お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「まちづくり三法」見直し実施前に大型店がかけこみ出店しています2007/06/17

 2006年5月に公布された「まちづくり三法」見直し(大型小売店の郊外への出店の一部規制)ですが、実施は2007年11月30日。
 一年半の”猶予期間”に、大型店の出店が増加。いわば駆け込み出店しています。
 15日の衆院経済産業委員会で、日本共産党の塩川哲也議員が明らかにしたものです。
 それによると、大型店の出店は、2003年で86件、2004年が88件ですが、見直しの公布後では11ヶ月で106件となっているそうです。
 (2005年はなぜデータがないのか?)

 滋賀県草津市新浜への西日本最大のイオンモール進出は、まさに「駆け込み出店」です。

「イオンの出店反対」の旗にこめられた思いを考えました2007/06/17

●巨大な力の壁

滋賀県草津市新浜に計画されている巨大な「イオン・モール」
草津市は、市街地調整区域の指定をはずして、
開発許可を出しています。

草津市も、滋賀県も、どのような表現をしようと容認の構えです。
市議会でも、県議会でも、「反対」の声はあがりました。
しかし、それは少数派。
圧倒的な多数で出店は認められていきます。

もちろん、出店に期待する声はあるし、それがあるからこそ
計画が進んでいるともいえます。

「イオン・モール」は、草津市に立地しますが、
大津市と道路をはさんで接している地域です。
影響をうける大津市が口をはさめない仕組みになっている
・・・少なくとも、11月末までは・・・という点が重大な問題なのです。

●立ち向かう力はどうして生まれるのか

原則「出店自由」の街づくり三法に対して、規制を強化した
改正が実施されるまえに、「かけこみ出店」するイオンの動きは、
非難されていいと思います。

「おかしい」と思うことと、「反対」という意思表示の間には、
距離があると思います。
大津市内の街角で、「反対」の旗がはためく場所は、
ほとんどないのが現状です。
では、どうして、この場所だけ、はっきりとした意思表示が
されているのでしょうか?

私は、それを知りたいと思いました。

あまり正確ではない話かも知れませんが、
私が知りえた話は以下のようなものです。

街から歩いて買い物できる
なじみのスーパーがなくなる危機が生まれていました。
それは、そのお店だけの問題ではないはず。
近くの地域の人たちとともに、それを
きっかけに街づくりを考える会がはじまったそうです。
店主さん、従業員さん、近くの人たちが共同しての
努力もはじまりました。
それなりに前進が生まれたときに、
飛び込んできたのが
超大型の「イオン・モール」出店計画です。

これまでの努力をすべて無にするような重大な事件です。

それだからこそ、「街をさびれさせるイオンの出店に反対!!」
という旗がかかげられたのです。

●街がさびれるという意味

街がさびれる・・・・、とくに高齢者が歩いて気軽に
買い物ができる商店街がなくなっていくことは、
たいへんなことなのです。
自家用車をもつ世代にとっては、不便でもないでしょうけれど、
考えてみれば、地球温暖化が問題なときに、
買い物という日常の行為に、車を30分間以上使うというのは、
環境への負荷が大きすぎるはず。
若い世代にとっても、未来の世代にとっても、
車を使わないですむことなら、そのほうがいいのです。

「情報保全隊」問題で、自衛隊に抗議に行きました①2007/06/17

6月15日
陸上自衛隊今津駐屯地に、「あいば野平和運動連絡会」が
「自衛隊情報保全隊による平和・市民運動に対する監視活
動について(申し入れ書)」申し入れを行いました。

高島市役所に要請を行ったそのあとで、自動車に分乗して
自衛隊今津駐屯地に向かいました。
市街から近いとはいえ、森林地帯のなかにあり、
「クマに注意」などの標識をこえて、駐屯地の
門に近づきました。午後3時30分のことです。
通告済みでしたので、入り口には数名が待機していました。
申し入れでしたが、基地の中に入ることを拒否し、
入り口の外でのやりとりとなりました。
写真撮影は、正面からは拒否され、背後からの撮影のみ
許される始末。抗議しましたが、それ以上事態は進みませんでした。

高島市への申し入れについては
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/15/1581907

「情報保全隊」問題で自衛隊に抗議に行きました②2007/06/17

●申し入れ書の内容は以下のとおりです。

自衛隊情報保全隊による平和・市民運動に対する監視活動について(要請)

