お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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Арсений Тарковский. Жизнь семьи и история рода2007/06/23

アルセニー・タルコフスキーについて書かれた本を見つけました。

Арсений Тарковский. Жизнь семьи и история рода

著者は、 П.Д. Волкова。

出版社は。 Подкова, Эксмо-Пресс, 2002 г.
Твердый переплет, 224 стр.
ISBN 5-04-010283-6
Тираж: 5100 экз.
Формат: 60x90/16

本の紹介は以下のとおりです。

Книга о замечательном поэте и переводчике Арсении Тарковском включает в себя не только рассказ о его жизни и творчестве, дружбе со многими известными литераторами, среди которых были и Анна Ахматова, и Марина Цветаева. В книгу вошли ранее не известные широкому читателю материалы о жизни нескольких поколений этой семьи: впервые публикуются письма к Тарковскому его первой жены, матери Андрея и Марины Тарковских, а также, основанный на собранных в различных российских архивах документах, рассказ о предках поэта, игравших на протяжении столетий заметную роль как в политической, так и в культурной жизни России. В издании воспроизводятся уникальные фотографии из семейного архива и фотографии, предоставленные фондом Андрея Тарковского.

写真で見るロシア帝国2007/06/23

上のタイトルのサイトを見つけた。
チャイコフスキー、リスト、リムスキー=コルサコフなどの写真もある。

http://all-photo.ru/empire/index.ru.html

「焼畑商業」になる可能性もありますね2007/06/23

琵琶湖大橋の大津側の湖岸には、かつて
「琵琶湖タワー」遊園地がありました。
しかし、2001年8月31日で閉鎖。
その跡地の活用が問題となっていました。
一時、場外馬券場にする計画も浮上しましたが、
住民の反対などで中止。
いまは、「イズミヤ」が開店しています。

郊外型の大型ショッピングセンター「イズミヤ」の進出によって
百貨店ダイエーは撤退し、閉店となりました。

http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/16/1583384
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/16/1583396
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/16/1583409
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/16/1583420

フードショップ・ワコー真野店も閉鎖

http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/16/1583349
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/16/1583359

大型店の進出と交通問題:琵琶湖大橋と近江大橋2007/06/23

駆け込み申請し、オープンにこぎつけようとしている
草津市新浜のイオン・モール計画。
立地は、近江大橋のたもとであり、交通渋滞地域。
しかも、住宅地に隣接しています。

http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/15/1580942

イズミヤは規模は少し小さいですが、それでも
琵琶湖大橋のたもとという類似点があります。
琵琶湖大橋付近も、イズミヤ進出前も交通渋滞がありました。
しかし、その土地は、琵琶湖タワーという遊園地があり、
最盛期には交通混雑を作り出していましたので、
今回がとくに目新しい現象がおきるというものではありません。
直接接する住宅街もない関係から、反対はあったものの
スムースに開店したと思われます。

写真の左手にイズミヤの建物。
正面が琵琶湖大橋に向かう道路です。

かけがえのないリヒテルの世界 : ラフマノニフ前奏曲集2007/06/23

1970年代に
リヒテルさんが納得するまで時間をかけて
スタジオ録音したもの。

ラフマニノフの前奏曲は、
全曲を演奏も録音もしてはいません。
1950年代から、ライヴ録音もありますが、
曲目は同じです。

旧幽霊ビルと新幽霊ビル その12007/06/23

琵琶湖岸に名物があった。
その名前は、幽霊ビル。
場所は、大津市下阪本。雄琴の近くである。

1970年の大阪万国博覧会へのお客を当てこんで
建設をはじめたものの、資金がつづかず、
10階ぐらいのホテル(となるはずのビル)が
コンクリート打ちっぱなしのまま放置された。

これが、爆破されることとなり、
見物に行ったことを覚えている。

今日、その付近を通過した。
その場は、現在、駐車場となっており、
周りは草におおわれている。

信号で止まったチャンスに車のなかから
シャッターを切った。
もう少し前に停車できたら、駐車場となっている姿が見えたのに。

でも、有名となったビルは、影も形もないことはわかる。

●もうひとつの幽霊ビル

この場所を通るまえに、もうひとつ。
幽霊ビルがあるのだ。

旧幽霊ビルと新幽霊ビル その22007/06/23

これも車から撮った写真。
堅田のダイエー百貨店である。
外見が変わったわけではない。
閉店しても、まだガラスが割れるほど荒れてはいない。

だから、閉店にすら気づかず通りすぎることが多い。

しかし、先日、周囲を歩いて回って、
やはり異様さが胸に迫ってきた。
その付近だけ、生命感がないのだ。
これは、日記にも書いたし、写真もある。

http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/16/1583384
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/16/1583396
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/16/1583409
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/16/1583420

●これは「幽霊ビル」と呼ぶべきですね

今日は土曜日。
車の渋滞が続いていて、街としては生きている。
その生きている姿のなかに、機能のうえでは死んだビルがある。

心にぐっとくるものがあって、車のなかから写真を撮った。

・・・さらに南下して下阪本を通過し、
昔あった幽霊ビルの跡地にきたとき、
自分が感じていることがわかった。

そうそう、生きた街中に幽霊がいる不気味さを
車から写したかったのだと。

「焼畑商業」の遺跡を追って コンビニ編 その1の①2007/06/23

●焼畑商業とはなにか?

《古くなって売り上げが伸びなくなった店舗は即刻閉店し、閉店店舗を上回る数の新規出店を続けることによって企業全体としての収益を確保する》
---これを、矢作弘さんは「焼畑商業」と呼んでいる。
     『大型店とまちづくり』(岩波新書) 6㌻

《焼畑商業は、市場主義の立場からはまっとうな判断である。非難されることではない。しかし、稼ぐだけ稼ぎ、その影響で地域の商店街が衰退しきったころに、「店舗効率が悪くなったので撤退します」では、地域社会はたまらない。》(同10㌻)

大津市北部は、集落とは離れたところに、コンビニが出来ていた。
それは、国道161号線を通過する車を目当てに出店したものだと思う。
 しかし、いったんコンビニが出店すると、車で通勤する、もしくは車で生活する住民の大事な生活上のアイテムとなる。
 JR駅前に出店したコンビニは、車ではなく、JRを使う人たちにとって、便利な存在となる。
 そうして、コンビニに依存し、それに支えられてなりたっていく生活が生まれるが、突然、市場主義の立場から、失われることになる。

高島市から南下しながら、大津市のそういう遺跡をいくつか見てきた。

①は、旧志賀北部、161号線に面したコンビの遺跡である。

「焼畑商業」の遺跡を追って コンビニ編 その1の②2007/06/23

●「焼畑商業」の遺跡

 「焼畑商業」については、
 ↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/23/1599279

旧志賀町北部の161号線に面したコンビニである。

このコンビニは、まだ閉店して年月がたっているように見えない。

これを見ていただいた人で
情報があれば、メールでください。

「焼畑商業」の遺跡を追って コンビニ編 その2の①2007/06/23

「焼畑商業」の遺跡を見てきた。
  「焼畑商業」については、
   ↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/23/1599279

え!?これは、「びわこバレイ」?
http://www.biwako-valley.com/green_season/

問題の「遺跡」は、このゲートの正面。
道路をはさんだ反対側にあります。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)