お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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崩れる地域 消えゆく風呂屋さん2007/06/11

上の写真を見ても、よくわからないと思います。
でも、正面をみると、入り口が一対のように二つ並んでいます。

そうです・・・これは、街のお風呂屋さんだったんです。

必要がないものは消える・・・そんな単純なものではないと思います。

それぞれの家庭で当たり前のようにフロがもてるようになったという
事情もあるでしょう。
また、燃料費が高騰していき、採算を取ろうとすると高値になるという
事情もあるでしょう。

比較的お客さんが多いと思われるお風呂屋さん(銭湯)に
お話を聞きに行ったことがありますが、
決して楽な商売ではありません。

社会的な役割を果たしているお風呂屋さんが
なくなれば、困るひとはかならずいるはずです。

合併で温泉が遠ざかる・・・2007/06/11

先の記事でお風呂やさんについて触れました。
それで、思い出したのです。

合併して高島市になりましたが、マキノ町には、いい温泉がありました。
白谷温泉です。
ちいさな温泉ですが、お湯がいいらしいのです。

なによりいいのは、マキノ町民には50円で入れるということでした。
私のように町外のものは、350円。

当初は、合併した町村でも同じ割引条件になったのかも知れませんが、
マキノの人たちが入れないほどの盛況ぶりだったそうです。

いま改築を終えて、値上げされました。
町民も等しく500円。

これでは、毎日入ることはできません。

合併は、近くに住む住民を効能のたかい身近な温泉から
遠ざけることになってしまったのです。

上の写真は、2005年2月のものです。
こじんまりした入り口が写っています。

大津事件の碑 : 歴史は現代に生かしてこそ2007/06/11

それはあんたのお仕事じゃないの!っていわれそうです。

私は、大津市民であり、ロシア語を学び、
ある歴史的事件が起こったすぐ近くにすんでいるからです。

●大津事件

日本訪問中のロシア皇太子ニコライ二世が
警備しているはずの警官に切りつけられるどいう大事件がありました。
超大国のロシアの報復を恐れて、その犯人をどう扱うかで
国がゆれた大事件です。

その事件がおこったことを示すのが写真の石碑。

しかし、あまりに目立たず、街づくりのなかで
生かされているとはいえません。

この碑を見るたびに、少し心が痛みます。
E.H.カーは『歴史とはなにか』のなかで、
歴史とは現代と過去との対話であるといいました。

この碑に即して言い換えれば、
歴史的遺物は、それを現代とのつながりのなかで
生かしてこそ、街の財産となる。

せめて、ロシア語の解説文でも書いて、
張ってもらうようにしたいと思います。

ネコなのに、そんなにバカでかくていいのか!2007/06/11

モー♂の写真を探していたら、小学生時代のHくんに
抱かれている写真がありました。

家族全員が見て、あらためて驚きました。

こんなデカくていいのか!

ネコのお仕事 だっこされること2007/06/11

現在のHくんに抱かれています。
これはモー♂です。

モーといっても、牛を連想してつけた名前ではありません。

最初のネコがメー(5月に来たから)
次が、ムー(お母さん=mutterを恋しそうだったから)
・・・まあ、マミムメモということで、
モーにしたのです。

なんかいいかげんな名づけ方で、愛情が感じられませんか?

その被害に比べたら、途方もなく愛していると思っていますが。

リヒテルのかけがいのない世界 : シューベルト最後のピアノ・ソナタ2007/06/11

Franz Schubert
 Piano Sonata №21 B-flat major D.960

スビャトスラフ・リヒテルが亡くなって
まもなく10年が過ぎようとしています。

偲びながら、私の思い入れの大きい
CDを紹介したいと思います。

音楽を職業としているわけでもなく、
知識もあるわけではありません。
そういう立場からのお話はできません。

モンサンジョンさんの『リヒテル エニグマ』というフィルム。
その冒頭に流れるのが、このソナタの第二楽章。

凍るような寒々した世界を感じるのは、第一と第二楽章です。

極度の緊張を保ちながら、音楽がすすみます。

それは、リヒテルならではの世界だと思います。

第一楽章は史上でもっとも遅い演奏だと思っていましたが、
アファナシェフさんのほうが遅いと思います。
後者は、リヒテルさんとはちがう意味で
不気味さを感じる演奏でした。

チェーホフ『六号室』を見つけて2007/06/11

●BOOKOFFに売りにいきました

子どもたちのマンガ本があまりに多くて、
先日100余冊を、BOOKOFFにもって行きました。
それで、2030円。
まあ、私の本を30冊もっていって150円だったことを思えば、
ましです。

