お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

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旅順要塞攻撃の四日間で壊滅した後備歩兵第九連隊2007/10/18

 日露戦争が開始されたとき、後備歩兵第九連隊は、明治37(1904)年3月に召集をうけ、後備歩兵第3旅団のもとに配備。4月27日に、軍旗を拝受。6月27日に出征。連隊長は高城義孝中佐、第一大隊長は加藤経高少佐、第二大隊長は上山正友少佐。
 
 ちなみに、陸軍歩兵第九連隊の方は、4月18日に出征。奥大将の第二軍に配属された。

●乃木大将の第3軍に配属

7月10日に遼東半島に上陸。乃木大将の第三軍に属して、旅順要塞攻撃第一線部隊となる。

●8月21日に攻撃開始

 8月21日に盤龍山東砲台及び東鶏冠山砲台の中間堡塁に向かって、突撃を開始。激烈な砲火のもとで、連隊長・高城義孝中佐、第一大隊長・加藤経高少佐、第二大隊長・上山正友少佐以下、半数以上の兵が戦死。連隊副官我妻鎬太郎が新たに三中隊を編成して、戦闘継続。
24日に、再度、一中隊と一小隊で、望台西北方高地及び盤龍山東西砲台西南砲台にむかって突撃。ほとんどの将兵が死亡。

●8月24日に全滅

 この四日間の戦闘で、後備第九連隊はほぼ全滅した。
 総員1587人中生存者がわずか390名。
3大隊から成立していた連隊を2中隊に編成しなおして、後備部隊となった。

戦死した将校は、
●後備第九連隊長  高城義孝中佐
●第一大隊長     加藤経高少佐
●第二大隊長     上山正友少佐
●陸軍歩兵大尉    奈良銊次郎 →大津陸軍墓地Aブロック
●陸軍歩兵大尉    清閑寺愛房
●陸軍歩兵大尉    伏木徳太郎 →大津陸軍墓地Aブロック
●陸軍歩兵大尉    徳大寺亀一 →大津陸軍墓地Aブロック
●陸軍歩兵中尉    安原徳蔵
●陸軍歩兵中尉    館野冬吉
●陸軍歩兵中尉    江口銀三郎
●陸軍歩兵少尉    吉田耕一
●陸軍歩兵少尉    佐多政治郎
●陸軍歩兵少尉    大橋又次郎
●陸軍歩兵少尉    富田正弘
●陸軍歩兵少尉    寺西直
●陸軍歩兵少尉    高橋竹治
●陸軍歩兵少尉    石橋喜太郎
●陸軍歩兵特任曹長 加藤松次郎
●陸軍歩兵特任曹長 藤本元吉
●陸軍歩兵特任曹長 富永東一
下士卒の戦死は、386名。
負傷者は、708名。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)