を図っていく方針が確認された。
会合には同市都市戦略部や県、国土交通省近畿地方整備局の担当者のほか、各公共交通機関、NPO法人ふくい路面電車とまちづくりの会、福井商工会議所の代表者など約25人が参加。
公共交通の利用が中心の交通体系を志向することを確認するため、県都市計画課が進めている「福井都市圏総合都市交通体系調査」の結果が公表された。
同調査では、福井都市圏で、自動車利用や郊外化が進展したケース(A)▽現状のまま推移したケース(B)▽郊外化を抑え、公共交通利用促進に取り組んだケース(C)-の3つのシナリオを検証。
平成32年の予測結果は、Bを1とした場合、高齢者の交通事故件数はAが1.
21、Cが0.93、二酸化炭素排出量はAが1.04、Cが0.92、市中心部への入り客数はAが0.98、Cが1.75となり、Cが環境問題にも都市活性化にも有効であることが示された。
同協議会は来年2月にかけて2カ月に1度のペースで開き、望ましい福井市の交通体系を描きながら会合に参加している関係団体の役割分担を確認し、来年度から素早く実行に移していく考え。
(2007/06/08 03:05)
福井県で、公共交通を重視する会合のがったようなので、メモとして
残すことにします。
↓
http://www.sankei.co.jp/chiho/fukui/070608/fki070608001.htm
**************************
福井で都市交通戦略協議会の初会合 公共交通で都市活性化
望ましい都市交通体系を検討する「福井市都市交通戦略協議会」(会長、川上洋司・福井大教授)の初会合が福井市内のホテルで開かれ、えちぜん鉄道のLRT化やバス路線の拡充など公共交通中心の都市交通体系に転換し、市中心部の活性化を図っていく方針が確認された。
会合には同市都市戦略部や県、国土交通省近畿地方整備局の担当者のほか、各公共交通機関、NPO法人ふくい路面電車とまちづくりの会、福井商工会議所の代表者など約25人が参加。
公共交通の利用が中心の交通体系を志向することを確認するため、県都市計画課が進めている「福井都市圏総合都市交通体系調査」の結果が公表された。
同調査では、福井都市圏で、自動車利用や郊外化が進展したケース(A)▽現状のまま推移したケース(B)▽郊外化を抑え、公共交通利用促進に取り組んだケース(C)-の3つのシナリオを検証。
平成32年の予測結果は、Bを1とした場合、高齢者の交通事故件数はAが1.
21、Cが0.93、二酸化炭素排出量はAが1.04、Cが0.92、市中心部への入り客数はAが0.98、Cが1.75となり、Cが環境問題にも都市活性化にも有効であることが示された。
同協議会は来年2月にかけて2カ月に1度のペースで開き、望ましい福井市の交通体系を描きながら会合に参加している関係団体の役割分担を確認し、来年度から素早く実行に移していく考え。
(2007/06/08 03:05)
タルコフスキー『ノスタルジア』 ― 2007/06/09
言葉を並べてみても、
この映画が心に残る理由を説明したことにはなりません。
連想する小説があるとすれば、
ガルシンの『赤い花』です。
二人の登場人物の狂気・・・しかし、それははたして狂気か。
日常に半ば埋もれている私には、
それを裁く力があるとは思えないからです。
●DVDジャケットも興味深い
ところで、日本で発売されているリマスター版のジャケットは上の写真。
詩人アンドレイ・ゴルチャコフ(俳優=オレーグ・ヤンコフスキー)を
メインにおいています。
しかし、世界で売られているDVDのジャケットには
当然ながら、何種類かがあり、興味深いのです。
ドメニコ(エルランド・ヨセフソン)を中心にしたもの、
