お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
『ハーメルの笛吹き男』阿部謹也 ― 2007/06/27
BOOKOFFで見つけて買ってきました。
ところで、この本の著者、阿部謹也さんが、去年なくなられました。
ご冥福をお祈りします。
さて私が阿部さんの書かれたものをはじめて読んだのは、
『ドイツ中世後期の世界 - ドイツ騎士修道会史の研究』(未來社, 1974年) でした。それは、ポーランド=リトワニア連合国家、モスクワ大公国、ドイツ騎士団などがからみあう東欧の歴史を描いたほとんど唯一の文献だったからだと思います。
偶然見つけて、繰り返し読みました。
阿部さんの『ハーメルの笛吹き男』は、良く知られた伝説を扱ったものです。
約束を破られた笛吹き男が村中の子どもたちを連れ去るという話です。
《13世紀ドイツの小さな町で起こった、ひとつの小さな事件から生まれたローカルな伝説であるかもしれないが、この伝説は僅かの間に全世界に知られるようになった。1284年に起こったこの事件が何であったにせよ、この頃のハーメルンの人々の悲しみと苦しみが時代を越えて私たちに訴えかけているからであろう。その悲しみと苦しみを生み出した当時の人々の生活に接近するとき、私たちはこの伝説に対する素朴な謎解き的関心や好奇心を越えて、ヨーロッパ社会史の一面に直接触れることになるだろう》(16ページ)
国や君主の争いなどが主題となりがちが歴史学のなかで、
このような伝説にアプローチしたことが私には新鮮でした。
図版などがたくさん使われていますので、楽しめると思います。
ところで、この本の著者、阿部謹也さんが、去年なくなられました。
ご冥福をお祈りします。
さて私が阿部さんの書かれたものをはじめて読んだのは、
『ドイツ中世後期の世界 - ドイツ騎士修道会史の研究』(未來社, 1974年) でした。それは、ポーランド=リトワニア連合国家、モスクワ大公国、ドイツ騎士団などがからみあう東欧の歴史を描いたほとんど唯一の文献だったからだと思います。
偶然見つけて、繰り返し読みました。
阿部さんの『ハーメルの笛吹き男』は、良く知られた伝説を扱ったものです。
約束を破られた笛吹き男が村中の子どもたちを連れ去るという話です。
《13世紀ドイツの小さな町で起こった、ひとつの小さな事件から生まれたローカルな伝説であるかもしれないが、この伝説は僅かの間に全世界に知られるようになった。1284年に起こったこの事件が何であったにせよ、この頃のハーメルンの人々の悲しみと苦しみが時代を越えて私たちに訴えかけているからであろう。その悲しみと苦しみを生み出した当時の人々の生活に接近するとき、私たちはこの伝説に対する素朴な謎解き的関心や好奇心を越えて、ヨーロッパ社会史の一面に直接触れることになるだろう》(16ページ)
国や君主の争いなどが主題となりがちが歴史学のなかで、
このような伝説にアプローチしたことが私には新鮮でした。
図版などがたくさん使われていますので、楽しめると思います。
『わがマレーネ・ディートリヒ伝』鈴木明 ― 2007/06/27
個々ばらばらに知っていた人物や事件がおもいがけなく、
つながっていく面白さを感じています。
スビャトスラフ・リヒテル(1915~1997)は、
魅力的でしたが、謎の多い演奏家=音楽家でした。
1980年代までの演奏は親しみましたが、それ以降は
その生存すら関心をもたなかったのです。
モンサンジョンの『エニグマ』がリヒテルを私にとって
特別の存在にしました。
私のイメージにあった稀代のヴィルトーゾではなく、
最晩年の深い演奏に接することができたのは、この本と
ビデオのおかげです。
その最晩年の演奏で私がとくに好きになったのが、
「マレーネ・ディートリヒ追悼リサイタル」のライヴ盤。
え!?マレーネ・ディートリヒ?
この疑問から、鈴木明『わがマレーネ・ディートリヒ』を読むことになりました。
そこから、
モンサンジョン『リヒテル』(筑摩書房)や
ボリソフ『リヒテルは語る』(音楽の友社)で
ディートリヒの記事を探して、書いた見たのが下の日記でした。
↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/19/1590836
もう一度、『わがマレーネ・ディートリヒ』を読み直して、
いろんな発見をしました。リヒテルへの言及ももう一箇所見つけましたし。
私の発見というのは、ディートリヒの運命とリヒテルの運命のつながりです。
それをどこかで書いてみたいと思いました。
この本は、すこし散漫に書かれているように感じます。
もっと主題を絞って書き込めるはずだと思うのです。
ディートリヒの自伝も読んでみたいと思っています。
つながっていく面白さを感じています。
スビャトスラフ・リヒテル(1915~1997)は、
魅力的でしたが、謎の多い演奏家=音楽家でした。
1980年代までの演奏は親しみましたが、それ以降は
その生存すら関心をもたなかったのです。
モンサンジョンの『エニグマ』がリヒテルを私にとって
特別の存在にしました。
私のイメージにあった稀代のヴィルトーゾではなく、
最晩年の深い演奏に接することができたのは、この本と
ビデオのおかげです。
その最晩年の演奏で私がとくに好きになったのが、
「マレーネ・ディートリヒ追悼リサイタル」のライヴ盤。
え!?マレーネ・ディートリヒ?
