お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

「日本兵士の真の敵は悪疫だった」2007/10/23

 岩波新書の『日清戦争』(藤村道生 1973)に、日清戦争の被害について述べているページがあります。
 特徴的なことは、戦死者や戦傷による死者に比べて、病死者の数が異常に多いことです。
 とくに、講和条約が発効されたあとの病死者が極端に多いのです。

●1894年7月25日~1895年5月30日(狭義の日清戦争)
 戦 死    736人
 傷 死    228人
 病 死  1,658人 
 変 死     25人
 合 計  2,647人

●1895年5月31日~11月30日
 戦 死    396人
 傷 死     57人
 病 死 10,236人
 変 死    152人
 合 計 10,841人

上の本の184ページには、つぎのように書かれています。

『日本の兵士の真の敵は悪疫だった。予防体制ができておらず、衛生設備が悪かったので、非常に多くの人が病死した。出征中入院加療をうけたものは延十七万人に達し、うち重症で内地に後送された者は海外派遣者の約三分の一にあたる六万七六○○名に達した。入院患者延一七万名のうち、戦闘による傷痍者は四五一九名にすぎず、他は赤痢、マラリヤ、コレラなどの伝染病かあるいは脚気であった。衛生の軽視は莫大な人命の犠牲をうんだのである。』

コメント

_ にゃこりん ― 2007年10月23日 13時21分26秒

そんな病気が「セイロガン」で治るはずもなく・・・

_ マハ ― 2007年10月23日 14時41分52秒

こんにちは。

日清戦争の相手が悪疫!?!?!?

ちょっと、いえ、かなりビックリですねぇ~

無駄な戦いだったってことかな?

_ BIN★ ― 2007年10月23日 15時10分11秒

西南戦争のときもそうでした。
兄は戦死したけれど、弟は生還。親は悲しみとともに、弟の生還を喜び、帰りを待っていたら、大阪についたとたん、コレラを発症。親元に帰ることなく、死亡。

_ 謎の白マント ― 2007年12月06日 21時03分41秒

まさかこの日清戦争での死者の数が病死が一番多いとは・・・・・

_ BIN★ ― 2007年12月06日 21時44分09秒

謎の白マントさんへ
私も驚きでした。同時に、それは無念なことだと感じます。
靖国神社は、当初、病死者は合祀しなかったのです。
あくまで、天皇のたたかいに戦功があったものを
祭るところだということでした。
やがて、戦病死者も合祀することになるのですが。

_ 謎の白マント ― 2008年01月07日 21時32分39秒

これじゃあ戦って勝ってもうれしくないような・・・・

_ BIN★ ― 2008年01月24日 18時51分49秒

西南戦争や日清戦争のあと、改善することが不可避となるのですが、それは、また調べてみます。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/10/23/1866301/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。


                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)