お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
「焼畑商業」の遺跡を追って コンビニ編 その4 ― 2007/06/24
「焼畑商業」の遺跡を追って、大津市の北から南下。
湖西線と国道161号線が交差したあとは、旧志賀町の
比較的人口の多い地域に入ります。
いったん通り過ぎましたが、これもそうだと思い
車を止めて、撮りました。
湖西線と国道161号線が交差したあとは、旧志賀町の
比較的人口の多い地域に入ります。
いったん通り過ぎましたが、これもそうだと思い
車を止めて、撮りました。
これが大津市最北端のショッピングセンターかな? ― 2007/06/24
「焼畑商業」の遺跡を追って、高島市側から南下してきました。
大津市北部は、比良山系と琵琶湖にはさまれた細長い土地。
琵琶湖にせりでた道路ひとつで南北がつながっている箇所が
あるなど、ヘビやみみずのような地形です。
人やモノの動きは、JR湖西線、湖西道路(自動車のみ)をのぞけば、
国道161号線が唯一の幹線です。
この道路を南下してたわけですが、つぎつぎに
閉店したコンビ遺跡を見て、気分が暗くなります。
そんなとき、和邇平和堂を見て、ほっと安心。
おお元気にやっている。
南北に細長い旧志賀町でこれが唯一のショッピングセンター??
北部の人たちの生活は、どうなんでしょうか?
自給自足ではないし。
大津市北部は、比良山系と琵琶湖にはさまれた細長い土地。
琵琶湖にせりでた道路ひとつで南北がつながっている箇所が
あるなど、ヘビやみみずのような地形です。
人やモノの動きは、JR湖西線、湖西道路(自動車のみ)をのぞけば、
国道161号線が唯一の幹線です。
この道路を南下してたわけですが、つぎつぎに
閉店したコンビ遺跡を見て、気分が暗くなります。
そんなとき、和邇平和堂を見て、ほっと安心。
おお元気にやっている。
南北に細長い旧志賀町でこれが唯一のショッピングセンター??
北部の人たちの生活は、どうなんでしょうか?
自給自足ではないし。
ガソリン・スタンドは、セルフか閉店か?? ― 2007/06/24
和邇平和堂の前、しかも161号線沿いとなると便利な地点。
しかし、ガソリン・スタンドは閉店しています。
どんなことがあったのかわかりません。
しかし、閉店したまま、つぎの展開が見えません。
そこに、街の経済の活力がなくなっていくことを感じるのです。
いい悪いの問題ではなくて。
しかし、ガソリン・スタンドは閉店しています。
どんなことがあったのかわかりません。
しかし、閉店したまま、つぎの展開が見えません。
そこに、街の経済の活力がなくなっていくことを感じるのです。
いい悪いの問題ではなくて。
「焼畑商業」の遺跡 ショッピングセンター ― 2007/06/24
国道161号線を、大津市を北から、小松学区、木戸学区、和邇学区、小松学区、堅田学区を通過してきて、雄琴学区へ。
そこで、ショッピングセンターの遺跡を見つけました。
161号線沿いのいい場所なのに閉店しています。
写真の左手ですが、かすかに店名が見えます。
その前の交差点を渡ってくる老婦人が二人。
ビニール袋を重そうに運んでいます。
そこで話をしてみることにしました。
「こんにちは、あのお店はつぶれたんですね」
「ええ」
「買い物に不便じゃないですか?」
「あのね、近くに移っただけなの。買い物するなら、
教えてあげましょうか?」
「いえいえ」
少し北に移転したんでしょうか?
これって「焼畑商業」そのもの?
そこで、ショッピングセンターの遺跡を見つけました。
161号線沿いのいい場所なのに閉店しています。
写真の左手ですが、かすかに店名が見えます。
その前の交差点を渡ってくる老婦人が二人。
ビニール袋を重そうに運んでいます。
そこで話をしてみることにしました。
「こんにちは、あのお店はつぶれたんですね」
「ええ」
「買い物に不便じゃないですか?」
「あのね、近くに移っただけなの。買い物するなら、
教えてあげましょうか?」
「いえいえ」
少し北に移転したんでしょうか?
これって「焼畑商業」そのもの?
