お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
なるほど「対話の会」でもあるし、自民党でもあるんですね。 ― 2007/07/25
いっせい地方選挙の前半戦である県議会議員選挙。自民党は、滋賀県では、全国一議席を失いました。http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/05/1555925
その結果、新幹線新駅の「凍結」を容認せざるをえなくなったのです。ダム建設容認とひきかえにという噂は、ありますが。
この県議会議員選挙で、台風の目と持ち上がられたのが「対話でつなごう滋賀の会」、つまり「対話の会」です。この会は、「もったいない」をスローガンにして、嘉田知事を応援すること、そのマニフェストの実現を掲げ、自民党を過半数割れにすると公言していました。http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/22/1597489
しかし、その候補者のなかには、自民党からも推薦を受けている人もいて、その誠実さが疑われていました。
いま参議院選挙真っ最中。高島市の旧高島町で、ある県会議員の事務所を通過しました。その看板を見て、そういうばこの人も、「対話の会」でもあれば、自民党でもあるのだと思い出したわけです。
政党の離合集散が激しいので、忘れがちですが、いまの「民主党」も、旧民主党と自由党が合体してできた政党でした。できた当初は、選挙互助会といわれていたのです。つまり、選挙に通るために、いっしょになったんだと。
私は、新幹線新駅の凍結・中止をやりとげた嘉田知事を評価します。同時に、嘉田さんのマニフェストのすべてがいいと思っているわけではありません。
政治姿勢についていえば、知事選挙にでるときに、自民党にも、民主党にも、共産党にも、社民党にも、推薦をもとめるという態度でした。
新幹線の「凍結」をかかげるならば、「推進」の立場が明確な自民党や民主党の推薦を求めるのは、どうしても理解できないところです。しかし、自民党も、民主党も、嘉田氏の見解をきく会を、現職の国松知事(当時)とともに、もったのです。これもまた、私には、不可解な出来事でした。
その結果、(当然ですが)新幹線新駅問題では折り合いがつかず、自民党も民主党も推薦を見送り、現職の国松知事をおしたてて県知事選挙戦を戦うということになりました。
残りの共産党と社民党と嘉田氏との関係はどうなったのか。
自民党と民主党の推薦がえられないとわかると、さっさと共産党や社民党との協議を打ち切ってしまったのです。共産党との関係では、一致点を見出すのにやりとりがあったのですが、社民党はともかく推薦するという立場は明確でした。ところが、これも取り下げてしまいました。
興味深いことですが、自民党や民主党の政治路線と矛盾する立場に、嘉田知事があったわけではないということなのだと私は理解しました。
話が長くなりましたが、その嘉田知事を支えるという「対話の会」の県議会議員が、参議院選挙で自民党をささえて奮闘するということは、ありえることなのだと私は納得しているのです。
その結果、新幹線新駅の「凍結」を容認せざるをえなくなったのです。ダム建設容認とひきかえにという噂は、ありますが。
この県議会議員選挙で、台風の目と持ち上がられたのが「対話でつなごう滋賀の会」、つまり「対話の会」です。この会は、「もったいない」をスローガンにして、嘉田知事を応援すること、そのマニフェストの実現を掲げ、自民党を過半数割れにすると公言していました。http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/22/1597489
しかし、その候補者のなかには、自民党からも推薦を受けている人もいて、その誠実さが疑われていました。
いま参議院選挙真っ最中。高島市の旧高島町で、ある県会議員の事務所を通過しました。その看板を見て、そういうばこの人も、「対話の会」でもあれば、自民党でもあるのだと思い出したわけです。
政党の離合集散が激しいので、忘れがちですが、いまの「民主党」も、旧民主党と自由党が合体してできた政党でした。できた当初は、選挙互助会といわれていたのです。つまり、選挙に通るために、いっしょになったんだと。
私は、新幹線新駅の凍結・中止をやりとげた嘉田知事を評価します。同時に、嘉田さんのマニフェストのすべてがいいと思っているわけではありません。
政治姿勢についていえば、知事選挙にでるときに、自民党にも、民主党にも、共産党にも、社民党にも、推薦をもとめるという態度でした。
新幹線の「凍結」をかかげるならば、「推進」の立場が明確な自民党や民主党の推薦を求めるのは、どうしても理解できないところです。しかし、自民党も、民主党も、嘉田氏の見解をきく会を、現職の国松知事(当時)とともに、もったのです。これもまた、私には、不可解な出来事でした。
その結果、(当然ですが)新幹線新駅問題では折り合いがつかず、自民党も民主党も推薦を見送り、現職の国松知事をおしたてて県知事選挙戦を戦うということになりました。
残りの共産党と社民党と嘉田氏との関係はどうなったのか。
自民党と民主党の推薦がえられないとわかると、さっさと共産党や社民党との協議を打ち切ってしまったのです。共産党との関係では、一致点を見出すのにやりとりがあったのですが、社民党はともかく推薦するという立場は明確でした。ところが、これも取り下げてしまいました。
