お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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琵琶湖岸なぎさ公園の風景2007/06/12

気持ちの良い6月の一日。子ども連れのカップルがなぎさ公園を散歩しています。

崩れる地域 : ショッピングセンターの閉鎖Ⅲ2007/06/12

倒産し、閉鎖されたショッピングセンターの
ワコー石山店を見てきました。

この店の近くには、平和堂もあり、コンビにもあります。
地域にとっては、致命的な欠落ということにはならないと
思えます。

ですから、住民の必要という点からも、採算という点からも、
再開は厳しいのかも知れません。

崩れる地域 : ショッピングセンターの閉鎖と再開Ⅳ2007/06/12

閉鎖されたワコーは8店舗。
そのなかで、晴嵐店だけは、別のお店として再出発していました。

しかも、盛況。

平日の午後3時だというのに、駐車場は満杯。
駐車場係りのガードマンは、「もう入れません!」と
叫んでいました。

都市型訓練施設 : 金武町レンジ42007/06/12

●都市型訓練施設を見る

上の写真は、金武町のレンジ4に建設された施設です。
私が自分の目で見たのは、滋賀県高島市の饗庭野(あいばの)演習場(日米共同訓練基地)のものです。2005年11月に、視察に同行し、見ることができました。その後、増設されたというので、その様子を確かめたいと願っています。
 そのとき撮影できたあいば野施設の写真は、いくつかアップしたいと思います。

●金武町のレンジ4

金武町にも都市型訓練施設の建設されています。
地元から激しい抗議と反対の声のなかでです。

 ネットで「都市型訓練施設」で検索して、沖縄の施設の写真をフリーで提供されているサイトを見つけました。
 上の写真は、そのサイトに掲載されていたものです。
http://page.freett.com/aienar/main/range4.htm
金武町のレンジ4のものです。
自分の見てきた施設とは、様子が違います。
比較のために、アップしておくことにしました。

サイトのホームページは以下のところです。
「沖縄発!役に立たない写真集」
http://gpzagogo.s8.xrea.com/

つぎのような事が書かれていたので、
写真をお借りしました。

『本土から沖縄に来た一旅行者が現地で適当に撮った写真集です。
特に断りを入れてある写真を除き、著作権等は一切放棄します。
個人利用、商用、軍用、医療用、食用、飲用、奥様の昼間のお楽しみ用問わず自由にご利用頂けます。また、承諾確認のメールは必要ありません。
当然ながら加工も自由です。煮るなり焼くなり好きにして下さい。
なお、ご利用になって、特にトラブル等有りましても、当方は一切関知しません。
当サイトの画像、文章の引用をされた場合、Web上、印刷物上問わず、当サイトからという事を明記して頂く必要は全くありません。というか、その前に、人様のお役に立てる様な写真は一切ありません・・』

・・・・役にたつと思うのですが。

都市型訓練施設 : あい場野①4つの訓練棟2007/06/12

ちなみに、あいば野演習場は、旧日本軍時代からの演習場であり、琵琶湖の西・高島市の旧4町村にまたがる本州西日本最大の演習場です。

市街地訓練施設の司令棟を除くと、主な建物は4棟。

 右から、大型店舗やオフィスビルを思わせる箱型の施設。
      地下道からの出口のような施設
      一階建てのコンビや郵便局のような施設。

写真は、2005年11月10日。

都市型訓練施設 : あいば野② 一般のビルを想定2007/06/12

4つの都市型訓練施設で一番大きな建物です。

内部は公開されませんでした。

打ちっぱなしのコンクリートが、いかにも軍用です。

2005年11月10日撮影。

都市型訓練施設 : あいば野③「IMAZU BUILDING」2007/06/12

メイン棟の名称部分をアップしたものです。

上部には、ローマ字で「IMAZU BUILDING」と書かれています。
なるほど、米軍との共同使用施設だけのことはあります。

2005年11月10日撮影。

都市型訓練施設 : あいば野④2007/06/12

4棟のうちの真ん中の2棟を写した写真です。

形は、地下鉄の出口そのものの建造物が見えます。
これが出入りできることは、地下に道路が建設されているということです。

もうひとつは、どこにでもあるファミレスっぽい建物です。

コンクリートで看板をつくっているのは、
お遊びとか税金の無駄使いとかいう異常に、
戦闘訓練のリアルさを物語るものだと思いました。

つぎの写真は、この右の建物の看板をアップしたものです。

2005年11月10日撮影。

都市型訓練施設 : あいば野⑤「レストランIMAZU」2007/06/12

④の一番右の建物の半円形の看板をよく見ると、
「レストランIMAZU」の文字。

子ども連れなどでにぎわうのがレストランのはず。
そんな施設で戦闘が行われることを想定しているのです。

しかも、今、日本へ攻め込む作戦は想定されていません。
米軍も侵攻作戦用の部隊です。

この施設は、海外での米軍との共同戦闘の訓練場であり、
外国の市民を巻き込む市街戦の訓練場なのです。

●どう都市訓練施設に向き合うべきか

自衛隊の海外での戦闘参加を前提とした施設が
着々とわが国で、しかも私が住む街の近くでつくられ、
外国の人々を殺す訓練が実施されてきています。
しかも、この施設がいっそう強化されようとしています。

直接の戦闘地域とは遠いわが国にあって、
沖縄とならんで戦争にもっとも近い
地域のひとつがここにあります。

私は、平和憲法に背くこのような施設と演習の中止を
強く要求するものです。

怨霊じゃない人間はこれが限度です2007/06/12

●ごみ問題(続)

人間は、「呪う」力も、事故を起こさせる力もありません。

でも、地上の「罰」がありましたね。

ほんとうは、ゴミ問題を市民的に議論できる場をもち、
良識とエコ社会の実現が大事だと私は考えます。

「罰」は、「呪い」とちがい、抜け道がいっぱいあります。
怨霊とちがって、どこにでも出没するわけにはいかないですから、
監視もゆきとどきません。

不法投棄に怒りをもつ人が「怨霊」になるのは、
たしかに根拠のあることなのです(笑)。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)