お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
月見山墓地にたどりつくには ― 2007/10/26
滋賀県庁の裏手に、月見山墓地がある。
旧い墓地である。
私がこの墓地の名前を知ったのは、
ピアニストの中村紘子さんの著作からである。
「ピアニストという蛮族がいる」
そのなかに、久野久(くの ひさ)というピアニストが登場。
日本で名声を挙げた明治の女流ピアニストが渡欧して、
自分の実力と技術が欧米の水準との激しいギャップが
あることを知り、帰国して、自殺を遂げる話である。
その人が眠るのが月見山墓地だと書かれていた。
「月見山・・・?」
子どもを保育園に送り迎えするときに、
この名前を目にしていた。その著作には、
「大津市」と書かれていたので、まちがいはない。
しかし、そのときは、入り口に行ったが、
墓地が見えず、あきらめて帰宅したのだ。
墓地は70歳を越える女性によって守られている。
明治6年にお寺を廃業。しかし、墓地だけは
守ってきた。その子孫である。
ずっと、自宅の敷地を通って、
墓地に行ってもらっていた。
しかし、それはなにかと不都合なので、
自費で道をつくった。
そのため、外からはわからなかったのだ。
旧い墓地である。
私がこの墓地の名前を知ったのは、
ピアニストの中村紘子さんの著作からである。
「ピアニストという蛮族がいる」
そのなかに、久野久(くの ひさ)というピアニストが登場。
日本で名声を挙げた明治の女流ピアニストが渡欧して、
自分の実力と技術が欧米の水準との激しいギャップが
あることを知り、帰国して、自殺を遂げる話である。
その人が眠るのが月見山墓地だと書かれていた。
「月見山・・・?」
子どもを保育園に送り迎えするときに、
この名前を目にしていた。その著作には、
「大津市」と書かれていたので、まちがいはない。
しかし、そのときは、入り口に行ったが、
墓地が見えず、あきらめて帰宅したのだ。
墓地は70歳を越える女性によって守られている。
明治6年にお寺を廃業。しかし、墓地だけは
守ってきた。その子孫である。
ずっと、自宅の敷地を通って、
墓地に行ってもらっていた。
しかし、それはなにかと不都合なので、
自費で道をつくった。
そのため、外からはわからなかったのだ。
月見山墓地の新参詣道 ― 2007/10/26
月見山墓地の門 ― 2007/10/26
日露戦争で病死した20歳陸軍歩兵二等卒の墓石 ― 2007/10/26
月見山墓地は、明治以前の墓石をはじめ、
戦死者の墓石が多数あった。
墓石の間隔の狭さを感じたのは、
ここが、JR線の拡幅によって、
土地を削減された結果である。
その分、移設して狭くなったのだ。
日露戦争の墓石は、2柱あった。
そのひとつがこれである。
黒ずんでいる。、
私は、色や形ですぐわかるようになった。
変な嗅覚がついだのだ。
●陸軍歩兵二等卒 山本治三郎
明治44年『大津市志』に記述があった。
大津市柳町八番屋敷
陸軍歩兵二等卒 山本治三郎
明治十七年九月十五日生
明治三十七年徴兵出身現役として歩兵第九連隊に属し、三十七八年戦役(日露戦争のこと)に従軍各地戦闘。明治三十八年四月十二日清国莫家堡にて脚気症に罹り同月二十三日蘇胡堡定立病院に於て同病に依り死亡。同日従軍記章を授け賜ひ、同四十年五月靖国神社に合祀せらる。
●脚気
脚気は治療法が知られておらず、日清戦争もそうだが、多数の死者をだしたらしい。
戦死者の墓石が多数あった。
墓石の間隔の狭さを感じたのは、
ここが、JR線の拡幅によって、
土地を削減された結果である。
その分、移設して狭くなったのだ。
日露戦争の墓石は、2柱あった。
そのひとつがこれである。
黒ずんでいる。、
私は、色や形ですぐわかるようになった。
変な嗅覚がついだのだ。