エウジュニア(ドミツィアナ・ジョルダーノ)を中心にしたものなど。
つまり、この映画の何が中心と考えているかが、
わかるような気がします。
************** 参考に **************
アンドレイ・タルコフスキー映画祭のサイト
(生誕70周年記念)
http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/index.html
この映画祭は、2002年に行われました。
そのサイトがそのままあります。
ノスタルジアの部分は以下のとおり。
http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/nstlg.html
[スタッフ]
脚本:アンドレイ・タルコフスキー、ト二一ノ・グエッラ/撮影監督:ジュゼッペ・ランチ/カメラマン:ジュゼッペ・デ・ビアージ/録音:レモ・ウゴリネッリ/美術監督:アンドレア・クリザンティ/装置:マウロ・バッシ/メークアップ:ジュリオ・マストラントニオ/ヘアー・ドレッサー:ヨーレ・チェッキーニ/衣裳:リーナ・ネルリ・タヴィアーニ/音楽:ベートーヴェン<交響曲第9番>、ヴェルディ<レクイエム>、他/音楽協カ:ジーノ・ペグーリ/音響効果:マッシモ&ルチア一ノ・アンゼロッティ/編集:エルミニア・マラーユ、アメデオ・サルファ/スクリプト:イルデ・ムーショ/助監督:ノルマン・モッツアート/ラリッサ・タルコフスキー/スチル:プルーノ・ブルーニ/製作主任:フランチェスコ・カザーティ/製作:レンツォ・ロッセリーニ、マノロ・ポロニー二
[キャスト]
アンドレイ・ゴルチャコフ:オレーグ・ヤンコフスキー、ドメニコ:エルランド・ヨセフソン、エウジュニア:ドミツィアナ・ジョルダーノ、ゴルチャコフの妻:パトリツィア・テレーノ、髪に夕オルを巻いた女:ラウラ・デ・マルキ、ドメニコの妻:デリア・ボッカルド、清掃婦:ミレナ・ヴコティッチ
1983年/RAI(イタリア)、オペラ・フィルム(フランス、イタリア)、ソヴィン・フィルム(ソ連)製作/長編劇映画/35mm/ヴィスタサイズ/カラー/126分
1983年 カンヌ国際映画祭・創造大賞
配給:ザジフィルムズ、協力:パイオニアLDC/日本公開:1987年
[解説]
ソ連の天才映画作家アンドレイ・タルコフスキーの長篇第6作『ノスタルジア』は、タルコフスキーがはじめてソ連国外でつくった映画である。83年カンヌ映画祭にイタリアから出品して、グランプリと同格の<創造大賞>を受賞、同時に、国際批評家連盟賞、エキュメニック賞を受賞し、英国のインターナショナル・フィルム・ガイド誌は、83年度のすべての国のベストワン作品に選んでいる。
水と、光と、霧と、闇と、火の、タルコフスキー独特の詩的宇宙が、『ノスタルジア』では、従来のカラー作品の深く渋い色彩美にイタリア撮影技術の艶と鮮かさを加えて映像美の極致に達したといえよう。
『ノスタルジア』(原題はロシア語をアルファベット表記してNOSTALGHIA)は、ロシア人がソ連国内を旅行した時には感じないが、ひとたび外国に旅行すると必ず強く襲いかかる感情で、死に至る病いに近いとさえ言える独特のものだとタルコフスキーは言う。『惑星ソラリス』や『鏡』『ストーカー』で登場したテーマを、イタリアに旅行したロシア人の愛の物語としてさらに発展させようというもので、タルコフスキーがトニーノ・グエッラと想をねりはじめたのは『ストーカー』カンヌ出品の直後だった。
