お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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陸軍墓地の資料は「市の情報公開課へ行ってください」というので行きました2007/09/20

私が陸軍墓地について、知りたいのは、つぎの三つです。
①バイパス開通のために、陸軍墓地はどう形をかえたか
 その前後の図面はあるのか、
②現在の陸軍墓地の墓碑の配置図はどうなっているのか
③埋葬者の名簿はあるのか

 このために、朝、市役所に電話してわかったことは、陸軍墓地の清掃などはボランティアの方々の力も借りて健康福祉政策課が担当していること、しかし、墓地の成り立ちや図面などは、情報公開課に請求くださいとのことでした。
 情報公開制度を使う必要があるのかと思いましたが、あまりつっこまないことにして、情報公開課に向かいました。

 わが家から市役所までは、ごく短い距離。
 しかし、その道筋には、ロシア皇太子遭難の碑や、西南戦争の碑や、第九連隊の碑などがあります。いままで関心を持たなかったことが不思議なくらいの環境です。

 市役所に着いて思い出しました。たしかに今日が、大津市議会の最終日のはず。傍聴しようかどうか、迷いました。今日をのがすとなかなか休日がとれないので傍聴はあきらめ、私用に徹することにしました。

 情報公開課の対応は丁寧でしたが、趣旨を話すと困惑ぎみ。そもそも陸軍墓地については知っている人が少数で、私が知っている本などを見せてもらっても仕方がありません。私の求める資料がそもそもあるのかどうか、市がその管理をしているのか、どこが管理をしているのか、など自問されています。
 結局、らちがあきません。
 それが見えたので、私は、もう一度、管理をしている健康福祉政策課へと向かいました。

 健康福祉政策課の窓口にいくと、ちょうど電話で話をした女性の職員さんが対応してくれました。気になってすこし調べていただいていた様子。
 わかったことは、大津市の健康福祉政策課が清掃などをしているけれど、土地そのものは大津市のものではなく、国の土地だということです。

 「バイパス開通時のお墓の改装の設計図などはありますか」
 「すぐにはわかりません」
 「バイパス前の状態がわかる資料はありますか」
 「土地の所有は国ですから、国が知っているのではないでしょうか」
 「国といっても、具体的にはどこに聞けばいいのですか」
 「すぐ隣にある大津財務事務所です」

そんな近くにあるのを私は知りませんでした。
お礼を行って、市役所から歩いて向かいました。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)