お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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旧大津陸軍墓地 :Cは病死された方が埋葬されたブロックか?2007/09/30

階級が読み取れたので、墓石に刻まれている碑文を読むことにします。
そこには、没年月日と場所以外に書かれているものもあります。

C0105 石
C0106 陸軍歩兵軍曹    大正12(1923)年11月24日病死
C0107 陸軍歩兵軍曹    大正12(1923)年8月20日没
C0108 故陸軍歩兵曹長   大正8(1919)年10月25日没

C0201 文字消失
C0202 陸軍歩兵軍曹    明治39(1906)年1月2日死
C0203 陸軍歩兵軍曹    明治36(1903)年5月31日死
C0204 陸軍歩兵伍長    明治3?年?月?7日
C0205 陸軍歩兵曹長    明治34(1901)年7月17日
C0206 陸軍歩兵軍曹    明治33(1900)年7月16日
C0207 陸軍歩兵軍曹   明治33(1900)年11月7日
C0208 陸軍歩兵軍曹   明治30(1897)年6月11日

C0302 故歩兵伍長    明治18(1885)年10月17日病死
C0303 歩兵軍曹     明治17(1884)年8月8日
C0304 故歩兵曹長    明治17(1884)年2月21日 19歳
C0305 歩兵軍曹     解読不可能
C0306 歩兵伍長     解読困難
C0307 陸軍伍長     解読困難
C0308 陸軍曹長     明治11(1878)年7月3日終没

それぞれの碑文を読んで、推察すれば、戦争によって戦死した方というよりは、平時に病没された方がこのCブロックに埋葬されているのではないかと思います。

旧大津陸軍墓地:Cブロックから見る埋葬の順序2007/09/30

明治11年から大正12年まで病没した下士官の墓地(旧大津陸軍墓地)
埋葬の順序が、墓石に刻まれている年月日から、わかります。
私のつけた番号とは、行も列も逆の順序になるのです。

写真でいくと、右手前が一番古いお墓となり、
その左に順番に葬られています。
余地がなくなると、その前へいき、また右から左へ。

具体的には、
一番奥が右から左へ、明治11年から18年
次がその前へ行って、また右から左へ、明治30年から明治39年
さらに前へ、右から左へ、明治9年から12年

  ⑦⑥⑤④③②①
?⑭⑬⑫⑪⑩⑨⑧
       ⑰⑯⑮

埋葬場所の順番に例外がないなら、
年月日の読めない墓碑も推察することが可能になります。

この点、Bブロックとはちがいます。

Cブロックの謎=ただ置かれているだけの石と読めない墓碑2007/09/30

墓碑が解読できない病没した下士官の墓碑
一番手前の左に、墓石がおかれるはずの位置に、石がひとつあります。
写真はこれ↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/29/1827407

これはなに?

これがひとつの謎。

もうひとつは、読めない石碑。
文字が書かれているように見えます。
・・・でも解読できません。

夕方に撮影したせいかも知れませんが。

場所は、明治30年代の病没者の行の一番左にあります。

旧大津陸軍墓地 : Dブロックの墓碑の配置2007/09/30

 A(将校),B(戦没・戦病没した下士官・准士官),C(病死した下士官)と見てきて、今度は、Dブロック。

配列は、つぎのようになっています。

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■  7柱
■ ■ ■ ■ ■ 欠 ■  6柱
■ 欠 ■ ■ ■ ■ ■  6柱
       ↓
      正面

欠というのは、きれいに配列されているのですが、
あるはずの場所に墓碑がないという意味です。
最初からあって失われたという意味ではありません。
(その可能性はありますが)

それぞれにふる番号ですが、B,Cと同じ方法にします。
お墓の古い順にはなりません。
あくまで、正面から見てさがすのに便利な方法として選んだだけです。

上の配置どおりにいくと、

D0301  D0302    D0303  ・・・・
D0201  D0202    D0203  ・・・・
D0101  D0102(欠) D0103  ・・・・

旧大津陸軍墓地 :Dブロックに埋葬された人の階級2007/09/30

まずは、階級名を確定。
没年月日はすぐに読めるものだけにします。

D0101 故陸軍歩兵軍曹 大正8年4月21日
D0102 (空白)
D0103 陸軍歩兵軍曹 大正2年10月30日
D0104 故陸軍砲兵曹長 大正7年11月7日
D0105 陸軍歩兵軍曹
D0106 陸軍歩兵軍曹
D0107 故陸軍歩兵軍曹

D0201 読解困難
D0202 読解困難
D0203 軍曹
D0204 故陸軍歩兵一等軍曹
D0205 陸軍歩兵一等軍曹
D0206 (空白)
D0207 陸軍々曹       *山手向き

D0301 陸軍歩兵曹長 
D0302 歩兵伍長
D0303 陸軍歩兵伍長 病没 明治15年9月14日
D0304 陸軍歩兵軍曹 
D0305 陸軍歩兵伍長
D0306 陸軍歩兵伍長 
D0307 陸軍歩兵伍長

モー♂ネコはノミとり用のクシが好きなのか?2007/09/30

臆病なモー♂ネコをつかまえてノミとり。なぜかおびえていない?
ムー♂ネコが病気になり、病院にいったとき、
ノミがいるといわれた。
ムー♂ネコは、とったけど、もう一匹巨大なヤツが、わが家にいる。

ムー♂ネコよりも、ふた回り近く大きいのに、
臆病ですぐ逃げてしまう。

そこをカミさんが捕まえて・・・ノミとり。

でも、なんか平気な顔してる。

弱虫モー♂ネコが、前足つかまえても、泣き声をあげずにいる2007/09/30

こんな格好になりながら、気持ちがいいのか
逃げる様子もない。
ネコは、ノミとりのクシが好きなのか?

首を押さえられても、ノミとりは気持ちいいってことですね2007/09/30

カミさんが、首をおさえて、シャッシャッとクシを入れています。
こんなになっているのに、まだ逃げる気配がない。

飼い主の声がするだけで、逃げ出すくせに。

この状態で簡単に持ち上がらないモー♂ネコでした2007/09/30

カミさんが抱いているのが、モー♂ネコ。
減量効果が、ムー♂の病気のおかげで(いいえさを豊富にあげたので)
薄れている。

抱いたとき、ズシッとくる感じ。
ネコはやわらかいので、重さが全体にかかってくる。

このまま持ち上げると腰痛になる。

彼岸花2007/09/30

彼岸花
今朝は雨。
いつも日曜日の朝は早くから動きだす。
晴れているとうれしいのだけど、そういう日ばかりではない。

朝6時まえごろに、部屋の中で悲鳴がした。
・・・モー♂ネコがカミさんの足にお漏らしをしたのだ。

どんなに悲鳴を上げても、もうたまらない!と思っても、
ネコを責めないカミさん。
ネコを捨てれば簡単なのに、捨てるのはいつも布団の方。

私はあきらめるしかない。

とりあえず、目覚まし代わりの悲鳴。
フロで足を流して、布団をいそいで始末しているカミさんは
気の毒だけど・・・。

外は明るくなってきたけれど、
建物も、木々も、花もしっぽりぬれている。

目の覚めるような花があった。
私が名前がわかるごく少数の花のひとつ。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)