製作準備は3年半。ソ連映画の合作公団ソヴィン・フィルムの協力、フランスの大手ゴーモンのイタリアでの製作会杜オペラ・フィルムを母体に、ロベルト・ロッセリー二の息子レンツォ・ロッセリーニとマノロ・ポロニーニが製作、イタリアの国営放送RAIが映画製作レベルで全額出資という、実質的には国際的合作のスケールをもつイタリア映画として撮影に入ったのが82年の9月だった。トスカーナ地方を中心にタルコフスキーが選びぬいた撮影場所は、新鮮な美しさで、くまなくイタリアを知っていたはずのスタッフを驚かせ、タルコフスキー本人も、故郷と設定されるシーン、とりわけラストの廃虚の撮影場所をトスカーナに発見して驚いたという。
脚本のトニーノ・グエッラ(フィルモグラフィー及ぴインタビュー参照)は詩人で小説家。アントニオーニやフェリーニ、ロ一ジ作品で知られるイタリア最高の脚本家。『ノスタルジア』では、クレジットは脚本だけだが、実際にはタルコフスキーの助言者として完成までたずさわった。主人公アンドレイが読む詩は監督の父である詩人アルセニー・タルコフスキーの作品。撮影のジュゼッペ・ランチはマルコ・ベロッキオ監督『虚無への跳躍』ほかで注目される。音楽はヴェルディの<レクイエム>とロシア民俗音楽OI VI KUMSCIKIをテーマに、べートーヴェンの<第9交響曲>が印象的に使われている。
アンドレイは『鏡』で父親を演じたモスクワドラマ劇場のオレーグ・ヤンコフスキー。ドメニコにはベルイマン映画で知られるエルランド・ヨセフソン。ヒロインのエウジェニアには、スポレート演劇祭での演技がタルコフスキーに認められこの作品がデビューのドミツィアナ・ジョルダーノ。ボッティチの面からぬけでてきたような美しさとカンヌ映画祭で人気を集めた。広場の清掃婦役で登場するのは、ブニュエル映画でおなじみのユーゴスラヴィア出身のミレナ・ヴコティッチ。なお、タルコフスキーは『ノスタルジア』完成後も故郷には戻ることはなかった。
[ストーリー]
イタリア中部トスカーナ地方。朝霧がけむる風景のなかに男と女が到着する。男はモスクワから来た詩人アンドレイ・ゴルチャコフ。女は通訳のエウジェニア。ふたりは、18世紀にイタリアを放浪し、故国に帰れば奴隷になると知りつつ帰国して自殺したロシアの音楽家パヴェル・サスノフスキーの足跡を追って旅をつづけてきたが、旅もすでに終りに近かった。
古都シエナ南東の村まではるばる来たのは、アンドレイがマドンナ・デル・パルトの聖母画を見たがっていたからだが、アンドレイは車に残り、エウジェニアひとり、教会を訪れる。ピエロ・デラ・フランチェスカが描いた出産の聖母像に敬虔に祈りを捧げる女たちと、跪こうとしても跪けないエウジェニア。
村の広場の温泉で知られる、バーニョ・ヴィニョーニの宿屋で、女主人が起きてくるのを待ちながら、アルセニイ・タルコフスキーの詩集をイタリア語訳で読んでいるというエウジェニアに、アンドレイは「詩は翻択できるものではない、すべての芸術も」という。どうすれば私達は理解しあえるのと問う彼女に、アンドレイは事もなげに答える。「国境をなくせばいい」と。
アンドレイの夢に故郷があらわれる。なだらかな丘の小さな家。木々と1本の電柱。妻とふたりの子供。白い馬とシェパード犬、そしてタ陽。
シエナの聖カテリーナさえ訪れたとされる広場の温泉に、今は、退役将軍ほか数人の湯治客が朝からよもやま話に花さかせながらつかっている。話のおちつく先はたいてい、ドメニコだ。世界の終末が訪れたと信じて家族ぐるみ7年間もあばら家にとじこもったために狂人と呼ばれ、聖カテリーナと言葉をかわしたと言って狂信者と噂されるドメニコが、その朝はめずらしく、シェパード犬をつれて広場へ散歩にきたのだった。アンドレイは何か強く心をうたれ、エウジェニアを通して、ドメニコと話そうとするが、エウジェニアは鏡の間にはさまったようないらだちを感じて、アンドレイをすてて去る。