興味深いことですが、自民党や民主党の政治路線と矛盾する立場に、嘉田知事があったわけではないということなのだと私は理解しました。
話が長くなりましたが、その嘉田知事を支えるという「対話の会」の県議会議員が、参議院選挙で自民党をささえて奮闘するということは、ありえることなのだと私は納得しているのです。
参議院選挙後に社民党は民主党と連立を検討といいますが ― 2007/07/25
公明党はともかくとして、自民党の大幅議席減が濃厚となっています。そんなときに、社民党が民主党との連立を検討しているというニュースを読みました。これは、危険が賭けだと私は思います。
地方議会での動きを見ていますと、自民党も、民主党も、立場は同じです。選挙で対立してみせることはあっても、終われば、同じ陣営のなかにいます。これは、社民党についてもいえるのです。
びわこ空港や新幹線新駅もそうでした。最近では、たとえば、消費税増税反対の立場の表明を求められると、共産党以外はすべて、値上げやむなしという立場です。4月に当選した市民派の方まで値上げやむなしという態度には驚かされたものです。
ですから、国政だけ別だとは思えません。社民党が民主党とともに連立を組んでも驚くものではありません。
しかし、国政で社民党がかかげている「憲法守れ」という中心的な政策は、この党の存在意義をかけて追及されるべきもののはずです。現に、そういうことを、党首の方が述べておられました。
だとするならば、なぜ、民主党と組むことを急ぐのでしょうか。
平和を守るという信条ですが、軽く見えて仕方がありません。
社民党の母体は、社会党。社会党は、自民党と連立政権を組んで(村山内閣)、自民党以上に日米同盟強化に貢献することになりました。
たとえば、「専守防衛に徹し、自衛のための最小限の実力組織である自衛隊は、憲法で認めるものであると認識する」と村山首相はいってのけたのです。
自らの信条を捨ててまで政権にすがりついた結果、存在意義を失い崩壊したのではないでしょうか。今回もまた、憲法問題でまったく相容れない民主党とともに政権につくことは、その信条の放棄につながる可能性のほうがはるかに大きいのです。
私は憲法九条をまもれとういう立場です。社民党がそのことを掲げていることを歓迎しています。目先の利益のために滅ぶことの危険が目に入らないことは、驚きです。それは、日本の将来のためにいいことではありません。
福島党首がこのブログを読むとは思えませんが、こういう意見にも耳を傾けていただきたいと思うのです。
*******************新聞報道から**************************
<社民党>参院選後は民主と連立も 福島党首が関係アピール
7月22日19時36分配信 毎日新聞
社民党の福島瑞穂党首は22日、テレビ朝日の番組で、参院選後の民主党との協力について「憲法9条を守るという点で民主党が合意すれば連立はありうる」と述べ、参院選後、民主党が政権を目指す局面では連立を含めた協力を検討する考えを示した。
毎日新聞の情勢調査などで民主党が参院第1党になる可能性が有力視される中、選挙協力している民主党との関係強化をアピールしたとみられる。福島氏は「社民党は9条を守る連帯の核になる。民主党にも影響力を行使できる」と説明した。
一方、共産党の志位和夫委員長は同番組で「民主党とは憲法について考え方が違い、政権共闘はできない」と連立にまで踏み込んだ協力は否定。国会での共闘については「(政府・与党が)消費税率を上げるなら、ストップで共闘する」と話した。【山田夢留】
最終更新:7月22日20時8分
地方議会での動きを見ていますと、自民党も、民主党も、立場は同じです。選挙で対立してみせることはあっても、終われば、同じ陣営のなかにいます。これは、社民党についてもいえるのです。
びわこ空港や新幹線新駅もそうでした。最近では、たとえば、消費税増税反対の立場の表明を求められると、共産党以外はすべて、値上げやむなしという立場です。4月に当選した市民派の方まで値上げやむなしという態度には驚かされたものです。
ですから、国政だけ別だとは思えません。社民党が民主党とともに連立を組んでも驚くものではありません。
しかし、国政で社民党がかかげている「憲法守れ」という中心的な政策は、この党の存在意義をかけて追及されるべきもののはずです。現に、そういうことを、党首の方が述べておられました。
だとするならば、なぜ、民主党と組むことを急ぐのでしょうか。
平和を守るという信条ですが、軽く見えて仕方がありません。
社民党の母体は、社会党。社会党は、自民党と連立政権を組んで(村山内閣)、自民党以上に日米同盟強化に貢献することになりました。
たとえば、「専守防衛に徹し、自衛のための最小限の実力組織である自衛隊は、憲法で認めるものであると認識する」と村山首相はいってのけたのです。
自らの信条を捨ててまで政権にすがりついた結果、存在意義を失い崩壊したのではないでしょうか。今回もまた、憲法問題でまったく相容れない民主党とともに政権につくことは、その信条の放棄につながる可能性のほうがはるかに大きいのです。
私は憲法九条をまもれとういう立場です。社民党がそのことを掲げていることを歓迎しています。目先の利益のために滅ぶことの危険が目に入らないことは、驚きです。それは、日本の将来のためにいいことではありません。
