お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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旧大津陸軍墓地 L 手前三行目の墓碑2007/09/27

「故」がついている墓碑もある
ほとんどのお墓には「故」がついていません。
ここの行のお墓は、珍しく2つに「故」が入っています。

上の写真は、L0317


L0301 歩兵二等卒  そう読めると思います
L0302 歩兵二等卒
L0303 解読困難
L0304 最後の字が「兵」と読める  氏名は対照的に明確に読める
L0305 最後の字が「卒」と読める。 氏名は対照的に明確に読める
L0306 歩兵二等卒          氏名は対照的に明確に読める
L0307 歩兵一等卒          氏名は対照的に明確に読める
L0308 歩兵一等卒(無理して読めば)氏名は対照的に明確に読める
L0309 最初の字は「歩」       氏名は対照的に明確に読める
L0310 無理に読めば「歩兵」    氏名は対照的に明確に読める
L0311 看護卒生兵
L0312 歩兵二等卒  氏名と同じ大きさの文字
L0313 生兵
L0314 二等看護卒  氏名と同じ大きさの文字
L0315 歩兵二等卒
L0316 故生兵 *故がついている
L0317 故歩兵一等卒 *故がついている
L0318 歩兵二等卒
L0319 歩兵二等卒
L0320 生兵

旧大津陸軍墓地 L 手前四行目の墓碑2007/09/27

「二等卒」とだけ書かれた墓碑
いまのところ、どの表示が旧いのかどうかわかりません。
以下の三つは同じ階級をさすものと思われます。
しかし、表記がちがいます。

「陸軍歩兵二等卒」
「歩兵二等卒」
「二等卒」

上の写真は、一番短い表記の墓碑です。
L0401

L0401 二等卒
L0402 陸軍歩兵二等卒
L0403 歩兵二等卒
L0404 生兵
L0405 歩兵二等卒
L0406 生兵
L0407 生兵 (と読める)
L0408 歩兵二等卒
L0409 歩兵二等卒
L0410 歩兵二等卒
L0411 歩兵一等卒
L0412 歩兵二等卒
L0413 生兵(と読める)
L0414 歩兵二等卒
L0415 歩兵か生兵か読み取り困難
L0416 歩兵一等卒
L0417 歩兵二等卒 *草書体に見える
L0418 歩兵二等卒
L0419 歩兵二等卒
L0420 歩兵二等卒

旧大津陸軍墓地 L 手前五行目の墓碑2007/09/27

「上等卒」と書かれた墓碑
Lブロックの五行目は最後から二つ目の行にあたります。
1行目から4行目までは、20柱づつ並んでいました。
この行は、15柱です。
右から5つの列が抜けているのです。

上の写真は、L0514
「上等卒」を書いてあります。
Eブロックでは、「陸軍上等兵」はあっても、「上等卒」はありせんでした。

L0501 陸軍二等卒
L0502 歩兵二等卒
L0503 生兵
L0504 二等兵卒
L0505 生兵
L0506 生兵
L0507 二等兵卒
L0508 生兵
L0509 二等兵卒
L0510 二等兵卒
L0511 生兵
L0512 二等兵卒
L0513 二等兵卒
L0514 上等卒
L0515 二等卒

旧大津陸軍墓地 L 手前から六行目(最後の行)の墓碑2007/09/27

旧大津陸軍墓地 Lブロック第6行の墓碑
最後の行は、3柱だけです。

L0601 二等卒
L0602 陸軍歩兵一等卒
L0603 一等卒

パンダが空を飛ぶわけないけど、これはなに?2007/09/27

なんだろ、このトリ。サギのように全体が白くない。羽は濃い茶色?
パンダは、冗談です。
サギだと思って見ていたら、
羽が黒い??
胴体は、白い。

なんだろこのトリ?

