お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
秋芳洞に発光ダイオード ― 2007/10/11
今日は休日。
のんびりBSを朝から見ていたら、NEWSで
(民主党の安全保障政策をめぐる内紛の他に)
秋芳洞の保全のために、蛍光灯の代わりに、
発熱量が少ない発光ダイオードを使う実験が
行われていると言っていました。
今年の3月に秋吉台に行ったことを
思い出したのです。
はるか昔、修学旅行で行ったときと
現在の洞窟の感じが変わっていたの
ですが、そのことはあまり書く気には
なれませんでした。
昔の記憶があてにならないんじゃないかと
思ったからです。
今日、このNEWSを聴いたとき、
やはり、環境が悪化していたんだと
思ったのです。
ほとんど真っ暗のなか、フラッシュを
たよりに撮影した写真をいくつか
アップします。
まず、これは秋芳洞の天井の写真。
なんか、茶色っぽいですね。
のんびりBSを朝から見ていたら、NEWSで
(民主党の安全保障政策をめぐる内紛の他に)
秋芳洞の保全のために、蛍光灯の代わりに、
発熱量が少ない発光ダイオードを使う実験が
行われていると言っていました。
今年の3月に秋吉台に行ったことを
思い出したのです。
はるか昔、修学旅行で行ったときと
現在の洞窟の感じが変わっていたの
ですが、そのことはあまり書く気には
なれませんでした。
昔の記憶があてにならないんじゃないかと
思ったからです。
今日、このNEWSを聴いたとき、
やはり、環境が悪化していたんだと
思ったのです。
ほとんど真っ暗のなか、フラッシュを
たよりに撮影した写真をいくつか
アップします。
まず、これは秋芳洞の天井の写真。
なんか、茶色っぽいですね。
茶色なの?鍾乳石って? ― 2007/10/11
秋芳洞の「大松茸」・・・表面が溶けている? ― 2007/10/11
表面の黒い鍾乳石 ― 2007/10/11
秋芳洞の石の表面に緑のコケも見えますね ― 2007/10/11
大津陸軍墓地で最高位は草場彦輔少将の墓碑 ― 2007/10/11
草場彦輔少将 について ― 2007/10/11
日露戦争の陣立てのなかに、草場少将の名前があります。
後備第一師団
鴨緑江軍所属
後備第一師団長 阪井重季中将
後備第一師団参謀長 橋本勝太郎中佐
後備第一師団高級副官 志岐守治少佐
後備第一師団後備歩兵第九旅団長 比志島義輝少将
後備第一師団後備歩兵第七連隊長
後備第一師団後備歩兵第十九連隊長
後備第一師団後備歩兵第三十六連隊長 橋本秀則中佐
後備第一師団後備歩兵第六旅団長 草場彦輔少将 ←
後備第一師団後備歩兵第十三連隊長 石黒千久之助中佐
明治37年10月10日 鈴木常武中佐
後備第一師団後備歩兵第二十三連隊長 面高俊一中佐
後備第一師団後備歩兵第四十八連隊長
後備第一師団
鴨緑江軍所属
後備第一師団長 阪井重季中将
後備第一師団参謀長 橋本勝太郎中佐
後備第一師団高級副官 志岐守治少佐
後備第一師団後備歩兵第九旅団長 比志島義輝少将
後備第一師団後備歩兵第七連隊長
後備第一師団後備歩兵第十九連隊長
後備第一師団後備歩兵第三十六連隊長 橋本秀則中佐
後備第一師団後備歩兵第六旅団長 草場彦輔少将 ←
後備第一師団後備歩兵第十三連隊長 石黒千久之助中佐
明治37年10月10日 鈴木常武中佐
後備第一師団後備歩兵第二十三連隊長 面高俊一中佐
後備第一師団後備歩兵第四十八連隊長
大津市立図書館、「コピーの枚数の数え」って、そんなに大事なんですか? ― 2007/10/11
近くの大津市立図書館に出かけていき、
調べ物をしてきました。
明治44年版と昭和16年版の「大津市誌」に
興味深い記事がありました。
それにしても、図書館の職員の方が
コピーとるのにとても神経質。
以前は、本の名称とページ、目的、
コピーとる本人の名前と住所をいちいち
書く必要がありました。
それもルールだと割り切って事務的に
すませてきました。
今日は、そこまでする必要はなくなりましたが、
誓約書のようなものを書き、
そのあと自分でコピーをとるようにいわれました。
とりあえず、数冊の資料と
コピーする箇所のメモをもって
コピー機に向かいました。
すると、すぐに、
「終われば、持ってきてください。枚数を数えます」
といってきます。
もって行きました。まあ、ルール通り。
また書棚で資料を見つけて、コピーに行くと、
「それも追加ですか」
と聞かれます。
「そうです」
と返事すると、
「数えますのでお願いします」
とまたいわれました。
「どうぞ」
と言い捨てて、コピーへ。
終わると、フロントへコピーを提出。
数え終わるころに受け取りにいきました。
調べ物は続いていて、これいなぁと思って、
時間を考えながら、これで終わろうと
1冊だけもってコピーに向かいました。
するとまた、
「え、コピーつづいているんですか」
「そうです」
「数えますので・・・」
「わかっています」
「さっきのと合計したほうがいいですか、
別々のほうがいいですか」
「どっちでもいいです!」
「コピーのごとに、届出を書いてもらわなくて
ならないので」
「書けといえば、何枚でも書きます。」
私は、もういいかげんにしてくれ状態。
職員が数える都合が優先か、
それとも図書館の機能である資料などの
サービスを市民に提供するのが優先か、
わかっているのですか!と
いいたくなりました。
もしかしたら、司書の資格のない方、
あまり図書館の機能について知識のない方が
担当しているのかも知れませんけれど。
それとも、私の格好が怪しかったのかな?