 陸上自衛隊の情報保全隊が、イラク派兵反対等の平和・市民運動を監視し、その情報を系統的に収集していたことが、日本共産党が陸上自衛隊の内部文書をもとに6月6日発表した『自衛隊による違憲・違法の国民監視活動を告発する』で判明しました。
 この自衛隊の内部文書には、全国で広がったイラク派兵反対運動等について、2003年11月から2004年2月までの間に、陸上自衛隊の各方面情報保全隊から集められた情報、289の団体・個人・報道機関等の活動内容(日時・場所・行動・参加人数等)が克明に載せられており、そこには高島市内(当時郡内)における宣伝活動等についても、概略次のとおり収集されています。
(中略)
 これらの自衛隊による国民監視と情報収集活動は、憲法21条(集会・結社・言論・出版等、表現の自由の保障)、19条(思想・良心の自由の保障)、13条(個人の尊重、生命・自由・幸福追求権の尊重)に違反するものです。
 また、今回の内部文書に添付されているような、自衛隊が一般国民を無断で写真撮影する行為も、国民のプライバシー権を侵害する犯罪行為として糾弾されなければなりません。
 同時に、訓令設置された自衛隊情報保全隊は、自衛隊がもっている情報の流出・漏洩を防止することを目的に設置された部隊であって、一般の国民(市民・団体)を監視・捜査・調査する権限はなく、今回発覚した情報収集活動は、明らかに自衛隊法にも違反するものです。
 市民や団体が、地域と自らの平和と安全をまもるために、イラク派兵反対について意思表示することや自衛隊の演習等に対して苦情や反対を表明することは当然の権利であり、自衛隊が市民や団体の活動を監視・情報収集することは、戦前に軍隊内部の治安部隊として発足した憲兵隊が、国民全体の監視・弾圧機関となっていった暗黒政治の「復活」と云うべきものとして、絶対に認められません。
 また、今回、公職である自治体議員が監視の対象にされ、その活動が国家権力により収集・報告されていたことは地方自治を侵害する行為として許されるものではありません。
 以上の趣旨から、貴職に対して強く抗議するとともに、下記の事項について申し入れます。
                 記
1.違憲・違法な監視・情報収集活動を謝罪し、活動をただちに中止すること。
2.今回判明した分以外の監視・情報収集活動の全容を明らかにすること。
3.あいば野へ、新たに配属された移動監視隊は、違憲・違法な住民監視活動を行わないこと。
  2007年6月15日
                        あいば野平和連絡会
防衛大臣 様
陸上自衛隊中部方面隊総監 様
中部方面隊情報保全隊隊長 様
陸上自衛隊今津駐屯地司令 様

「情報保全隊」問題で自衛隊に抗議に行きました③2007/06/17

「申し入れ」文書を手渡したあとで、
《自衛隊「情報保全隊」による平和・市民運動に対する監視活動に断固抗議する》という抗議文を読み上げました。

対応した自衛隊側は、たった一人。
じっと最後まで直立していました。

「情報保全隊」問題で自衛隊に抗議に行きました④2007/06/17

「あいば野平和連絡会」は、情報保全隊による国民監視について
自衛隊への申し入れ書を手渡し、抗議文を読み上げたあと、
シュプレヒコールをして、この日の行動を終えました。

私も、声をあげてきました。

********新聞報道から************

自衛隊:情報収集問題 13市民団体、中止求め今津駐屯地を訪問--高島 /滋賀

 陸上自衛隊情報保全隊が自衛隊のイラク派遣に反対する市民団体の動向などを収集していた問題で、高島市内の13団体で作る「あいば野平和運動連絡会」が15日、同市今津町の陸自今津駐屯地を訪れ、情報収集活動の中止を申し入れた。

 メンバーら約15人は、同駐屯地の正門前で、表現の自由やプライバシー侵害の恐れがある情報収集活動の謝罪と中止を求めた申し入れ書を読み上げ、川本厳・司令職務室長に手渡した。

 市に対しても同隊の監視活動を中止させるよう求めた。【近藤修史】

毎日新聞 2007年6月16日

なんでネコの挿絵なんだろう?2007/06/17

「平凡なまいにちにも
 しあわせがある
 気づかないだけ」
   ・・・・と書かれているカード。

 これが我が家のある場所に貼り付けてあります。

 もちろん、いい言葉なんですけれど、
 挿絵がネコになっています。

 いままで気づかなかったのですが、
 なんでネコなんでしょうか?
 
 ネコの絵があると、きっと
 これらの言葉が
 よけい説得力がますってことですよね。

 ネコって、そう思われているんですね。
 平凡なまいにちにしあわせを見つけている代表として。

 まあ、そうでないともいえないのでしょうけれど。
 それで思い出すことがいくつかあって、
 それを書いて見たいと思いました。

いっしょに暮らせなかったネコの「ふーちゃん」2007/06/17

平凡な毎日が突然断ち切られて
ネコさんの運命が変わってしまったというお話。

私と結婚前に、カミさんはネコ一匹を飼っていました。
捨て猫なのか、飼い猫なのかわからないような、
放し飼い状態。
しばらくいなくなっても、また帰ってくるという生活。

そのネコの名前は「ふーちゃん」
カミさんがそう呼んでいました。
「ふー」といってもいいんですが。

そのネコは汚い猫(失礼)で、鼻炎を患っては、
いつも鼻汁でカミさんのフトンをべちょべちょにしていたらしい。
それでも、捨てようとか見捨てようとかしないのが、
カミさんらしいですね。
・・・いまのスプレー・うんこまでするモー♂を見捨てないのと同じですね。

モーの話

http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/06/1560903
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/05/28/1539643

「ふーちゃん」のことで、
近所から苦情をもらったことも、たくさんあったそうです。

「あんたところのネコでしょ。いっぱい子猫を生んで!
 この始末どうするの」としかられて、けんめいに謝ったそうです。
・・・実は、ふーって♂なんですよ。
  生むわけはないし、それは別のネコさん。

私と結婚するときに、当然ながら、
ふーちゃんもいっしょにつれてくることになりました。
いっぱいのガラクタのような家財道具とネコをつれて、
カミさんはやってきました。
新婚の家具のほうがよそよそしいですね。

でも、ふーちゃんは、すぐに消えてしまいました。
ネコって、土地になつくものなんですね。

けんめいに探しましたけれど、帰ってきません。
近所のどこかで見つけて、声をかけたんだけど、
きっとあれは、ふーだと思うとカミさんは言いました。

だんだん二人の会話から、ふーの話題が消えていきました。

ネコのことをブログに書くようになって、思い出したのです。

ふーちゃん、ほんとうにどうしたんでしょうね。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)