ドメニコのあばら屋に入るアンドレイの目に思いもかけぬ風景がひろがる。たどたどしいイタリア語で話しかけるアンドレイに、ドメニコは、自分が果たせなかった願いを託す。ド」メニコ自身は、村人や湯冶客から狂人扱いされて広場に近づくだけで危険視されるのだが、あの広場を、蝋燭の火を消さずに往復することができたなら、世界はまだ救われうるというのだった。
この映画が心に残る理由を説明したことにはなりません。
連想する小説があるとすれば、
ガルシンの『赤い花』です。
二人の登場人物の狂気・・・しかし、それははたして狂気か。
日常に半ば埋もれている私には、
それを裁く力があるとは思えないからです。
●DVDジャケットも興味深い
ところで、日本で発売されているリマスター版のジャケットは上の写真。
詩人アンドレイ・ゴルチャコフ(俳優=オレーグ・ヤンコフスキー)を
メインにおいています。
しかし、世界で売られているDVDのジャケットには
当然ながら、何種類かがあり、興味深いのです。
ドメニコ(エルランド・ヨセフソン)を中心にしたもの、
エウジュニア(ドミツィアナ・ジョルダーノ)を中心にしたものなど。
つまり、この映画の何が中心と考えているかが、
わかるような気がします。
************** 参考に **************
アンドレイ・タルコフスキー映画祭のサイト
(生誕70周年記念)
http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/index.html
この映画祭は、2002年に行われました。
そのサイトがそのままあります。
ノスタルジアの部分は以下のとおり。
http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/nstlg.html
[スタッフ]
脚本:アンドレイ・タルコフスキー、ト二一ノ・グエッラ/撮影監督:ジュゼッペ・ランチ/カメラマン:ジュゼッペ・デ・ビアージ/録音:レモ・ウゴリネッリ/美術監督:アンドレア・クリザンティ/装置:マウロ・バッシ/メークアップ:ジュリオ・マストラントニオ/ヘアー・ドレッサー:ヨーレ・チェッキーニ/衣裳:リーナ・ネルリ・タヴィアーニ/音楽:ベートーヴェン<交響曲第9番>、ヴェルディ<レクイエム>、他/音楽協カ:ジーノ・ペグーリ/音響効果:マッシモ&ルチア一ノ・アンゼロッティ/編集:エルミニア・マラーユ、アメデオ・サルファ/スクリプト:イルデ・ムーショ/助監督:ノルマン・モッツアート/ラリッサ・タルコフスキー/スチル:プルーノ・ブルーニ/製作主任:フランチェスコ・カザーティ/製作:レンツォ・ロッセリーニ、マノロ・ポロニー二
[キャスト]
アンドレイ・ゴルチャコフ:オレーグ・ヤンコフスキー、ドメニコ:エルランド・ヨセフソン、エウジュニア:ドミツィアナ・ジョルダーノ、ゴルチャコフの妻:パトリツィア・テレーノ、髪に夕オルを巻いた女:ラウラ・デ・マルキ、ドメニコの妻:デリア・ボッカルド、清掃婦:ミレナ・ヴコティッチ
1983年/RAI(イタリア)、オペラ・フィルム(フランス、イタリア)、ソヴィン・フィルム(ソ連)製作/長編劇映画/35mm/ヴィスタサイズ/カラー/126分
1983年 カンヌ国際映画祭・創造大賞
配給:ザジフィルムズ、協力:パイオニアLDC/日本公開:1987年
[解説]
ソ連の天才映画作家アンドレイ・タルコフスキーの長篇第6作『ノスタルジア』は、タルコフスキーがはじめてソ連国外でつくった映画である。83年カンヌ映画祭にイタリアから出品して、グランプリと同格の<創造大賞>を受賞、同時に、国際批評家連盟賞、エキュメニック賞を受賞し、英国のインターナショナル・フィルム・ガイド誌は、83年度のすべての国のベストワン作品に選んでいる。
