お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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人に被害をもたらすサルさん ①2007/06/20

高島市から帰る途中で、サルの被害にあったという方を
たずねました。

門に入ろうとしたら、植木鉢がころがっています。
門口ですから、何日も放置されているわけではないはずです。

ベルを鳴らすと、しばらくして出てこられました。
ご挨拶をして、用件をお話しました。

サルが暴れているそうです。

暴れているのは、たった一匹だそうです。
しかし、門のそとに隠れていて、いきなり後ろから飛びかって
驚いた女性が後ろ向けに倒れ、後頭部を強く打って
病院にかつぎこまれるという深刻な被害もでています。

自転車やバイクにのっていても、いきなり飛び掛る。
畑から野菜を盗んできては、ガレージに隠れて
むさぼり食う・・・。
もちろん、家のなかに入り込んできたりします。

それでも対策がうてない状態にあるそうです。

人に被害をもたらすサルさん ②人家に網をつける2007/06/20

サルの被害のお話のつづきです。

このお家を訪問したのは、対策を考えるためにです。

ご近所では、家のガレージにまるごと網をかけて
サルが隠れることができないようにしています。
上の写真がそれです。
しかし、これは解決策にはなりません。

わずか一匹といっても、いつ、どこに現れるか
わかりません。
捕まえることは、困難ですね。

6月21日に「獣害問題を考える集い」が開かれるので、
そこに行ってこようと思います。

★サルの話の日記
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/20/1591154
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/02/1551307
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2004/11/05/1546530

「集団自決」での軍の命令を否定し教科書書き換えを求める文部科学省(沖縄タイムスの記事)2007/06/20

沖縄タイムスが連載記事

本土の新聞では読むことのできない内容や直接的な訴えがある。

*********************************
あいまいな根拠(6月17日朝刊総合1面)
文科省の意見書交付時、検定議論「訴訟」触れず
質疑60分 軍命削除誘導/「強制の記述は困る」「審議会で決定済み」

 「軍からの強制力が働いたと受け止められる記述は困る」。二〇〇六年十二月、東京・丸の内の文部科学省の会議室。文科省職員の教科書調査官が口を開いた。向かいには、呼び出しを受けた高校の日本史教科書の執筆者と教科書会社の編集者ら数人がいた。

 この日、文科省から教科書会社に対し、教科書記述の修正を求める「検定意見書」が手渡されていた。

 数十カ所に及ぶ修正要求のうち、沖縄戦での住民被害をめぐる記述に対し付けられた「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現である」との検定意見に、執筆者の目が止まった。

 「これは一体、どういう意味なんだ」「昨年度までは検定意見が付かなかったのに、理由が分からない」。編集者と思わず顔を見合わせた。

 検定意見書の交付では、調査官と執筆者らのやりとりは二時間と決められている。最初の一時間で執筆者らが検定意見を読み込み、残りの一時間で調査官が質問に答える。

 調査官は参考文献の具体名を挙げながら「『集団自決』では日本軍から公式な命令が出たのではないという見方が定着しつつある」と述べ、ようやく検定意見の目的が「集団自決」に対する日本軍の強制を示す記述削除だと明らかになった。

 その後、執筆者らの質問に答える形で、「日本軍」という主語を消すように記述修正を誘導していった。反論しても「審議会の決定」とはねつける。数十に及ぶ検定意見の一つ一つを細かく議論する余裕もなかった。

 こうして、沖縄戦での「集団自決」に対する日本軍の強制という「事実」は、あっさりと教科書から消された。

 文科省は日本軍の強制を示す記述削除について、国会などで繰り返し「沖縄戦時の慶良間諸島での『集団自決』における軍命の有無をめぐる訴訟」を理由に挙げている。だが、検定意見書交付の際には訴訟は理由に挙がっておらず、ある教科書執筆者は「本年度の検定で削除する理由を説明するため、後付けで考え出した言い訳」とみる。

 文科省は「教科用図書検定調査審議会で、この検定意見への議論はなかった」とも説明するが、ある文科省関係者は「審議会で社会科を担当する第二部会では異論も出たはず」と首をかしげる。

 関係者によると、一部の委員から「このような検定意見をつけて大丈夫なのか」と懸念の声が上がった。しかし、日本史担当者が「いまは軍命の有無がはっきりせず、学会でも議論になっている」と説明したという。ここでも訴訟は理由に挙がってこない。

 文科省が、今回の教科書検定で沖縄戦における「集団自決」に関する参考文献の一つに挙げている「沖縄戦と民衆」の著者で、沖縄戦の研究を続ける林博史・関東学院大教授は「著書では(『集団自決』は)日本軍の強制と誘導によるものであることを繰り返し強調している。これが検定の理由にされているとしたら心外だ」と怒る。

 さらに「軍の強制を否定するような研究は過去二十年間をみても皆無だ」と指摘した。(社会部・吉田啓)

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)