●陸軍歩兵二等卒 山本治三郎
明治44年『大津市志』に記述があった。
大津市柳町八番屋敷
陸軍歩兵二等卒 山本治三郎
明治十七年九月十五日生
明治三十七年徴兵出身現役として歩兵第九連隊に属し、三十七八年戦役(日露戦争のこと)に従軍各地戦闘。明治三十八年四月十二日清国莫家堡にて脚気症に罹り同月二十三日蘇胡堡定立病院に於て同病に依り死亡。同日従軍記章を授け賜ひ、同四十年五月靖国神社に合祀せらる。
●脚気
脚気は治療法が知られておらず、日清戦争もそうだが、多数の死者をだしたらしい。
日露戦争で戦死した22歳陸軍上等兵の墓石 ― 2007/10/26
月見山墓地で無縁仏となった方の墓石は、
墓地の何箇所かに集められたり、
縁にもたれかかるようにして置かれていた。
戦死者の墓石は形が目立つので、
そのなかにも、多数あるのがわかった。
この黒くて長い墓石は一目見て、
日露戦争時代のものとわかる。
幸いにも、墓石の正面が手前になっていた。
そして、解読することができた。
陸軍上等兵小野八三郎の墓石である。
●陸軍歩兵上等兵 小野八三郎
明治44年『大津市志』には、以下の記述がある。
大津市肥前町一番屋敷
陸軍歩兵上等兵勲八等 小野八三郎
明治十五年十月二十日生
明治三十五年徴兵。補充兵役として歩兵第九連隊に属し、三十七八年戦役(日露戦争のこと)従軍各地戦闘。明治三十八年三月二日清国北台子戦闘に於て面部刺創を受け戦死。同日叙勲八等白色桐葉章及従軍記章を授け賜ひ、同三十九年五月靖国神社に合祀せらる。
墓地の何箇所かに集められたり、
縁にもたれかかるようにして置かれていた。
戦死者の墓石は形が目立つので、
そのなかにも、多数あるのがわかった。
この黒くて長い墓石は一目見て、
日露戦争時代のものとわかる。
幸いにも、墓石の正面が手前になっていた。
そして、解読することができた。
陸軍上等兵小野八三郎の墓石である。
●陸軍歩兵上等兵 小野八三郎
明治44年『大津市志』には、以下の記述がある。
大津市肥前町一番屋敷
陸軍歩兵上等兵勲八等 小野八三郎
明治十五年十月二十日生
明治三十五年徴兵。補充兵役として歩兵第九連隊に属し、三十七八年戦役(日露戦争のこと)従軍各地戦闘。明治三十八年三月二日清国北台子戦闘に於て面部刺創を受け戦死。同日叙勲八等白色桐葉章及従軍記章を授け賜ひ、同三十九年五月靖国神社に合祀せらる。
アメリカ栴檀草ではないでしょうか? ― 2007/10/26
白バラ ― 2007/10/26
赤いバラ ― 2007/10/26
複合大型商業施設進出を大津のまちづくりを考える出発点にしたいと願う ― 2007/10/26
●まちづくりは、当初のテーマ
「まちづくり」をこのブログのテーマにしようと思っていた。
半分以上、仕事にかかわるテーマだ。
だいたい生まれてからずっと大津人。
ひとりの市民としても大事な問題になっている。
●イオンモール
草津市新浜でのイオンモール計画が出発点だった。
「考える会」は2006年からできていたが、
仕事が忙しくてかかわれなかった。2007年5月から
やっと会に参加できたのだけれど、事態は相当
進んでいた。草津市はすでに開発許可を出し、
残る手続きは、営業許可。
●「フォレオ大津一里山」、「琵琶湖・守山リゾートSC]
大津市に計画され、開発が進んでいるのは、
イオンモールだけではない。
このブログでも紹介し、足を運んだこともある
一里山の大和ハウスの工事。
この概要が明らかになったという報道がされた。
今月の22日のことだ(下の記事)。
昨日、出かけていったのは、
(仮称)琵琶湖・守山リゾートSC。
●反対での一致から創造への一致へ
もうバラバラに対応したりする段階では
ないのかもしれない。
都市計画は本来、自治体=市民が
考え、つくるものだ。
だが、日々の生活におわれる市民に
