お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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大津旧陸軍墓地の略図を作りました2007/09/21

ジャストシステムの「花子」を使って、略図を描いてみました。
5度行った記憶で書いたものです。

①「明治三十七八年戦没将校同相当戦病死者合葬碑」http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/04/1769240

②「大正四年乃至九年戦役戦病死者之碑」
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/14/1796582

③「明治三十七八年戦没准士官戦病死者合葬碑」http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/04/1769239

④「明治三十七八年戦没下士戦病死者合葬碑」http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/04/1769238

⑤「大東亜戦戦没者の碑」
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/12/1792258

⑥「明治三十七八年戦没兵卒戦病死者合葬碑」
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/06/1775869

⑦http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/04/1769177

⑧http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/04/1769200

⑨「日清日露第一次第二次世界大戦各戦役戦没英霊之供養塔」
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/04/1769215
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/04/1769223

個人のお墓は、A~Mまで(H、I、Jは予備の欠番にした)
黒く塗りつぶしてあるのは、戦前からのもの。
斜線はバイパス用地のために現在地に改葬したもの。

大津旧陸軍墓地 Aブロック2007/09/21

大津陸軍墓地 エリアA
大津陸軍墓地の略図(↓)に従って、ここをAブロックと呼ぶことにします。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/21/1810909

将校クラスの個人のお墓が並んでいます。
陸軍墓地の一番山手。

*このブログをアップした当初は、ブロックといわず、エリアとしていました。
真田山旧陸軍墓地の研究を見ていると、ブロックと呼称されているので、統一したほうがいいと思いましたので、ブロックにしました。
写真の解説は、エリアのままですけど。

大津旧陸軍墓地 Bブロック2007/09/21

大津旧陸軍墓地 エリアB
大津陸軍墓地の略図(↓)に従って、ここをBブロックと呼ぶことにします。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/21/1810909

上から見ると、一番下の右手です。

15柱の個人のお墓があります。

大津旧陸軍墓地 Cブロック2007/09/21

大津旧陸軍墓地 エリアC
大津陸軍墓地の略図(↓)に従って、ここをCブロックと呼ぶことにします。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/21/1810909

18柱の個人の大小のお墓があります。
この写真からは、他のお墓の陰に隠れているものもあります。
角度が難しい。

大津旧陸軍墓地 Dブロック2007/09/21

大津陸軍墓地 エリアD
大津陸軍墓地の略図(↓)に従って、ここをDブロックと呼ぶことにします。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/21/1810909

『大東亜戦戦没者の碑』があるところです。

個人のお墓が19柱あります。

大津旧陸軍墓地 Eブロック2007/09/21

大津旧陸軍墓地 エリアE
大津陸軍墓地の略図(↓)に従って、ここをEブロックと呼ぶことにします。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/21/1810909

ほぼ中央の位置している墓地です。
整然と並んでいます。
数はこれから確認しますが、100数十にのぼると思います。

奥に見えるのは、『大東亜戦戦没者の碑』
右手が山、左手が琵琶湖の方向です。

大津旧陸軍墓地 Fブロック2007/09/21

大津旧陸軍墓地 エリアF
大津陸軍墓地の略図(↓)に従って、ここをFブロックと呼ぶことにします。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/21/1810909


場所は、国有地。Eブロックの琵琶湖側にあります。

このブロックは、階級なしの個人の名前のみの墓があるところです。
数行の碑文もついていて、生年月日も、生地も、召集された年月も、
書かれています。
「明治十年応召集」の文字も見えます。
風雨にさらされ解読が困難になっています。

大津旧陸軍墓地 EブロックとFブロック2007/09/21

大津旧陸軍墓地 エリアEとエリアF
EブロックとFブロックを上から撮った写真です。
向こう側が琵琶湖です。

手前がEブロック。
奥がFブロック。
その大きさの違いがわかると思います。

大津旧陸軍墓地 Gブロック(ロシア人兵士の墓のみ)2007/09/21

大津旧陸軍墓地 エリアG(ロシア人兵士の墓)手前右
大津陸軍墓地の略図(↓)に従って、ここをGブロックと呼ぶことにします。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/21/1810909

写真では、手前右の木の陰にあるたった一柱しかない部分です。
をGブロックと呼びたいと思います。
ロシア人兵士(捕虜)のお墓です。
他とは区別されています。

以上、A、B、C、D、E、F、Gは、国有地。
大津市に無償貸与されているそうです。
これは、戦前と同じ状態だと思われます。

大津旧陸軍墓地 KブロックとLブロック2007/09/21

大津旧陸軍墓地 エリアKとエリアL
大津陸軍墓地の略図(↓)に従って、これらをK、Lと呼ぶことにします。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/21/1810909

Aブロックから見下ろして撮った写真です。
手前がKブロック、
左手がLブロックです。

この部分は、バイパス開通のために、移動して、
改葬された部分です。
その記念碑が真ん中に建っていますね。

所有も国有地ではありません(大津財務局談)

写真の右手にFブロックとEブロックがあります。
E,Fとの関係がわかりやすい写真はこれ↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/20/1809842

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)