この疑問から、鈴木明『わがマレーネ・ディートリヒ』を読むことになりました。
そこから、
モンサンジョン『リヒテル』(筑摩書房)や
ボリソフ『リヒテルは語る』(音楽の友社)で
ディートリヒの記事を探して、書いた見たのが下の日記でした。
↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/19/1590836
もう一度、『わがマレーネ・ディートリヒ』を読み直して、
いろんな発見をしました。リヒテルへの言及ももう一箇所見つけましたし。
私の発見というのは、ディートリヒの運命とリヒテルの運命のつながりです。
それをどこかで書いてみたいと思いました。
この本は、すこし散漫に書かれているように感じます。
もっと主題を絞って書き込めるはずだと思うのです。
ディートリヒの自伝も読んでみたいと思っています。
アレクサンドル・ヴェルチンスキーのノスタルジア ― 2007/06/27
鈴木明『わがマレーネ・ディートリヒ』を読むまでは、知りませんでした。
アレクサンドル・ヴェルチンスキーという俳優を。
この本の第三章は、いささかゴシップ的な興味をそそる
題名になっています。
つまり、「ディードリッヒをとりまく20世紀の華麗な男性像」
ここに、ディートリヒと交友関係をもったヴェルチンスキーが登場します。
ディートリヒとの関係はともかく、私が興味をもったのは
つぎのことです。
つまり、ヴェルチンスキーは、帝政ロシア時代は、有名な俳優。
革命後、ロシアを去り、ロンドン、パリ、ベルリンなどをさまよう。
《しかし、「ソ連」ではなく、「祖国、ロシアの大地」への郷愁は、
彼の求めた自由をも上回るものであった。ヴェルチンスキーは
アメリカを去ったあと、上海で白系ロシア人の許に身を寄せ、
そこから思い切って「赤色ロシア」へ帰っていった。「祖国」は、
この西欧化されたタレントを、再び第一線で起用することは
なかった。》(128~129㌻)
まさに、『ノスタルジア』の世界です。
このヴェルチンスキーは、ソ連で娘ができたのです。
それが、アナスターシャ・ヴェルチンスカヤ。
ソ連映画の『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』、『ハムレット』に
登場するあの女優さんです。
上のDVDは『ハムレット』ですが、オフェリア役が彼女です。
アレクサンドル・ヴェルチンスキーという俳優を。
この本の第三章は、いささかゴシップ的な興味をそそる
題名になっています。
つまり、「ディードリッヒをとりまく20世紀の華麗な男性像」
ここに、ディートリヒと交友関係をもったヴェルチンスキーが登場します。
ディートリヒとの関係はともかく、私が興味をもったのは
つぎのことです。
つまり、ヴェルチンスキーは、帝政ロシア時代は、有名な俳優。
革命後、ロシアを去り、ロンドン、パリ、ベルリンなどをさまよう。
《しかし、「ソ連」ではなく、「祖国、ロシアの大地」への郷愁は、
彼の求めた自由をも上回るものであった。ヴェルチンスキーは
アメリカを去ったあと、上海で白系ロシア人の許に身を寄せ、
そこから思い切って「赤色ロシア」へ帰っていった。「祖国」は、
この西欧化されたタレントを、再び第一線で起用することは
なかった。》(128~129㌻)
まさに、『ノスタルジア』の世界です。
このヴェルチンスキーは、ソ連で娘ができたのです。
それが、アナスターシャ・ヴェルチンスカヤ。
ソ連映画の『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』、『ハムレット』に
登場するあの女優さんです。
上のDVDは『ハムレット』ですが、オフェリア役が彼女です。
レマルク『西部戦線異状なし』 ― 2007/06/27
映画『西部戦線異状なし』(1930年)は、レマルクの小説をもとにしています。この映画は、第一次世界大戦に従軍したレマルクの実体験に裏付けられた戦争の悲惨さを強く訴えるもので、私も衝撃を受けました。
タイトルは、一人の若い兵士が死亡したにもかかわらず、軍上層部への報告は「異常なし」。悲しくも皮肉なものとなっています。
1930年に日本で封切りされたときは、大幅にカットされてしまい、オリジナルに忠実な形で公開されたのは、ようやく1965年だそうです。
実は、この原作者であるレマルクがディートリヒと深い関係にあることは、鈴木明『わがマレーネ・ディートリヒ伝』を読むまで知りませんでした。
共通の敵=ヒトラーの存在も大きいと思いますが。
二人の息子といっしょに今、見てみたいと思い、書き留めることにしました。
これも、ディートリヒからのヴァリエーションです。
