お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
西南戦争以来の戦争の碑(大津市) ― 2007/09/14
明治維新以来1945年の敗戦まで、
日本はほぼ10年おきに大きな戦争をしてきました。
戦争ばかりしてきたといっていいのかも知れません。
大津市は、明治の近代陸軍が成立するその最初から、
陸軍歩兵部隊がおかれていました。
そのために、大津市は「軍都」となり、
戦争とは切っても切れない関係となりました。
戦争は敵味方の兵士、民衆の屍の山を積み上げていきます。
そのことへの悲しみが、軍都の戦争の碑に
こめられている気がしました。
戦争の碑は、3箇所、8柱。
部隊の碑は、2つありました。
これ以上あるのかは、いまはわかりません。
長年大津市に住みながら、私は、今になってようやく
場所は確認することができたのです。
やっと第一歩が踏み出せたってことでしょうね。
名称と場所をまとめておくと、
部隊の碑は、つぎの二つ。
①陸軍歩兵第九連隊の碑
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/11/1790145
②若鷲の碑
大津陸軍少年飛行兵学校
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/10/1789609
戦争の碑は、つぎの3箇所8柱
それぞれ写真は1枚から数枚アップしていますが、全体が見えるものを選びました。
①西南戦争の碑
名称は、「記念碑」とのみ。
三井寺境内の御幸山の上
明治11(1879)年建立。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/13/1795117
②日清戦争の碑
名称は、「明治廾七八年没忠勇戦死者紀念碑」
蝉丸神社の境内
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/12/1792347
●日露戦争の碑 = 大津陸軍墓地
これは階級別に4種類・4柱あります。
名称は、以下のとおり。
③「明治三十七八年戦没将校同相当戦病死者合葬碑」
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/04/1769240
④「明治三十七八年戦没准士官戦病死者合葬碑」
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/04/1769239
⑤「明治三十七八年戦没下士戦病死者合葬碑」
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/04/1769238
⑥「明治三十七八年戦没兵卒戦病死者合葬碑」
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/06/1775869
⑦第一次世界大戦とシベリア出兵の碑
名称は、「大正四年乃至九年戦役戦病没者之碑」
大津陸軍墓地
大正11(1922)年建立
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/14/1796582
⑧15年戦争の碑
名称は、「大東亜戦戦没者の碑」
大津陸軍墓地
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/12/1792258
日本はほぼ10年おきに大きな戦争をしてきました。
戦争ばかりしてきたといっていいのかも知れません。
大津市は、明治の近代陸軍が成立するその最初から、
陸軍歩兵部隊がおかれていました。
そのために、大津市は「軍都」となり、
戦争とは切っても切れない関係となりました。
戦争は敵味方の兵士、民衆の屍の山を積み上げていきます。
そのことへの悲しみが、軍都の戦争の碑に
こめられている気がしました。
戦争の碑は、3箇所、8柱。
部隊の碑は、2つありました。
これ以上あるのかは、いまはわかりません。
長年大津市に住みながら、私は、今になってようやく
場所は確認することができたのです。
やっと第一歩が踏み出せたってことでしょうね。
名称と場所をまとめておくと、
部隊の碑は、つぎの二つ。
①陸軍歩兵第九連隊の碑
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/11/1790145
②若鷲の碑
大津陸軍少年飛行兵学校
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/10/1789609
戦争の碑は、つぎの3箇所8柱
それぞれ写真は1枚から数枚アップしていますが、全体が見えるものを選びました。
①西南戦争の碑
名称は、「記念碑」とのみ。
三井寺境内の御幸山の上
明治11(1879)年建立。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/13/1795117
②日清戦争の碑
名称は、「明治廾七八年没忠勇戦死者紀念碑」
蝉丸神社の境内
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/12/1792347
●日露戦争の碑 = 大津陸軍墓地
これは階級別に4種類・4柱あります。
名称は、以下のとおり。
③「明治三十七八年戦没将校同相当戦病死者合葬碑」
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/04/1769240
④「明治三十七八年戦没准士官戦病死者合葬碑」
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/04/1769239
⑤「明治三十七八年戦没下士戦病死者合葬碑」
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/04/1769238
⑥「明治三十七八年戦没兵卒戦病死者合葬碑」
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/06/1775869
⑦第一次世界大戦とシベリア出兵の碑
名称は、「大正四年乃至九年戦役戦病没者之碑」
大津陸軍墓地
大正11(1922)年建立
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/14/1796582
⑧15年戦争の碑
名称は、「大東亜戦戦没者の碑」
大津陸軍墓地
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/12/1792258
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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