お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
膳所公園でヒヨドリを撮りました ― 2007/09/01
夏の終わりの浜大津 ― 2007/09/01
夕暮れに浮かび上がる浜大津港とアーカス ― 2007/09/01
ほぼ真北です、浜大津港 ― 2007/09/01
浜大津港から暗いシルエットとなった比叡山が見えます ― 2007/09/01
浜大津から北へ伸びる161号線 ― 2007/09/01
京阪浜大津駅のここから写真を撮っています ― 2007/09/01
浜大津は、昔は交通の要所。
若狭や湖北から琵琶湖を船で浜大津港へ物資を運び、そこから陸路で京都市へという要の位置にありました。
また近代では、湖西地域へ向かう近若鉄道(近江→若狭)の起点となる始発駅がありました。
現在もそうですが、京都と大津をむすぶ京阪電車の大津側の始発駅があるところ。
その浜大津地域の”へそ”のような位置に五角形の大きな屋根をもつ広場があります。それは、2階だけの広場です。
私は、そこにいます。
正面を行くと、京阪浜大津駅の入り口に出ます。
手前にバス停に下りるエレベーターが見えています。
後ろに下がれば、浜大津港へ出る歩道橋。
左手に行けば、アーカスに通じる回廊。
右手に行けば、先の写真に見えていた「コジマ電器」が入っている明日都浜大津ビルにでます。
つぎの写真は、明日都浜大津ビルに通じる道です。
若狭や湖北から琵琶湖を船で浜大津港へ物資を運び、そこから陸路で京都市へという要の位置にありました。
また近代では、湖西地域へ向かう近若鉄道(近江→若狭)の起点となる始発駅がありました。
現在もそうですが、京都と大津をむすぶ京阪電車の大津側の始発駅があるところ。
その浜大津地域の”へそ”のような位置に五角形の大きな屋根をもつ広場があります。それは、2階だけの広場です。
私は、そこにいます。
正面を行くと、京阪浜大津駅の入り口に出ます。
手前にバス停に下りるエレベーターが見えています。
後ろに下がれば、浜大津港へ出る歩道橋。
左手に行けば、アーカスに通じる回廊。
右手に行けば、先の写真に見えていた「コジマ電器」が入っている明日都浜大津ビルにでます。
つぎの写真は、明日都浜大津ビルに通じる道です。
明日都浜大津へ通じる歩道橋 ― 2007/09/01
夏の夕暮れの浜大津交差点 ― 2007/09/01
琵琶湖で、外来カメ(アカスジヤマガメ??)発見! ― 2007/09/02
水草におおわれた琵琶湖岸の水面。そこを眺めていたら、いきなり水草が動く場所がありました。下からなにかが浮上する様子。魚の姿はありません。
カメラをむけて、何枚かシャッターを切った後、正体がわかりました。
カメでした。しかも、赤色とか、黄色の模様がはいった毒々しい色彩がついています。これは、日本のカメではありませんね。
水面に顔を出していましたが、なぜか、数メートル先の橋からカメラを向けている私に気がついたようです。じっと、こちらを見つめています。
一分ぐらいでしょうか。
それから、方向を変えて、水の中に消えていきました。
30センチを超える大きさのように見えました。
家に帰り、ネットで写真を見ながら検索。
輸入しペットとして飼われている「アカスジヤマガメ」ではないかと思うのです。
ブルーギルやブラックバスのような他の魚などを食い荒らす凶暴性はないようですが、いていいはずのない生物ではないでしょうか?
カメラをむけて、何枚かシャッターを切った後、正体がわかりました。
カメでした。しかも、赤色とか、黄色の模様がはいった毒々しい色彩がついています。これは、日本のカメではありませんね。
水面に顔を出していましたが、なぜか、数メートル先の橋からカメラを向けている私に気がついたようです。じっと、こちらを見つめています。
一分ぐらいでしょうか。
それから、方向を変えて、水の中に消えていきました。
30センチを超える大きさのように見えました。
家に帰り、ネットで写真を見ながら検索。
輸入しペットとして飼われている「アカスジヤマガメ」ではないかと思うのです。
ブルーギルやブラックバスのような他の魚などを食い荒らす凶暴性はないようですが、いていいはずのない生物ではないでしょうか?
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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