福島党首がこのブログを読むとは思えませんが、こういう意見にも耳を傾けていただきたいと思うのです。
*******************新聞報道から**************************
<社民党>参院選後は民主と連立も 福島党首が関係アピール
7月22日19時36分配信 毎日新聞
社民党の福島瑞穂党首は22日、テレビ朝日の番組で、参院選後の民主党との協力について「憲法9条を守るという点で民主党が合意すれば連立はありうる」と述べ、参院選後、民主党が政権を目指す局面では連立を含めた協力を検討する考えを示した。
毎日新聞の情勢調査などで民主党が参院第1党になる可能性が有力視される中、選挙協力している民主党との関係強化をアピールしたとみられる。福島氏は「社民党は9条を守る連帯の核になる。民主党にも影響力を行使できる」と説明した。
一方、共産党の志位和夫委員長は同番組で「民主党とは憲法について考え方が違い、政権共闘はできない」と連立にまで踏み込んだ協力は否定。国会での共闘については「(政府・与党が)消費税率を上げるなら、ストップで共闘する」と話した。【山田夢留】
最終更新:7月22日20時8分
琵琶湖岸にまたも高層マンション建設① ― 2007/07/25
琵琶湖岸にマンション建設計画があり、進行中です。その隣のマンションの住民の方々が反対の運動をしています。窓から、「住民を泣かすな」「我々は全力で闘うぞ!」の文字が見えます。l
巨大な高層マンションの住民たちが、隣にたつ同様のマンション計画に対して、どのような考えで反対しているのでしょうか?私が聴いているのは、たとえば、風害などです。自分たちのマンションでの生活体験が、同様のマンション建設に反対の意思表示となっているということでしょうね。
(写真は7月22日に撮影)
もう少し周辺などに目をむけて見ます。
現在、もう一箇所で反対運動があります。
↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/05/1556014
巨大な高層マンションの住民たちが、隣にたつ同様のマンション計画に対して、どのような考えで反対しているのでしょうか?私が聴いているのは、たとえば、風害などです。自分たちのマンションでの生活体験が、同様のマンション建設に反対の意思表示となっているということでしょうね。
(写真は7月22日に撮影)
もう少し周辺などに目をむけて見ます。
現在、もう一箇所で反対運動があります。
↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/05/1556014
琵琶湖岸にまたも高層マンション建設② ― 2007/07/25
マンション建設反対運動が行われています。
主な担い手は、隣となる大型高層マンションの住民に方です。
建設予定地とマンションの関係がわかりやすいように、すこし引いた位置から写真を撮りました。
主な担い手は、隣となる大型高層マンションの住民に方です。
建設予定地とマンションの関係がわかりやすいように、すこし引いた位置から写真を撮りました。
琵琶湖岸にまたも高層マンション建設③ ― 2007/07/25
反対運動の住民の住むマンションは、湖岸道路に面しています。湖岸道路と琵琶湖の間には、なぎさ公園。そこからマンションを撮影しました。
琵琶湖を見ながら生活できるところにマンションが建っていることがわかります。
琵琶湖を見ながら生活できるところにマンションが建っていることがわかります。
琵琶湖岸にまたも高層マンション建設④ ― 2007/07/25
マンション建設予定地を湖岸道路と反対側から見ると、このようになります。
反対運動の旗をかかげるのは、マンション住民だけではなく、これまであるマンションと新しく建つ予定のマンションにはさまれる家からも、反対の赤いのぼりが見えています。
(写真は、5月22日)
反対運動の旗をかかげるのは、マンション住民だけではなく、これまであるマンションと新しく建つ予定のマンションにはさまれる家からも、反対の赤いのぼりが見えています。
(写真は、5月22日)
琵琶湖岸にまたも高層マンション建設⑤ ― 2007/07/25
湖岸から見ると、大型マンション建設予定地の左手、上の写真は逆方向から写していますから、右手になにやら歴史的な庭園と屋敷があるというのです。写真にも写っている木の茂った庭園のあるところですが、なんでしょう?
(私も自分の街に無知ですね。)
(私も自分の街に無知ですね。)
マンション建設予定地の東には緑地と古風な建物? ― 2007/07/25
高層マンション建設予定地から見ると小さな緑地公園があるように見えています。背景の大きな建物は創価学会のものですね。
マンション建設予定地の隣は「蘆花浅水荘」 ― 2007/07/25
蘆花浅水荘から建設反対のマンションが見えます ― 2007/07/25
建設反対の横断幕そのものは見えませんが、マンションが見えます。このマンションと蘆花浅水荘との間に、大型高層マンションが建設されるのです。
数寄屋造りの建物と庭の風情が失われてしまうと私は思います。
数寄屋造りの建物と庭の風情が失われてしまうと私は思います。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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