とって、都市はどうあるべきかとか、
まちはどうあるべきか、とかの議論を
続けていくのは、困難だ。
となると、行政の役割が重要だが、
実態は、コンサルに丸投げではないか。
全国一律のまちづくりになったり、
開発野放しの街、大きな資本をもつものが
そこに住む人の意向に関係なく、
複合商業施設をどんどん建てて、
まちのあり方を変えてゆく・・・。
それでいいのか。
イオンモールに反対するで一致しても
(現実には困難)、将来のまちづくりと
なると市民的に一致できるヴィジョンがない。
それでいいのか。
「進出反対」から出発してもいいから、
積極的なまちづくりでの一致点をつくる
役割を果たしてみたいものだと思う。
●ブログのカテゴリーをやり直そう。
そうしないと、見直したいものが
探せない(笑)
************************
県内最大級、来秋開業へ 大津市・工場跡地の大型店計画
10月22日9時39分配信 京都新聞
大津市一里山7丁目の工場跡地開発計画で、中核施設となる複合商業施設の概要が21日までに明らかになった。売り場面積(物販のみ)は滋賀県内最大の大型店ビバシティ彦根(彦根市)並みの約3万平方メートルで、開業は2008年11月を予定。専門店をそろえたモール型ショッピングセンター(SC)で食品スーパーや書籍店など核テナント5店を中心に、衣料や飲食など約120の専門店を誘致する。湖南地方を中心に大型店出店が相次いでおり、湖国の商業地図は激変しそうだ。
名称は「フォレオ大津一里山」。不動産開発の大和ハウス工業が、ヤンマーグループ工場跡地(敷地面積14万8500平方メートル)を買収・開発する。このうち、約5万6000平方メートルを商業施設として運営する。周辺の住宅開発なども含めた総事業費は約200億円。
フォレオは、地上2階地下1階。核テナントは売り場面積約3300平方メートル規模で、1階に食品スーパー「ユーストア」と書籍チェーン「大垣書店」を配置。2階と地下1階にアミューズメント施設と衣料量販店、フィットネスジムを誘致し、30代の家族連れから団塊世代まで幅広い世代の日常的な利用を見込む。
駐車場は約1600台を確保し、名神高速道路や京滋バイパスの出入り口が近い道路交通の利便性を生かし、大津市や草津市から広域的な集客を狙う。年間ベースで来場者500万人、売上高約150億円を見込む。
県内では、スーパー最大手のイオングループが、草津市でグループ最大級の売り場面積約6万平方メートル規模のSC出店を構想。守山市の旧「びわ湖わんわん王国」跡地でも売り場面積5万平方メートル級のSC出店を目指す動きがある。人口増加が見込まれる湖国で流通競争が激しさを増しそうだ。
最終更新:10月22日9時39分
上の写真は、京都新聞から
「まちづくり」をこのブログのテーマにしようと思っていた。
半分以上、仕事にかかわるテーマだ。
だいたい生まれてからずっと大津人。
ひとりの市民としても大事な問題になっている。
●イオンモール
草津市新浜でのイオンモール計画が出発点だった。
「考える会」は2006年からできていたが、
仕事が忙しくてかかわれなかった。2007年5月から
やっと会に参加できたのだけれど、事態は相当
進んでいた。草津市はすでに開発許可を出し、
残る手続きは、営業許可。
●「フォレオ大津一里山」、「琵琶湖・守山リゾートSC]
大津市に計画され、開発が進んでいるのは、
イオンモールだけではない。
このブログでも紹介し、足を運んだこともある
一里山の大和ハウスの工事。
この概要が明らかになったという報道がされた。
今月の22日のことだ(下の記事)。
昨日、出かけていったのは、
(仮称)琵琶湖・守山リゾートSC。
●反対での一致から創造への一致へ
もうバラバラに対応したりする段階では
ないのかもしれない。