かなり拡大しましたが、まだ見にくいので、
クリックして拡大表示を使ってください。

歯が痛くて眠れない!!2007/09/27

昨晩から奥歯が痛くて寝られない。

原因は、親知らず。
春のときは、抜かなかったのだけど、
また、痛み出した。

今日、休みをもらって、かかりつけの歯医者さんへ。
朝一番に予約をお願いしたら、午前中になんとかなった。

レントゲンをとると、親知らずが伸びて
奥歯と骨のなかの神経を圧迫している

抜くにしても、当座は、親知らずをけずってもらった。

「手術のときは、麻酔でいいけれど、
しばらくすると痛みます」とのこと。

そして、化膿止めと痛み止めをもらう。
うがい薬も。

昼食はまだ食べてないけれど、どうしよう。
痛みのないうちに食べるのが一番かな。

「旧陸軍墓地」の情報公開を求めに大津市役所へ2007/09/27

 ちょうど一週間前に、大津市役所と大津財務事務所の間を堂々めぐりして、陸軍墓地のことを調べていました。
 バイパス工事のために、旧大津陸軍墓地は、559柱中237柱が移動し、改葬されるという大手術をうけていることがわかりましたから、元の形が知りたくて出かけていったわけです。
 要領をえないまま帰宅をしましたが、大津財務事務所で、大津市が提出した改葬関係の図面があることがわかりました。それが最大の成果で、559柱全部が今のところにあったこと、所有権のちがいなどが鮮明になりました。
 今日は、その図面を含む資料を情報公開で求めることにしたのです。

 歯医者の予約をしたあと、診療までの短い間に、市役所へ飛んでいきました。 今度は、迷わず、市政情報課の窓口に行き、用紙に記入し、公開を求めました。
 情報課から「担当の課は?」と聞かれませので、「健康福祉対策課」と答えました。すると、そこから、課へ問い合わせ、担当者に来てもらうことになりました。
 しばらく待つと、課から2名の方が、二つの大きなファイルと図面の束をもって登場されました。

 私はすぐにそこに、求めていたものがあるのがわかりました。

 実は、陸軍墓地の問い合わせがあったあと、気になった調べていただいていたとのことでした。
 「もう一人別の人からも問い合わせがありまして、ファイルを探して見つけたのを片付けないで、置いておいたのです」
 (もう一人ってだれ?私は二度問い合わせたので私かな?)

 図面も大きいし、資料もかさむので、奥の広い部屋に案内されて、そこで説明してもらいながら、求めるもとを探しました。
 
 最後に、情報公開で送ってもらいたいものを確認して・・・予約していた歯医者に向かいました。

成果その1 すべての墓碑の階級・氏名の名簿がありました2007/09/27

当たり前のことなので、報告しなくてもいいのかも知れません。
それでも、見つからなかったのですから、いいでしょう。

 階級名と氏名を記入した名簿が残っていました。
 ワープロのない時代ですから、手書きの名簿。
 いまは使わない青焼き用ですね。

 あったことにほっとしました。

成果その2 移動前の写真が残っています2007/09/27

 モノクロ写真ですが、バイパス工事で移動するまえの、陸軍墓地の姿が写真として残っていました。

 ただ不思議な写真が数枚あります。

 それは、上海事件陣歿者合葬碑と満州事変陣歿者合装碑の写真です。

それぞれ巨大なもので、旧大津陸軍墓地にはありません。
カラー写真まであります。

 これが大津市にあるなら、どこにあるのか?
 大津市のものでないなら、なぜ、このファイルのなかにあるのか?

 担当者の方も首をかしげられています。

成果その3 移動前と移動後の位置がわかる図面がありました2007/09/27

私が求めていたものがそのままありました。

①バイパス工事前の陸軍墓地のそれぞれのお墓の位置をしめす図面
   全体図と部分図
   各墓碑にナンバーが打ってあります。

②移動後の図面
   これにもナンバーが打ってあります。

 これをその場でいただけなかったのは残念。

 健康福祉情報課の2名の方は、思いを共有してもらえたし、気持ちのよい対応でした。情報課は、形どおり。審査し15日後うんぬんの話でした。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)