水と、光と、霧と、闇と、火の、タルコフスキー独特の詩的宇宙が、『ノスタルジア』では、従来のカラー作品の深く渋い色彩美にイタリア撮影技術の艶と鮮かさを加えて映像美の極致に達したといえよう。
『ノスタルジア』(原題はロシア語をアルファベット表記してNOSTALGHIA)は、ロシア人がソ連国内を旅行した時には感じないが、ひとたび外国に旅行すると必ず強く襲いかかる感情で、死に至る病いに近いとさえ言える独特のものだとタルコフスキーは言う。『惑星ソラリス』や『鏡』『ストーカー』で登場したテーマを、イタリアに旅行したロシア人の愛の物語としてさらに発展させようというもので、タルコフスキーがトニーノ・グエッラと想をねりはじめたのは『ストーカー』カンヌ出品の直後だった。
製作準備は3年半。ソ連映画の合作公団ソヴィン・フィルムの協力、フランスの大手ゴーモンのイタリアでの製作会杜オペラ・フィルムを母体に、ロベルト・ロッセリー二の息子レンツォ・ロッセリーニとマノロ・ポロニーニが製作、イタリアの国営放送RAIが映画製作レベルで全額出資という、実質的には国際的合作のスケールをもつイタリア映画として撮影に入ったのが82年の9月だった。トスカーナ地方を中心にタルコフスキーが選びぬいた撮影場所は、新鮮な美しさで、くまなくイタリアを知っていたはずのスタッフを驚かせ、タルコフスキー本人も、故郷と設定されるシーン、とりわけラストの廃虚の撮影場所をトスカーナに発見して驚いたという。
脚本のトニーノ・グエッラ(フィルモグラフィー及ぴインタビュー参照)は詩人で小説家。アントニオーニやフェリーニ、ロ一ジ作品で知られるイタリア最高の脚本家。『ノスタルジア』では、クレジットは脚本だけだが、実際にはタルコフスキーの助言者として完成までたずさわった。主人公アンドレイが読む詩は監督の父である詩人アルセニー・タルコフスキーの作品。撮影のジュゼッペ・ランチはマルコ・ベロッキオ監督『虚無への跳躍』ほかで注目される。音楽はヴェルディの<レクイエム>とロシア民俗音楽OI VI KUMSCIKIをテーマに、べートーヴェンの<第9交響曲>が印象的に使われている。
アンドレイは『鏡』で父親を演じたモスクワドラマ劇場のオレーグ・ヤンコフスキー。ドメニコにはベルイマン映画で知られるエルランド・ヨセフソン。ヒロインのエウジェニアには、スポレート演劇祭での演技がタルコフスキーに認められこの作品がデビューのドミツィアナ・ジョルダーノ。ボッティチの面からぬけでてきたような美しさとカンヌ映画祭で人気を集めた。広場の清掃婦役で登場するのは、ブニュエル映画でおなじみのユーゴスラヴィア出身のミレナ・ヴコティッチ。なお、タルコフスキーは『ノスタルジア』完成後も故郷には戻ることはなかった。
[ストーリー]
イタリア中部トスカーナ地方。朝霧がけむる風景のなかに男と女が到着する。男はモスクワから来た詩人アンドレイ・ゴルチャコフ。女は通訳のエウジェニア。ふたりは、18世紀にイタリアを放浪し、故国に帰れば奴隷になると知りつつ帰国して自殺したロシアの音楽家パヴェル・サスノフスキーの足跡を追って旅をつづけてきたが、旅もすでに終りに近かった。
古都シエナ南東の村まではるばる来たのは、アンドレイがマドンナ・デル・パルトの聖母画を見たがっていたからだが、アンドレイは車に残り、エウジェニアひとり、教会を訪れる。ピエロ・デラ・フランチェスカが描いた出産の聖母像に敬虔に祈りを捧げる女たちと、跪こうとしても跪けないエウジェニア。
村の広場の温泉で知られる、バーニョ・ヴィニョーニの宿屋で、女主人が起きてくるのを待ちながら、アルセニイ・タルコフスキーの詩集をイタリア語訳で読んでいるというエウジェニアに、アンドレイは「詩は翻択できるものではない、すべての芸術も」という。どうすれば私達は理解しあえるのと問う彼女に、アンドレイは事もなげに答える。「国境をなくせばいい」と。
