お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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ヨウシュヤマゴボウは”洋種”山牛蒡ではなく、”洋酒”山牛蒡のほうがいいんじゃないか2007/10/23

ヨウシュヤマゴボウ(10月22日)
ヨウシュヤマゴボウ・・・なんとか覚えられそう。
10月6日は、ネオマスカット色。
22日に同じ場所を通りかかったら、
枯れていたり、虫が食っていたり、
気の毒な状態だった。

おなじものを撮ることはできなかった。

枯れ葉が交じると、キレイな写真とは
いえないかもしれない。
色もつぶもバラバラ。
でも、緑あり、小さなものあり、
紫ありで、興味深い。

私は、名前にこだわるようだけれど、
「洋種山牛蒡」よりも、「洋酒山牛蒡」のほうがいいと思う。

色がその根拠。
ネオマスカット色から、巨峰の色へ変身。
つまり、ぶどう色→ワイン→洋酒
しかも、カタカナの名前を変える必要もないし。

(・・・本気にしないでください)

虫のついていない芙蓉の花2007/10/23

フヨウ
名前がわかると(教えてもらうと)検索することができる。
「芙蓉」で検索開始。

芙蓉グループ?これは・・旧安田財閥か。

芙蓉部隊??
『芙蓉部隊(ふようぶたい)とは太平洋戦争末期において夜襲戦法を用い活躍した大日本帝国海軍第131航空隊の通称。隊長は美濃部正少佐(最終階級)。』

面白くて、花にたどりつけない。

「芙蓉」ではなく、「フヨウ」に切り替えて検索。

ようやくWikipedeiaにたどりついて、名前の由来などを探す。

中国語では芙蓉はハスをあらわし、
フヨウは木芙蓉あるいは木芙蓉花と呼ぶ。
日本では芙蓉峰は富士山を表す。
また、芙蓉グループ(現在のみずほグループ)はそれが由来となっている。

残念ながら、フヨウを愛する虫のことは出てこない。

気になっていた芙蓉の花粉2007/10/23

芙蓉の花の中
昨日、芙蓉の花をアップしました。
夕暮れ時なので、雰囲気が暗かったようです。
そのときは、花のことよりも、虫が気になっていて、
花の名前をチェックし忘れるくらいでした。

またまた虫に話が戻るようですが、花びらに
取り付いていた、毛虫くんの毛をよく見ると
花粉がたくさんついていました。

チョウやハチが花粉を媒介するなら、
かわいいですが、芙蓉は毛虫にその役目を
お願いしているのでしょうか?

虫がいて、あまり近寄りがたかったのですが、
今日は、開いている花の中をのぞいて見ることに
しました。

これって、めしべが5つあるんでしょうか?
周りは、みんなおしべ?

芙蓉を愛するフタトガリコヤガ2007/10/23

フタトガリコヤガ
芙蓉にとりついていた虫くん。
名前を調べてみた。
ネットでも、芙蓉についていたと書いてある。
すくなくとも、フタトガリコヤガが
芙蓉を熱愛していることがわかった。

さて、「フタトガリコヤガ」という名前。

またまたどう区切って読むのかと迷う。
漢字で書くと、「二尖り小夜蛾」らしい。
これでも、意味がよくわからない。

まずは、名前の報告。

ネット世界に便利な図鑑がたくさんある。
毛虫・芋虫が満載されたサイトのお世話になった。
毛虫もあれだけ見れば、平気になってしまう。
感覚がマヒするんだろうか。

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/youtyuu/index.html

唐崎のTさんへ、ふれあいバスについてのメモ2007/10/23

唐崎のTさんへ

連日、熱心に、バス問題を勉強されている様子。
お役に立てばと思います。
メールで、高島市の旧安曇川町の
「ふれあいバス」について調べてほしいということでした。
とりあえず、旧安曇川町出身のF市議会議員さんに、
電話のついでに、おききした内容をメモとしてお伝えします。

●「ふれあいバス」とはなに?

「ふれあいバス」は、旧安曇川町に生まれました。
運営開始は、平成14(2002)年度から。
合併して高島市になっても、2年半は存続していたそうです。
しかし、今は、廃止になっています。
(反対運動はもちろんありました)
廃止の理由は、市長が「市民間の平等を保つため」だそうです。

●玄関から玄関まで

そもそも、「ふれあいバス」とはなにかということです。
それは、「玄関から玄関まで」送迎してくれるバスのこと。
前日までに予約すれば、自宅まで来てくれます。
予約受付は、社会福祉協議会の窓口。
町(市)の担当者がいて、対応していました。

●運営は?

運営主体は、安曇川町(合併後は高島市)
ただし、運転は町内(市内)のタクシー業者に委託していました。
車両台数は、2台。

●運賃は?

当初は、100円の運賃。
これが高島市になって、220円に値上げされました。

●廃止にたいする住民の対応

交通弱者である高齢者から、廃止しないで欲しいという
声はあがりました。
そして、署名運動が行われ、1300筆あつまったそうです。
(旧安曇川町の有権者数は、11000人ぐらい)

●運動の結果は?

合併後、2年間は存続させることができましたが、
市長が上記の理由で廃止。
その代わり、巡回バスが走っています。

●高島市にはどういうバスがいま走っていますか

市営のバス、巡回バス、そして民営のバス。

まあ、電話ですので、これくらいしか聞けませんでした。
ただ、この内容は私のメモですので、間違いがあるかも
知れません。
資料はくれるそうです。届けば、お渡しします。

これでよろしいでしょうか?

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)