お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「鉄道工夫」の墓石(日清戦争):真田山陸軍墓地から2007/10/05

「鉄道工夫」の墓石
くりかえし書きますが

真田山陸軍墓地だけにある「軍役夫」の墓地
民間人が軍隊のために、戦争を支える様々な役割を
担って、中国大陸へ渡ったことを物語っています。

「鉄道工夫」の墓石。
具体的にそれ以上わかりません。

「台湾総督部鉄道工夫」の墓石(日清戦争):真田山陸軍墓地から2007/10/05

「台湾総督部鉄道工夫」の墓石(日清戦争)真田山陸軍墓地から
★真田山陸軍墓地だけにある「軍役夫」の墓地
 民間人が軍隊のために、戦争を支える様々な役割を
 担って、中国大陸へ渡ったことを物語っています。

「鉄道工夫」とだけの墓碑もありましたが、
このお墓は、より具体的です。
これは、軍役夫の果たした役割が重要であり、
軍としても敬意をもたざるをえなかったということでは
ないかということでしょうか?

「朝鮮国漁隠洞兵站司令部機関手」の墓石(日清戦争):真田山陸軍墓地から2007/10/05

「朝鮮国漁隠洞兵站司令部機関手」の墓石(日清戦争):真田山陸軍墓地から
★真田山陸軍墓地だけにある「軍役夫」の墓地
 民間人が軍隊のために、戦争を支える様々な役割を
 担って、中国大陸へ渡ったことを物語っています。


「朝鮮国漁隠洞兵站司令部機関手」とはなにか?
よくわかりません。
階級の代わりに、具体的に書いてあります。
それだけに、様々な役割をはたす人を必要とし、
その犠牲の上に、戦争がなりたつことがわかります。

「第二師団司令部馬丁」の墓石(日清戦争):真田山陸軍墓地から2007/10/05

「第二師団司令部馬丁」の墓石(日清戦争):真田山陸軍墓地から
★真田山陸軍墓地だけにある「軍役夫」の墓地
 民間人が軍隊のために、戦争を支える様々な役割を
 担って、中国大陸へ渡ったことを物語っています。

本来ならば、軍隊そのものが担うべき様々役割を
急ごしらえの明治の陸軍単独では、果たすことができません。
そのために、民間人を「軍役夫」として戦場にともなって
出征しました。

「馬丁」も軍人ではないのですねぇ。

「官船鉄島丸厨夫」の墓石(日清戦争):真田山陸軍墓地から2007/10/05

「官船鉄島丸厨夫」の墓石(日清戦争):真田山陸軍墓地から
★真田山陸軍墓地だけにある「軍役夫」の墓地
 民間人が軍隊のために、戦争を支える様々な役割を
 担って、中国大陸へ渡ったことを物語っています。

この墓石は、輸送船のコックさんかなんかの方のものだと思われます。

船とともに亡くなられたのでしょうか?
それとも病気。

いずれにしても戦地でなくなられてわけです。

ティー・ブレイク2007/10/05

10月になったけれど、街をしばらく歩くと
じわりと体が暑くなる。

手軽なお店を見つけて一休み。

カロリーを気にして、アイスティーだけにしようと思ったけれど、
レジの隣にわざわざ置いてあるパン、
NEWの文字に負けてしまった。

晩飯を少し削らなくては。

東海道の名残という「へ」の字屋根2007/10/05

「へ」の字屋根。街道沿いの家が軒並みこうだったらしですが、今は。
まちづくりを話題にしていたとき、
「膳所(大津市の一学区)の”三不思議”を知っている?」
と聞かれました。

私は、知りませんでした。

苗字の「山本」がなく、「山元」が多いこと、
中二階、そして「へ」の字屋根。

説明されたご当人はサイトにアップしていました。
http://www.biwa.ne.jp/~osamu-y/zezenomati.html

それを、ティーブレイクからの帰り道に思い出し、
旧東海道を歩いて仕事場に戻りました。

全体を歩くなんてできません。
ごくわずかな道を歩きましたが、
結局、見つけたのはこのお宅だけでした。

なるほど、「へ」の字ですね。

情報公開で旧大津陸軍墓地の地図を入手2007/10/05

1976年のバイパス開通で
半分が改葬されることになった旧大津陸軍墓地。
開通前と開通後の配置図があることがわかり、
9月27日に大津市情報公開課に書類を提出し、
公開を求めていました。
10月3日に連絡があり、5日、つまり今日受け取りにいきました。

9月27日に見た写真は入っていませんでしたが、
必要な名簿と地図のコピーは、手に入れることができました。

これをもとに、原型再現をしてみたいと思います。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)