アンドレイの夢に故郷があらわれる。なだらかな丘の小さな家。木々と1本の電柱。妻とふたりの子供。白い馬とシェパード犬、そしてタ陽。
シエナの聖カテリーナさえ訪れたとされる広場の温泉に、今は、退役将軍ほか数人の湯治客が朝からよもやま話に花さかせながらつかっている。話のおちつく先はたいてい、ドメニコだ。世界の終末が訪れたと信じて家族ぐるみ7年間もあばら家にとじこもったために狂人と呼ばれ、聖カテリーナと言葉をかわしたと言って狂信者と噂されるドメニコが、その朝はめずらしく、シェパード犬をつれて広場へ散歩にきたのだった。アンドレイは何か強く心をうたれ、エウジェニアを通して、ドメニコと話そうとするが、エウジェニアは鏡の間にはさまったようないらだちを感じて、アンドレイをすてて去る。
ドメニコのあばら屋に入るアンドレイの目に思いもかけぬ風景がひろがる。たどたどしいイタリア語で話しかけるアンドレイに、ドメニコは、自分が果たせなかった願いを託す。ド」メニコ自身は、村人や湯冶客から狂人扱いされて広場に近づくだけで危険視されるのだが、あの広場を、蝋燭の火を消さずに往復することができたなら、世界はまだ救われうるというのだった。
『ノスタルジア』-- ドメニコを表紙に ― 2007/06/09
DVDジャケット
ドメニコ(エルランド・ヨセフソン)を中心にしたもの
ドメニコ(エルランド・ヨセフソン)を中心にしたもの
『ノスタルジア』-- エウジュニアを表紙に ― 2007/06/09
DVD
エウジュニア(女優:ドミツィアナ・ジョルダーノ)を表紙にしたものです。
エウジュニア(女優:ドミツィアナ・ジョルダーノ)を表紙にしたものです。
『ノスタルジア』-- エウジュニアを表紙に Ⅱ ― 2007/06/09
エウジュニア(女優:ドミツィアナ・ジョルダーノ)を表紙にしたものが
まだありますね。
重要な役割だとは思いますが、ジャケットにする理由はなに?
まだありますね。
重要な役割だとは思いますが、ジャケットにする理由はなに?
平良夏芽さんへのメッセージ ― 2007/06/09
平良夏芽さんへ
はじめまして、ついさっきあなたの講演を収録した
ビデオを見せていただきました。
見た以上は、感想を書きたいと思いました。
でも、感想では思いが通じないと思い、あなたへの
直接のメッセージという形で書いてみたいと思います。
これを読んでいただけるかどうか、わかりません。
でも、こういう形で書くことが・・・うまくいえませんが、
あなたの講演をきいた者として、よりふさわしいように
思うのです。
琉球朝日放送が制作したドキュメンタリー「海にすわる」を
昨日見ることができました。
そのため、あなたが講演で述べておられるたたかいの姿を
少しばかりはリアルに思い浮かべることができたと思います。
体を張った行動、そして非暴力・・・言うは簡単ですが、
激しく執拗な防衛施設庁の攻勢のもとで、貫かれた姿に
驚くほかはありませんでした。
長期にわたる先の見えないたたかいによる消耗や疲労は、
肉体だけではなく、心をすさませるにちがいありません。
相手への憎しみはもちろんのこと、
なかなか立ち上がってくれない(私をふくめて)
周囲の人々へのいらだち。
運動は、人を信じるということが
試練に出会うときでもあるからです。
あなたは「殺意とのたたかい」と表現されていましたが、
それを克服して、非暴力をつらぬかれたことに
私は感嘆しつづけました。
あなたの穏やかな話ぶりは、そういう試練を乗り越えたきた
からことのものだと感じました。
沖縄が加害責任をもつというお話は、頭では理解できます。
しかし、それを自分の胸に落とすことは別問題です。
ベトナムで、イラクで、胸を刺す言葉をうけとめることにも、
また別の試練があるように思います。