都市計画は本来、自治体=市民が
考え、つくるものだ。
だが、日々の生活におわれる市民に
とって、都市はどうあるべきかとか、
まちはどうあるべきか、とかの議論を
続けていくのは、困難だ。
となると、行政の役割が重要だが、
実態は、コンサルに丸投げではないか。
全国一律のまちづくりになったり、
開発野放しの街、大きな資本をもつものが
そこに住む人の意向に関係なく、
複合商業施設をどんどん建てて、
まちのあり方を変えてゆく・・・。
それでいいのか。
イオンモールに反対するで一致しても
(現実には困難)、将来のまちづくりと
なると市民的に一致できるヴィジョンがない。
それでいいのか。
「進出反対」から出発してもいいから、
積極的なまちづくりでの一致点をつくる
役割を果たしてみたいものだと思う。
●ブログのカテゴリーをやり直そう。
そうしないと、見直したいものが
探せない(笑)
************************
県内最大級、来秋開業へ 大津市・工場跡地の大型店計画
10月22日9時39分配信 京都新聞
大津市一里山7丁目の工場跡地開発計画で、中核施設となる複合商業施設の概要が21日までに明らかになった。売り場面積(物販のみ)は滋賀県内最大の大型店ビバシティ彦根(彦根市)並みの約3万平方メートルで、開業は2008年11月を予定。専門店をそろえたモール型ショッピングセンター(SC)で食品スーパーや書籍店など核テナント5店を中心に、衣料や飲食など約120の専門店を誘致する。湖南地方を中心に大型店出店が相次いでおり、湖国の商業地図は激変しそうだ。
名称は「フォレオ大津一里山」。不動産開発の大和ハウス工業が、ヤンマーグループ工場跡地(敷地面積14万8500平方メートル)を買収・開発する。このうち、約5万6000平方メートルを商業施設として運営する。周辺の住宅開発なども含めた総事業費は約200億円。
フォレオは、地上2階地下1階。核テナントは売り場面積約3300平方メートル規模で、1階に食品スーパー「ユーストア」と書籍チェーン「大垣書店」を配置。2階と地下1階にアミューズメント施設と衣料量販店、フィットネスジムを誘致し、30代の家族連れから団塊世代まで幅広い世代の日常的な利用を見込む。
駐車場は約1600台を確保し、名神高速道路や京滋バイパスの出入り口が近い道路交通の利便性を生かし、大津市や草津市から広域的な集客を狙う。年間ベースで来場者500万人、売上高約150億円を見込む。
県内では、スーパー最大手のイオングループが、草津市でグループ最大級の売り場面積約6万平方メートル規模のSC出店を構想。守山市の旧「びわ湖わんわん王国」跡地でも売り場面積5万平方メートル級のSC出店を目指す動きがある。人口増加が見込まれる湖国で流通競争が激しさを増しそうだ。
最終更新:10月22日9時39分
上の写真は、京都新聞から
(仮称)フォレオ大津一里山 の概要メモ ― 2007/10/26
概要のメモをつくる。
■施設名称 (仮称)フォレオ大津一里山
■所在地 滋賀県大津市一里山7丁目2104-1、他
■敷地面積 約55,700 m2
■延床面積 約65,300 m2
■店舗面積 約30,400 m2
■駐車台数 約1600台
■開業予定 2008年秋予定
■施設名称 (仮称)フォレオ大津一里山
■所在地 滋賀県大津市一里山7丁目2104-1、他
■敷地面積 約55,700 m2
■延床面積 約65,300 m2
■店舗面積 約30,400 m2
■駐車台数 約1600台
■開業予定 2008年秋予定
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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