タイトルは、一人の若い兵士が死亡したにもかかわらず、軍上層部への報告は「異常なし」。悲しくも皮肉なものとなっています。
1930年に日本で封切りされたときは、大幅にカットされてしまい、オリジナルに忠実な形で公開されたのは、ようやく1965年だそうです。
実は、この原作者であるレマルクがディートリヒと深い関係にあることは、鈴木明『わがマレーネ・ディートリヒ伝』を読むまで知りませんでした。
共通の敵=ヒトラーの存在も大きいと思いますが。
二人の息子といっしょに今、見てみたいと思い、書き留めることにしました。
これも、ディートリヒからのヴァリエーションです。
ジャン・ギャバンの『望郷』 ― 2007/06/27
マレーネ・ディートリヒからのヴァリエーションです。
ジャン・ギャバンもアメリカに移住したあと、
ディートリヒに世話になったひとりらしいですね。
二人の関係はかなり公然のものだったといいます。
(鈴木明『わがマレーネ・ディートリヒ伝』183㌻)
同時に、戦友でもありました。
ディートリヒが、対ドイツ戦にアメリカが参戦すると同時に、
従軍をするのと同様に、ギャバンもアメリカ軍に参加しています。
ギャバンについての自伝の記述は興味深いものです。
185ページにありますが。
この映画は、繰り返し見たことがあります。
「望郷」というのは、日本版の題名であって、もとの題名はちがいます。
しかし、タイトルにこだわらなくても、亡命先から故国への
思いを断ち切れずにもがく主人公の姿は、強い印象を残します。
そういう経験のない私にに、どこまで、
その思いを共有できるかわかりません。
しかし、戦争や革命と言う個人ではどうしようもない巨大な出来事を
背景にした不条理な運命ということが強い関心を生み出す
根本にあるのだと思います。
ジャン・ギャバンもアメリカに移住したあと、
ディートリヒに世話になったひとりらしいですね。
二人の関係はかなり公然のものだったといいます。
(鈴木明『わがマレーネ・ディートリヒ伝』183㌻)
同時に、戦友でもありました。
ディートリヒが、対ドイツ戦にアメリカが参戦すると同時に、
従軍をするのと同様に、ギャバンもアメリカ軍に参加しています。
ギャバンについての自伝の記述は興味深いものです。
185ページにありますが。
この映画は、繰り返し見たことがあります。
「望郷」というのは、日本版の題名であって、もとの題名はちがいます。
しかし、タイトルにこだわらなくても、亡命先から故国への
思いを断ち切れずにもがく主人公の姿は、強い印象を残します。
そういう経験のない私にに、どこまで、
その思いを共有できるかわかりません。
しかし、戦争や革命と言う個人ではどうしようもない巨大な出来事を
背景にした不条理な運命ということが強い関心を生み出す
根本にあるのだと思います。
『灰とダイヤモンド』のチブルスキー ― 2007/06/27
スビャトスラフ・リヒテル⇒マレーネ・ディートリヒ⇒ズビグニエフ・チブルスキー とつながっていきます。
ずいぶん前になりますが、ポーランドに行きたくて、ポーランド語を教えてもらっていました。あまりいい生徒とはいえませんでしたが。
そのこと偶然だったのでしょうか、このポーランド映画をTVで見ました。
アンジェイ・ワイダ監督の『灰とダイヤモンド』
その主人公を演じたのが、チブルスキーでした。
映画のなかの、いくつかの言葉が理解できてうれしかったのを
覚えています。
1964年に、ディートリヒは、歌手としてポーランド・ツァーを行います。
ディートリヒと共演の約束をかわして、一週間後に
チブルスキーは事故死。
劇的な出会いと別れですね。
(鈴木明『わがマレーネ・ディートリヒ伝』254㌻)
『灰とダイヤモンド』は翻訳も出ています。
ずいぶん前になりますが、ポーランドに行きたくて、ポーランド語を教えてもらっていました。あまりいい生徒とはいえませんでしたが。
そのこと偶然だったのでしょうか、このポーランド映画をTVで見ました。
アンジェイ・ワイダ監督の『灰とダイヤモンド』
その主人公を演じたのが、チブルスキーでした。
映画のなかの、いくつかの言葉が理解できてうれしかったのを
覚えています。
1964年に、ディートリヒは、歌手としてポーランド・ツァーを行います。
ディートリヒと共演の約束をかわして、一週間後に
チブルスキーは事故死。
劇的な出会いと別れですね。
(鈴木明『わがマレーネ・ディートリヒ伝』254㌻)
『灰とダイヤモンド』は翻訳も出ています。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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