いずれにしても、あなたとあなたの周りでがんばって
こられたみなさんにエールをおくります。
同時に、すべての人々が果敢にたたかいぬけるわけではありません。
たとえば、この私にしても、すぐさまかけつけることはできません。
そういう立場をあなたがよく理解されていて、
いろんな人が自分でできる行為で支援することを、
穏やかにアピールされています。
そこで、私も心やすらかに思うことができました。
少しは海に潜れるようにしておこうと。
「あなた」という呼びかけは失礼かと思いましたが、
他にいい言葉が見つかりませんでしたので、お許しください。
私は、私の島(本州といわれていますが)で、
戦争に加担する国でありつづけないように
がんばりたいと思います。
2007年6月9日 BIN★より
はじめまして、ついさっきあなたの講演を収録した
ビデオを見せていただきました。
見た以上は、感想を書きたいと思いました。
でも、感想では思いが通じないと思い、あなたへの
直接のメッセージという形で書いてみたいと思います。
これを読んでいただけるかどうか、わかりません。
でも、こういう形で書くことが・・・うまくいえませんが、
あなたの講演をきいた者として、よりふさわしいように
思うのです。
琉球朝日放送が制作したドキュメンタリー「海にすわる」を
昨日見ることができました。
そのため、あなたが講演で述べておられるたたかいの姿を
少しばかりはリアルに思い浮かべることができたと思います。
体を張った行動、そして非暴力・・・言うは簡単ですが、
激しく執拗な防衛施設庁の攻勢のもとで、貫かれた姿に
驚くほかはありませんでした。
長期にわたる先の見えないたたかいによる消耗や疲労は、
肉体だけではなく、心をすさませるにちがいありません。
相手への憎しみはもちろんのこと、
なかなか立ち上がってくれない(私をふくめて)
周囲の人々へのいらだち。
運動は、人を信じるということが
試練に出会うときでもあるからです。
あなたは「殺意とのたたかい」と表現されていましたが、
それを克服して、非暴力をつらぬかれたことに
私は感嘆しつづけました。
あなたの穏やかな話ぶりは、そういう試練を乗り越えたきた
からことのものだと感じました。
沖縄が加害責任をもつというお話は、頭では理解できます。
しかし、それを自分の胸に落とすことは別問題です。
ベトナムで、イラクで、胸を刺す言葉をうけとめることにも、
また別の試練があるように思います。
いずれにしても、あなたとあなたの周りでがんばって
こられたみなさんにエールをおくります。
同時に、すべての人々が果敢にたたかいぬけるわけではありません。
たとえば、この私にしても、すぐさまかけつけることはできません。
そういう立場をあなたがよく理解されていて、
いろんな人が自分でできる行為で支援することを、
穏やかにアピールされています。
そこで、私も心やすらかに思うことができました。
少しは海に潜れるようにしておこうと。
「あなた」という呼びかけは失礼かと思いましたが、
他にいい言葉が見つかりませんでしたので、お許しください。
私は、私の島(本州といわれていますが)で、
戦争に加担する国でありつづけないように
がんばりたいと思います。
2007年6月9日 BIN★より
市長選挙に意欲燃やす目片信市長という報道について ― 2007/06/09
3月に倒れたあと、復帰後の動向が注目されていた目片大津市長ですが、報道によれば、6月7日の記者会見で出馬を表明したという話しでした。そのことについての報道をチェックしました。
以下は、産経新聞の記事です。
よく読めば、市長単独の意思表明のようですね。市議会への根回しなどはないようです。いわばアピール、もしくは既成事実のつみあげでしょうか?