「焼畑商業」の遺跡を回った私の感想です ― 2007/06/24
大津北部の「焼畑商業」の遺跡めぐりを、雄琴学区で一区切りにします。
ちなみに、「焼畑商業」とは、もうかれば出てきてその地の他のお店を壊滅させ、もうからなくなったらたちまち消えていく・・・そういう地域のくらしに責任をもたない商業のあり方を批判的に名づけているのです。
また別の日にしてみたいと思います。
「焼畑商業」の遺跡というタイトルで書いたのは、以下のもの。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/23/1599279
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/23/1599287
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/23/1599299
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/23/1599311
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/23/1599324
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/23/1599330
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/23/1599333
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/24/1601317
「崩れる地域」というタイトルでも、いくつかアップしました。
そこで、全体的な感想を書いて見ます。
目に映る風景も、問題意識をもたないとそのまま過ぎるだけでした。
「焼畑商業」という言葉を知り、そのことを心にとめて、
まちを眺めたとき、いままでばらばらに存在したものが、
ひとまとまりの流れとして、映るようになってきました。
住民に便利なものを提供しながら、たちまち消えてしまうお店。
あとには、呆然とした住民と見苦しい「遺跡」
そのお店が出店したために、旧来から地域を支えていた別のお店が
廃業に追い込まれてしまったとなったら、一時的に便利になっただけと
すますわけにはゆきません。
もうかると思えば出店し、もうからなければ閉店。
出店したことによって生まれた影響についても、
閉店したことによって生まれた影響についても、
無関心な行動・・・それは批判されるべきものではないでしょうか。
市場主義の立場からして、当然だと居直ることができる
世の中ではないと思います。
それでもなお勝手だと主張するならば、
市場主義そのものが裁かれることになるのです。
住民あってこその企業のはずですから。
ちなみに、「焼畑商業」とは、もうかれば出てきてその地の他のお店を壊滅させ、もうからなくなったらたちまち消えていく・・・そういう地域のくらしに責任をもたない商業のあり方を批判的に名づけているのです。
また別の日にしてみたいと思います。
「焼畑商業」の遺跡というタイトルで書いたのは、以下のもの。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/23/1599279
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/23/1599287
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/23/1599299
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/23/1599311
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/23/1599324
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/23/1599330
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/23/1599333
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/24/1601317
「崩れる地域」というタイトルでも、いくつかアップしました。
そこで、全体的な感想を書いて見ます。
目に映る風景も、問題意識をもたないとそのまま過ぎるだけでした。
「焼畑商業」という言葉を知り、そのことを心にとめて、
まちを眺めたとき、いままでばらばらに存在したものが、
ひとまとまりの流れとして、映るようになってきました。
住民に便利なものを提供しながら、たちまち消えてしまうお店。
あとには、呆然とした住民と見苦しい「遺跡」
そのお店が出店したために、旧来から地域を支えていた別のお店が
廃業に追い込まれてしまったとなったら、一時的に便利になっただけと
すますわけにはゆきません。
もうかると思えば出店し、もうからなければ閉店。
出店したことによって生まれた影響についても、
閉店したことによって生まれた影響についても、
無関心な行動・・・それは批判されるべきものではないでしょうか。
市場主義の立場からして、当然だと居直ることができる
世の中ではないと思います。
それでもなお勝手だと主張するならば、
市場主義そのものが裁かれることになるのです。
住民あってこその企業のはずですから。
『折り梅』を見ました ― 2007/06/24
2002年のときに、大津市でも自主上映会が行われていました。
http://www.eonet.ne.jp/~family-m/_private/eiga-oriume.htm
私は、残念ながら見ることができませんでした。
DVDをカミさんが借りてきて、見ることができました。
メイキングも見ましたが、それが1時間という長さ。
長さと内容にも驚きました。
感想ですが、下のサイトの記事のなかの言葉に共感しました。
『名古屋市で折り梅の支援の中心になったフリーアナウンサー藤原淳子さん(49)は話す。「いまの映画は宣伝で見に行かされている感じだ。自分の見たいと思う映画を、できる前から応援するのは楽しい」 』
http://www.asahi.com/business/topics/TKY200706210008.html
人の輪が発揮する力の大きさを知らないで、
人生を生きるのは退屈で、つまらないものだと思います。
いったんそれを知ると、その暖かい一体感にひかれて、
またやりたくなるのだと思います。
http://www.eonet.ne.jp/~family-m/_private/eiga-oriume.htm
私は、残念ながら見ることができませんでした。
DVDをカミさんが借りてきて、見ることができました。
メイキングも見ましたが、それが1時間という長さ。
長さと内容にも驚きました。
感想ですが、下のサイトの記事のなかの言葉に共感しました。
『名古屋市で折り梅の支援の中心になったフリーアナウンサー藤原淳子さん(49)は話す。「いまの映画は宣伝で見に行かされている感じだ。自分の見たいと思う映画を、できる前から応援するのは楽しい」 』
http://www.asahi.com/business/topics/TKY200706210008.html
人の輪が発揮する力の大きさを知らないで、
人生を生きるのは退屈で、つまらないものだと思います。
いったんそれを知ると、その暖かい一体感にひかれて、
またやりたくなるのだと思います。
雨の日に 玄関でネコさんがまったり① ― 2007/06/24
雨が降る一日でした。訪問先の玄関で、ネコがまったり。
逃げようとはしません。
まあ、自分の家ですからね。
カメラがなかったので、ケータイで撮りました。
逃げようとはしません。
まあ、自分の家ですからね。
カメラがなかったので、ケータイで撮りました。
雨の日に 玄関でネコさんがまったり ② ― 2007/06/24
もう一匹は、首輪つきですね。
近づいても逃げないかわりに、
迷惑そうな顔つきです。
近づいても逃げないかわりに、
迷惑そうな顔つきです。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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