お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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第二名神がけずる緑の地 Ⅱ 第二名神工事でした2007/07/03

大津市田上地域の写真です。

緑の山に茶色の帯。
不審に思って近づくと、それはますます巨大な帯になっていきます。
青山にむかう道路をさらに進むと、
土をもって長く連なるなにかを建造しているのがわかります。

その規模の大きさに驚きましたが、
そこではじめて、第二名神の工事現場ということに
思いいたったのです。

周囲の自然とは無関係に出現する道路。
私はそれを見せつけられて、ショックでした。

やがて道路の橋げたがはっきり見えました。

第二名神がけずる緑の地 Ⅲ 橋げたの工事2007/07/03

大津市上田上学区。
第二名神の工事現場を通過しています。

途中から気がついた橋げたは、接近するほどに
巨大になっていきます。

その巨大さは、まわりののどかさ、
古い農村の風景とは、まったく異質のものです。
自然と共存するものかといわんばかりの
威容を見せています。
自然に対決する人間の業をみせつけているようです。

第二名神がけずる緑の地 Ⅳ 橋げたのフォルムは美しいのだが2007/07/03

大津市上田上から青山に向かう道路に
巨大な陸橋がかかっています。
まだ工事中です。
それは、まちがいなく第二名神の工事です。
大阪から滋賀県への工事はできなくなりました。
しかし、滋賀県から先は工事が続いているのです。

この工事以前ののどかな上田上地域を知っているだけに、
汚された気分でいっぱいになりました。

しかし、同時に、この橋げたを美しいと思う自分がいました。

車を止めました。
この橋の大きさと美しいフォルムを
カメラに収めたいと思ったのです。

第二名神がけずる緑の地 Ⅴ 橋と村落のコントラスト2007/07/03

大津市上田上平野にかかる第二名神の橋梁。
自然のなかに屹立する公共工事の威容です。

巨大な橋と集落は興味深い対照を見せていました。

それをカメラを向けました。

いまは静かですけれど、第二名神が開通し、
昼も夜も車、そして大型のトラックが行きかうことになります。
そうなれば、この地域の環境は一変します。

それは、同じ大津市の湖西バイパスの周辺住民の方が
身をもって体験しているところです。

http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/05/27/1537354

そういえば、騒音対策の会ができて、国道事務所と交渉が
行われたときいています。
その結果を報告する集会があるらしい。

これって「二大政党」への世論誘導ではないんでしょうか?2007/07/03

毎日新聞が7月3日に世論調査を発表しました。6月29日と30日に、第一回参院選に関するネットモニター調査をした結果だそうです。
 との設問の第一は「自民、民主両党のどちらかに好感をもっていますか」
 選挙の争点を誘導するものだと私は思いました。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)