お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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琵琶湖博物館にて①2007/08/24

 8月23日は仕事を休みにしました。せっかくの休み、午前中は思い立って、琵琶湖博物館へ。何度も、そこへ行っている息子のH君を誘って出かけました。
 ちなみに私は、二度目でした。
 目的・・・・はとくになく、一日、溜まった疲れで寝てしまうのはもったいないと思ったからです。
 これが入り口。

琵琶湖博物館にて②企画展示「琵琶湖のフナ・コイの物語」2007/08/24

 入るとすぐに目に付くのが、第15回企画展示「琵琶湖のフナとコイの物語」。 チケット売り場で、この展示を見るには別料金とありました。まあ、せっかく来たのだからと全部見ることにしまいた。

琵琶湖博物館にて③水中トンネル2007/08/24

暑いさなかですから、涼しい写真をアップします。
 淡水魚は、海の魚に比べて地味ですね。大きさも小ぶりですし、色もほとんどが黒っぽい。
 ですから、目を奪われるような魚がいるわけではありません。
 魚が好きで、じっくり、見て回るのはいいですが、娯楽でくるのにはいまひとつ。これは、海中トンネルっぽくつくられているゲートですね。
 湖というのは地味なものですから、こんな派手なものはいらないように思いますが。

琵琶湖博物館にて④目が回りそう・・・2007/08/24

目を楽しませてくれる水槽です。
でも、目がくらくらしそう。

琵琶湖博物館にて⑤近づくとよけい目がまわる2007/08/24

近づいて見ると、ほんとうに目がまわりそう。

銅鐸の絵が好きになりました2007/08/24

 琵琶湖博物館で、第15回企画展示「琵琶湖のフナ・コイ物語」を見て回りましたが、いまひとつ・・・私は魚が好きではないので・・・興味を惹かれませんでした。研究者の顔やその作業などが紹介されていて、地味な仕事にも光が当たっていい企画だとは思ったのですけれど。
 私が立ち止まったのは、銅鐸の前。
 古代から、人間は、フナやコイなどを飼っていたことがわかる・・という例示なのですが、私が目を凝らしたのは、文様。
 教科書などでも、見てはいましたが、おお、シンプルで美しい線画だ!と感動したのです。
 亀の絵もいいですね。

気に入ったのはB展示室でした2007/08/24

 琵琶湖博物館は、琵琶湖にかかわるものを多面的に展示しています。A展示室は「琵琶湖のおいたち」、B展示室は「人と琵琶湖の歴史」、C展示室は2Fが「湖の環境と人びとのくらし」、1Fが「淡水の生き物たち」です。
 私が気に入ったのは、B展示室。
 最初に目に飛び込んでくる大きな船。いまの湖国の暮らしにない力強さを感じたのです。
 H君は、たいくつそうでしたけれど。もっとも、H君はうんざりするほどここに来ているのですから仕方がありません。今日は、私のために、お付き合い。

「湖畔の都と万葉集」の写真に注目!2007/08/24

 B展示室に入って、この写真をなにげなく見つめていました。そして、あることに気がついたのです。

 それは・・・現在ある高層マンション群がないということです。

 いったいいつの写真なのでしょうか?

 短歌の短冊がかえって邪魔なのですが。

「『淡海録』に見る大津町絵図」にも興味を惹かれます2007/08/24

 江戸時代(17世紀)の絵図も展示されていました。
大津町というのは、合併して大津市の核となる地域です。現在でも、JR大津駅、滋賀県庁、大津市役所、浜大津港などがある地域。学区で行くと、長等、逢坂、中央の三つ。
 私の実家は長等、現在の居住地は逢坂。
 この絵図が興味深い理由はこれだけでもおわかりいただけると思います。

琵琶湖洪水と南郷洗い堰2007/08/24

琵琶湖に洪水があった・・・しかも、巨大な規模の災害。
その絵図がリアルでした。
そして、琵琶湖の水位を調節する弁にあたる洗い堰。
この工事も明治ではなかったでしょうか。
明治の工事は、レンガ造りが多いですね。
先月、写真を撮るために出かけていったので、よけい興味が湧きます。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)