残りのマンガ本は、まだ300冊を超えていそうですが、
下の部屋に置きっぱなし。
日曜日で二人とも家にいるのに許せない!と
全部自分の部屋に運んでもらいました。

●そういえば、これもBOOKOFF

少し片付いた部屋で、自分の本を探しました。
チェーホフの『六号室』
先日日記に書いたガルシンの『赤い花』をひきつぐ
内容の短編です。
タルコフスキー『ノスタルジア』⇒ガルシン『赤い花』という
バトンをうけついて、読んでみようと思ったのです。
『六号室』は有名な小説でしたけれど、その中身を
きいていたので、学生時代もすすんで読む気がしなかったのでした。

入れ物の奥から見つけ、
そのままその場に座り込んで、読みました。

・・・重い内容ですね。

見つけた本は、講談社の世界文学全集のなかの一冊。
たしかこれもBOOKOFFで105円で買ったものでした。
読んでいない短編もいくつか入っているので、
全部読んでみることにします。

団地の捨てネコさん その1 クロ2007/06/11

●ネコさんの姿がない?

街を歩いても、なかなかネコさんに出会えません。
どこにいるんだろうか?
ドアの向こうにいるんでしょうか。

●下町のネコさんたちとの出会い

4階建てのアパートが立ち並ぶ下町を歩きました。
いました、いました!
それも4匹まとめて。

その動きから飼い主がいないネコさんですね。

ネコさんの近くに、おばちゃんたちが立ち話。
ネコさんたちが話題になっているらしく、
ネコさんにも、なにやら話しかけています。
ネコさんも逃げる様子がなく、回りをうろうろ。
可愛がられている様子が見えます。

●おーい、みんな撮ってもらいなさい!

私は、カメラもって近づいていきました。

「写真撮っていいですか?」

おばちゃんたちは、いっせいに
「あ!撮ってくれるって、いいなぁ」と
ネコさんを呼び集めてくれました。
「写真を撮ってくれるんだって」

専門のカメラマンでもないのに、少し照れます。

でも、そこは捨て猫さんたち、カメラにしっかり警戒しています。

「このネコとあのネコは親子なの」

「そうなんですか。そういえば、顔が似てますね」

「これは♂だから、顔がやさしい」

「・・・?」

「あ、クロがいた!おいおい、撮ってもらいなさい!」

クロは警戒心が一番強いらしいのです。
逃げ場となっている溝から顔を少しだしただけで、
遁走してしまいました。

●ありがとう!

4匹のネコさんに数枚づつ撮り終えると、
お礼をいうと、
おばちゃんたちは、いっせいに「ありがとう!」といって
送り出してくれました。

なんか晴れ姿をとってもらう親・・・という感じでした。

ネコってやっぱり、下町の生き物です。
家のなかで飼ってもらっていなくても、
愛されて、人間とともに生きています。
首輪のない姿がとても自然で誇らしく思えました。

(・・・でも、ちょっとやせてるなぁ)

4匹いますので、公平に一枚づつアップします。
まずは、逃げ足の速い「クロ」(勝手につけた名前)から

団地の捨て猫さん その2 茶トラさん2007/06/11

その1の続きです。

飼い猫・捨て猫って言い方は変かも知れませんね。
この4匹のネコさんは、家の中にはいないし、
特定の飼い主もいないけれど、
エサはちゃんともらっています。
全く人間から見捨てられたわけではありませんから。

茶トラのこのネコさんは♂です。
横切るときに、しっかり見ました。

親子のネコさんたちが警戒して、
団地のフェンスから外へでてこなかったのに、
茶トラくんは、平気で外へ出てきました。
私の横をゆっくり横切って、
コンクリートの上にごろり。

おいおい、飼い猫みたいだなぁ。

その姿には見飽きているので、親子ネコさんを撮っていると、

「ねえねえ、この姿みて、面白いよ」と
おばさんたち二人が撮影を催促。
あの~、私の家には、モー♂というこれらのネコさんの
2倍から3倍大きなネコがいて、その格好は見慣れているんですけど。
といいたかったのですが、
まあ、笑顔で近寄って撮影しました。

近づいても逃げないんだねぇ、キミは。

団地の捨て猫さん その3 ♀ネコはきつい顔?2007/06/11

おばちゃんはいいました。

「あのネコは♀だから、きついんだよ」

なるほど、きつい顔ですね。

お母ちゃんネコなんですね。
隣りにいるのが、息子さんね。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)