*********************************
大津市長 突然の出馬表明
大津市の目片信市長(65)は7日の定例記者会見で、任期満了に伴い来年1月にも行われる同市長選に再選を目指し、立候補する意向を表明した。選挙の半年以上前に市議会にも伝えず、出馬を表明するのは異例。「体調不良のうわさを払拭し、健在ぶりをアピールしたいのでは」(市議)ともいわれるが、議会や市長周辺からは驚きや戸惑いの声もあがっている。
会見で目片市長は「公約については8割以上は達成できたが、もう少しがんばってくれという声が多く、公約を支持してくれた市民の期待に応えたい。65歳だし、まだ大丈夫だと思っている」と、出馬の考えを明らかにした。
1期目については、「旧志賀町との合併や、湖西バイパスの無料化に大きな達成を感じている」。また、産経新聞の取材に対し、「市民からいろんな要望があるが、精査した上で納得できるものにしたい」と抱負を述べ、懸案となっている浜大津への市庁舎の移転についても「資金問題など今後、調整したい」と2期目の課題とする考えを示した。
目片市長は今年3月下旬、脳の血流障害の可能性があるとして入院し、先月10日に公務復帰を果たしたばかり。周囲からは体調を心配する声もあるが、市長自身は「体調はいい。何ら支障はない」と話している。
市長の出馬表明について、ある市議は「市長の体調をめぐって『もうだめだ』など色々なうわさが出ており、一刻も早く健在ぶりをアピールしておきたかったのだろう。周囲の体調に関する心配に、とりあえずけじめをつけたかったのでは」とみる。
また、市議会最大会派「大志会」の中江忠洋幹事長は「議会を経ずにこういう形での表明になったので、反発する議員がいるかもしれない。『議会軽視だ』と受け取られるのは具合が悪い。11日に行われる(6月議会の)一般質問で市長選について(会派から)質問し、議会で正式に市長の口から出馬表明をしてもらう」と話した。
一方、別の議員は「記者会見後、『これは正式な立候補表明ではありません』と事務方が説明に来たが、どういうことなのか。まだ健康に自信が持てるような状態にはみえない」といい、混乱も見られた。
目片市長は県議を経て、平成8年から衆議院議員1期を務め、16年の同市長選で新人5人を破り、初当選した。
(2007/06/08 03:11)
以下は、産経新聞の記事です。
よく読めば、市長単独の意思表明のようですね。市議会への根回しなどはないようです。いわばアピール、もしくは既成事実のつみあげでしょうか?
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大津市長 突然の出馬表明
大津市の目片信市長(65)は7日の定例記者会見で、任期満了に伴い来年1月にも行われる同市長選に再選を目指し、立候補する意向を表明した。選挙の半年以上前に市議会にも伝えず、出馬を表明するのは異例。「体調不良のうわさを払拭し、健在ぶりをアピールしたいのでは」(市議)ともいわれるが、議会や市長周辺からは驚きや戸惑いの声もあがっている。
会見で目片市長は「公約については8割以上は達成できたが、もう少しがんばってくれという声が多く、公約を支持してくれた市民の期待に応えたい。65歳だし、まだ大丈夫だと思っている」と、出馬の考えを明らかにした。
1期目については、「旧志賀町との合併や、湖西バイパスの無料化に大きな達成を感じている」。また、産経新聞の取材に対し、「市民からいろんな要望があるが、精査した上で納得できるものにしたい」と抱負を述べ、懸案となっている浜大津への市庁舎の移転についても「資金問題など今後、調整したい」と2期目の課題とする考えを示した。
目片市長は今年3月下旬、脳の血流障害の可能性があるとして入院し、先月10日に公務復帰を果たしたばかり。周囲からは体調を心配する声もあるが、市長自身は「体調はいい。何ら支障はない」と話している。
市長の出馬表明について、ある市議は「市長の体調をめぐって『もうだめだ』など色々なうわさが出ており、一刻も早く健在ぶりをアピールしておきたかったのだろう。周囲の体調に関する心配に、とりあえずけじめをつけたかったのでは」とみる。
また、市議会最大会派「大志会」の中江忠洋幹事長は「議会を経ずにこういう形での表明になったので、反発する議員がいるかもしれない。『議会軽視だ』と受け取られるのは具合が悪い。11日に行われる(6月議会の)一般質問で市長選について(会派から)質問し、議会で正式に市長の口から出馬表明をしてもらう」と話した。
一方、別の議員は「記者会見後、『これは正式な立候補表明ではありません』と事務方が説明に来たが、どういうことなのか。まだ健康に自信が持てるような状態にはみえない」といい、混乱も見られた。
目片市長は県議を経て、平成8年から衆議院議員1期を務め、16年の同市長選で新人5人を破り、初当選した。
(2007/06/08 03:11)
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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