
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
11月24日の見学会のチラシをつくる ― 2007/10/31

10月30日。
11月24日の旧大津陸軍墓地見学会に間に合うぎりぎりのタイミングで、チラシを作った。
息子のK君(高校三年生)に見せたら、「旧大津陸軍墓地を考える会(準備会)」の準備会ってなに?と聞かれた。
「まだ会ができていないので、準備会にした」と答える私。
いまのところたった一人の準備会である。
「たった一人でもいいやん」とK君。
別に一人であることがいいと思っているわけではない。
だから、チラシをつくったのだ。
弟のH君(高校一年生)にも見せる。
H君は、チラシをほめる。
そのことを、カミさんが面白がっている。
私は、素直に喜ぶべきだと思っている。
夜にローソンから「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」の小田先生のもとへも発送。
知り合いにも、これで持っていくことができる。
当日のパンフレットを作る作業がまだ残っている。
いい内容にしたいと思うけれど、仕事がますます込んでくる。
だから、どこかで妥協しなければならない。
カミさんは、私の睡眠時間のことを心配している。
だから、私が陸軍墓地に力を入れることに反対である。
私は、カミさんの気持ちはわかる
しかし、思いが通じないことに不満をもつ。
仕事にも、家庭にも支障をきたさないでやろうとすれば、削るものは、睡眠しかないのだ。
関係のない話だが、「イオンモール出店反対とまちづくりを考える会」のH氏から、11月7日に会議をすることの確認の電話が入る。その際に、大型店の出店問題は、イオンモールだけではないので、他もなんとかしなければならないねという。
まったく同感。
バス問題といい、大型店駆け込み出店問題といい、まちのかかえる問題は切迫してきている。
どれを扱うにしても、やりがいのあることだ。
11月24日の旧大津陸軍墓地見学会に間に合うぎりぎりのタイミングで、チラシを作った。
息子のK君(高校三年生)に見せたら、「旧大津陸軍墓地を考える会(準備会)」の準備会ってなに?と聞かれた。
「まだ会ができていないので、準備会にした」と答える私。
いまのところたった一人の準備会である。
「たった一人でもいいやん」とK君。
別に一人であることがいいと思っているわけではない。
だから、チラシをつくったのだ。
弟のH君(高校一年生)にも見せる。
H君は、チラシをほめる。
そのことを、カミさんが面白がっている。
私は、素直に喜ぶべきだと思っている。
夜にローソンから「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」の小田先生のもとへも発送。
知り合いにも、これで持っていくことができる。
当日のパンフレットを作る作業がまだ残っている。
いい内容にしたいと思うけれど、仕事がますます込んでくる。
だから、どこかで妥協しなければならない。
カミさんは、私の睡眠時間のことを心配している。
だから、私が陸軍墓地に力を入れることに反対である。
私は、カミさんの気持ちはわかる
しかし、思いが通じないことに不満をもつ。
仕事にも、家庭にも支障をきたさないでやろうとすれば、削るものは、睡眠しかないのだ。
関係のない話だが、「イオンモール出店反対とまちづくりを考える会」のH氏から、11月7日に会議をすることの確認の電話が入る。その際に、大型店の出店問題は、イオンモールだけではないので、他もなんとかしなければならないねという。
まったく同感。
バス問題といい、大型店駆け込み出店問題といい、まちのかかえる問題は切迫してきている。
どれを扱うにしても、やりがいのあることだ。
去るもの・・・地域の身近なショップ ― 2007/10/31

2007年2月のころ、大津全市に展開していた日常品と生鮮食料品の販売をしていたショッピング・センターが倒産しました。
「ワコー」です。全部で、8店舗。
↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/13/1577004
それぞれの店舗を回って調べたことがあります。
大津市の南部の神領店、国分店は、他の店舗が引き受けて、再開されています。しかし、それは、採算が取れると思われる店だけです。
仰木の里点、黒津店、そしてこのもみじかおか(紅葉ヶ丘)店は、再開のめどがなく、放置されたままです。お店のガラスに住宅が映し出されていますね。
その一方で・・・。
「ワコー」です。全部で、8店舗。
↓
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/13/1577004
それぞれの店舗を回って調べたことがあります。
大津市の南部の神領店、国分店は、他の店舗が引き受けて、再開されています。しかし、それは、採算が取れると思われる店だけです。
仰木の里点、黒津店、そしてこのもみじかおか(紅葉ヶ丘)店は、再開のめどがなく、放置されたままです。お店のガラスに住宅が映し出されていますね。
その一方で・・・。
来るもの・・・巨大複合商業施設 ①イオンモール ― 2007/10/31
来るもの・・・巨大複合商業施設 ②(仮称)フォレオ大津一里山 の工事現場 ― 2007/10/31
ムー♂ネコの このしっぽの巻き方が好き ― 2007/10/31
ムーネコが尻尾を巻いて座っている姿 ― 2007/10/31
ミドリシジミ?? ― 2007/10/31

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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