なにも図書館の機能を知らない変な人に思われたんでしょうか?
調べ物をしてきました。
明治44年版と昭和16年版の「大津市誌」に
興味深い記事がありました。
それにしても、図書館の職員の方が
コピーとるのにとても神経質。
以前は、本の名称とページ、目的、
コピーとる本人の名前と住所をいちいち
書く必要がありました。
それもルールだと割り切って事務的に
すませてきました。
今日は、そこまでする必要はなくなりましたが、
誓約書のようなものを書き、
そのあと自分でコピーをとるようにいわれました。
とりあえず、数冊の資料と
コピーする箇所のメモをもって
コピー機に向かいました。
すると、すぐに、
「終われば、持ってきてください。枚数を数えます」
といってきます。
もって行きました。まあ、ルール通り。
また書棚で資料を見つけて、コピーに行くと、
「それも追加ですか」
と聞かれます。
「そうです」
と返事すると、
「数えますのでお願いします」
とまたいわれました。
「どうぞ」
と言い捨てて、コピーへ。
終わると、フロントへコピーを提出。
数え終わるころに受け取りにいきました。
調べ物は続いていて、これいなぁと思って、
時間を考えながら、これで終わろうと
1冊だけもってコピーに向かいました。
するとまた、
「え、コピーつづいているんですか」
「そうです」
「数えますので・・・」
「わかっています」
「さっきのと合計したほうがいいですか、
別々のほうがいいですか」
「どっちでもいいです!」
「コピーのごとに、届出を書いてもらわなくて
ならないので」
「書けといえば、何枚でも書きます。」
私は、もういいかげんにしてくれ状態。
職員が数える都合が優先か、
それとも図書館の機能である資料などの
サービスを市民に提供するのが優先か、
わかっているのですか!と
いいたくなりました。
もしかしたら、司書の資格のない方、
あまり図書館の機能について知識のない方が
担当しているのかも知れませんけれど。
それとも、私の格好が怪しかったのかな?
なにも図書館の機能を知らない変な人に思われたんでしょうか?
ツマグロヒョウモン♀ ― 2007/10/11
平和を考えるサイトをつくろう! ― 2007/10/11
もともとサイトはもっていました。
↓
http://www.ne.jp/asahi/ponpoko/tanuki/
世紀のピアニストである
スビャトスラフ・リヒテルの非公式サイト
私は、音楽は専門外。
ですから、情報の質に限界はありますね。
それで、更新はもうしていません。
来る人がいていただけるみたいです。
カウンターの数字が動いている・・・。
ブログのように、多面的に書き散らせるサイト・・がいいですね。
憲法守ることが重大な局面にきているから、
憲法を平和を守るのに役立つサイトがいいですね。
でも、自分の思いだけを書き綴るのではなく、
客観的に情報提供ができるサイトがいいと思います。
まずは、大津陸軍墓地の調査に手をつけたのですから、
そこでわかったことを、まとまった形で伝えられる
ようなサイトがいいですね。
ブログでは、どこに書いたのかわかりませんから。
*トップページを試作しました。
でも、センスがないなぁ。
↓
http://www.ne.jp/asahi/ponpoko/tanuki/
世紀のピアニストである
スビャトスラフ・リヒテルの非公式サイト
私は、音楽は専門外。
ですから、情報の質に限界はありますね。
それで、更新はもうしていません。
来る人がいていただけるみたいです。
カウンターの数字が動いている・・・。
ブログのように、多面的に書き散らせるサイト・・がいいですね。
憲法守ることが重大な局面にきているから、
憲法を平和を守るのに役立つサイトがいいですね。
でも、自分の思いだけを書き綴るのではなく、
客観的に情報提供ができるサイトがいいと思います。
まずは、大津陸軍墓地の調査に手をつけたのですから、
そこでわかったことを、まとまった形で伝えられる
ようなサイトがいいですね。
ブログでは、どこに書いたのかわかりませんから。
*トップページを試作しました。
でも、センスがないなぁ。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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