お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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エリ(置網)にも藻がこびりついている様子ですね2007/09/26

琵琶湖のエリにもからみつく藻
エリは、錨のような形に網を張り、魚の習性を利用して、入ったら出られなくしてとる漁法。
その網をはる細い杭が並んでいますが、そこにも、藻がからみあっていますね。
 表面の藻がきれたところから、水底が見える??
 あ、それって気になりますね。

藻の切れ目から水底が見える!2007/09/26

南湖の湖水。藻のあいまからのぞく水底
藻の切れ目から水底が見えます。
南湖の平均水深は4メートルに過ぎません。
北湖は40メートル!!10倍ですね。
湖の汚れも南湖のほうが深刻。

それはそうと、これって水の汚れ(富栄養化)が
原因で表面に藻が生えるってことなら、
生えた藻を除くと水質はよくなっているってことでしょうか?
まるで、ナウシカの腐海の植物みたいに。

溝の上を歩いているハクセキレイ発見!2007/09/26

地上をあるくハクセキレイ
膳所公園。
珍しくハクセキレイに近づくことができました。
空を飛ばず地上を熱心に歩いています。

ハクセキレイってこんなに小さい。探してください。2007/09/26

築山の土手を歩くハクセキレイ
道路にあきて、築山の土手に上がりました。
ハクセキレイって、こんなに小さいんです。

というか・・・どこにいるかわからないでしょ。

クリックして拡大表示で探してください。

ハクセキレイは、200ミリのレンズでやっとこの大きさ2007/09/26

どこを見てるんだろう、このハクセキレイ。
200ミリの望遠レンズは、私に技術がないので、
ブレた写真ばかりになってしまいます。

ハクセキレイは、やっとこんな大きさ。

ハクセキレイがなにかをくわえています2007/09/26

なにかをくわえたハクセキレイ
やっと虫でも見つけたのでしょうか?
なにかをくわえています。

もっと大きく撮りたいのですあg、
これ以上近づくと、飛び立っていくんです。

短い昼休みですが、けっこう膳所公園は楽しめます。

晴れてよかったです。

「生兵」の意味2007/09/26

 「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」小田康徳先生とはじめて電話でお話をして、いくつか新しいことを知りました。
 その一つが、「生兵」という言葉の意味です。

 上の写真は、旧大津陸軍墓地のLブロックで見ることのできる墓碑です。
 Lブロックには、Eブロックにはない階級が出てきます。
             ちなみに、Eブロックでは「陸軍上等兵」
                            「陸軍一等卒」
                            「陸軍二等卒」
                            「陸軍輜重輸卒」など。

 これらにない階級とは、「生兵」です。

 「これはなに?」と疑問には思っていましたが、
 偶然、小田先生との会話なかで、先生の口から出てきたのです。
 ナマヘイって読むのかどうか、確かめることなく、
 終わったのは残念でしたが。
 
 「生兵」とは、正式な階級をもらうまえに
 訓練中に死亡した(病死)兵隊のことだったのです。

 未熟でもあり、過酷な訓練で死亡することも結構あったらしいのです。

 この話をきくまではなんとも感じなかった墓碑銘なのですが、あらためて、遺族の無念さを感じることだと思います。

旧大津陸軍墓地 Lブロックのお墓に簡易IDをつける2007/09/26

6行目  3柱 ■■■
5行目 15柱 ■■■■■■■■■■■■■■■
4行目 20柱 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
3行目 20柱 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
2行目 20柱 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
1行目 20柱 ■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■

正面に立ってみたら、↑の感じです。合計98柱。
手前から行数をふるほうが合理的だと思います。

一つだけ□がありますが、別に変わった墓碑という意味ではありません。
たとえば、この□の位置を、「L0105」としたいのです。
つまり、Lブロックの1行目の左から5番目。
01としたのは、Eブロックが11行あるのでそれにあわせました。
05としたのは、一行に20柱ありますので、桁数を合わせるため。

まずは、Lブロックでこの方法でやってみたいと思います。

旧大津陸軍墓地 L 手前一行目の墓碑2007/09/26

「陸軍看護一等卒」と刻まれた墓碑
Lブロックで、はじめて出会った階級は、「看護卒」
上の写真は、L0106
読み取れるでしょうか?

「砲兵」(0118)については、自信がありません。

L0101 陸軍歩兵二等卒
L0102 陸軍歩兵一等卒
L0103 陸軍二等看護卒
L0104 陸軍二等看護卒
L0105 故陸軍歩兵一等卒
L0106 陸軍上等看護卒
L0107 陸軍歩兵一等卒
L0108 陸軍歩兵二等卒
L0109 陸軍歩兵一等卒
L0110 歩兵一等・・
L0111 ほとんど解読不可
L0112 陸軍歩兵二等卒
L0113 ほとんど解読不可
L0114 陸軍歩兵一等卒
L0115 陸軍歩兵一等卒(ほとんど読み取り困難だが)
L0116 ほとんど解読不可
L0116 線は読み取れても字として不明
L0117 陸軍歩兵二等卒
L0118 砲兵・・・のような気がする
L0119 ほとんど解読不可
L0120 ほとんど解読不可(石が粗い)

旧大津陸軍墓地 L 手前二行目の墓碑2007/09/26

階級と氏名が同じおおおきさの墓碑
Lの二行目の墓碑を読み取るのに苦労しています。
写真は、L206。例外的に読み取りやすい墓碑銘です。
それにしても、「陸軍」がつかない碑がここでは多いです。
バラバラな印象。

L0201 歩兵二等卒 読み取り困難  氏名は大きな字で読める
L0202 歩兵二等卒 読み取り困難  氏名は大きな字で読める
L0203         読み取り困難  氏名は大きな字で読める     
L0204 歩兵一等卒           氏名は大きな字で読める
L0205 二等卒 *氏名は二行目に大きく
L0206 歩兵二等卒  氏名も階級も同じ大きさ
L0207 陸軍歩兵?等卒
L0208 陸軍歩兵一等卒
L0209 歩兵一等卒
L0210 歩兵一等卒
L0211 歩兵??
L0212 確信もっていえない文字
L0213 歩兵二等卒
L0214 陸軍歩兵一等卒
L0215 陸軍歩兵二等卒
L0216 ほとんど読み取れない
L0217 ほとんど読み取れない
L0218 「釈」の文字?? 
L0219 歩兵一等卒 (かろうじて)
L0220 歩兵二等卒

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)