お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
『日露戦争スタディーズ』 ― 2007/11/01
戦争が社会に与える深刻な影響 ― 2007/11/01
日露戦争を転機として、日本社会が激変していく様子を読むにつけて、今の時代と重ねないわけには、いきません。
たとえば、海外派兵された自衛隊員に死者が出た場合、どのような雰囲気になっていくのか、などです。
以前にも、人質になった民間人を激しくののしる報道などもあり、目を疑うことがありました。
そういうときに、軍隊、国家そして個人をめぐる社会の良心が、試されるのだと思います。
いま「空気を読む」ことが大切だとされています。狭い人間関係のなかなら、それは大切なことですね。
しかし、より広い社会問題についていうと、「空気」なるものが故意に作られる場合も少なくないはずです。そういうときに、「空気」に逆らってでも、正しいと思うことを述べる勇気が自分にはあるかということになります。
ひとつの事件で、一気に社会の空気が変わるときがあります。たとえば、9・11。アメリカの市民の怒りと悲しみは、当然のことです。
しかし、それを最大限利用して、報復戦争遂行のてこにした政権いますね。
そういう危なさは、決して、他国に限ったことではないと思われます。かつて、ロシアへの敵愾心をあおられ、連勝に浮かされ、突っ走ったあげく、失望で日比谷事件を起こす・・・そんな事態は避けなければなりません。
実は、今日は疲労がたまっています。
書きたいことがあるのに、集中する体力がないのです。
はじめて出会って、お話をしてきた方もいるし、家族の崩壊の話やバス問題で新たに知った事実などもあります。
書こうと思うのにね。
たとえば、海外派兵された自衛隊員に死者が出た場合、どのような雰囲気になっていくのか、などです。
以前にも、人質になった民間人を激しくののしる報道などもあり、目を疑うことがありました。
そういうときに、軍隊、国家そして個人をめぐる社会の良心が、試されるのだと思います。
いま「空気を読む」ことが大切だとされています。狭い人間関係のなかなら、それは大切なことですね。
しかし、より広い社会問題についていうと、「空気」なるものが故意に作られる場合も少なくないはずです。そういうときに、「空気」に逆らってでも、正しいと思うことを述べる勇気が自分にはあるかということになります。
ひとつの事件で、一気に社会の空気が変わるときがあります。たとえば、9・11。アメリカの市民の怒りと悲しみは、当然のことです。
しかし、それを最大限利用して、報復戦争遂行のてこにした政権いますね。
そういう危なさは、決して、他国に限ったことではないと思われます。かつて、ロシアへの敵愾心をあおられ、連勝に浮かされ、突っ走ったあげく、失望で日比谷事件を起こす・・・そんな事態は避けなければなりません。
実は、今日は疲労がたまっています。
書きたいことがあるのに、集中する体力がないのです。
はじめて出会って、お話をしてきた方もいるし、家族の崩壊の話やバス問題で新たに知った事実などもあります。
書こうと思うのにね。
日露戦争戦没の24歳陸軍騎兵一等兵山本玄融の墓石 ― 2007/11/01
「中隊長松井五郎以下戦友建之」という石碑が前に置いてあります。
墓石の左側にこの方の戦歴や戦死の状況が刻まれていますが、文字がかすれて、よく読めません。
お名前は、「山本玄融」
●奉天の戦いで戦死
日露戦争最後の決戦は、1895年3月1日から10日まで戦われた奉天の会戦です。左の碑文を丁寧に読めば、この方は、3月2日に戦死されていることがわかりました。
●明治44年版「大津市志」
大津市中堀町十四番屋敷
陸軍騎兵一等卒勲八等功七級 山本 玄融
明治十五年三月二十七日
明治三十五年徴兵出身現役として騎兵第四連隊に属し三十七八年戦役従軍。各地戦闘。明治三十八年三月二日清国彰駅站戦闘に於て腹部貫通銃創を受け戦死。同日叙勲八等白日桐葉章及功七級金鶏勲章並びに従軍記章を授け賜ひ、同三十九年五月靖国神社に合祀せらる。
(高山寺墓地にて)
お名前は、「山本玄融」
●奉天の戦いで戦死
日露戦争最後の決戦は、1895年3月1日から10日まで戦われた奉天の会戦です。左の碑文を丁寧に読めば、この方は、3月2日に戦死されていることがわかりました。
●明治44年版「大津市志」
大津市中堀町十四番屋敷
陸軍騎兵一等卒勲八等功七級 山本 玄融
明治十五年三月二十七日
明治三十五年徴兵出身現役として騎兵第四連隊に属し三十七八年戦役従軍。各地戦闘。明治三十八年三月二日清国彰駅站戦闘に於て腹部貫通銃創を受け戦死。同日叙勲八等白日桐葉章及功七級金鶏勲章並びに従軍記章を授け賜ひ、同三十九年五月靖国神社に合祀せらる。
(高山寺墓地にて)
日露戦争で赤痢と腸チフスを併発して病死した24歳輜重輸卒田中卯之助の墓石 ― 2007/11/01
旧大津陸軍墓地の「見学会」から「見て考え語り合う集い」へ ― 2007/11/01
11月24日(土)に計画している「旧大津陸軍墓地の見学会」ですが、「見学会」という言葉を使わないことにしました。協力していただく奉賛会の会長さんとの相談の結果、「旧大津陸軍墓地を見て考え語り合う集い」にしました。
旧陸軍墓地はなによりもまず墓地であり、いわば聖地。そこを”見学”というのは、興味本位の姿勢に思えること、長年にわたって無償で整備に努めてこられた方々に対しても、礼を欠くというご指摘を受けたからです。
今日は、滋賀県遺族会へもこの「集い」の案内をしました。そして、集まりの名称の変更を反映したチラシを、奉賛会の会長さん宅へ届けました。その際に、率直な気持ちをきかせていただくことができました。
昨日は、滋賀学区の「九条の会」の事務局長のUさんを訪問。この集いの趣旨を伝えて、協力をお願いしました。そのときに、いろいろお話ができてうれしくおもいました。
熊本の天草のご出身。「天草の乱」にかかわる話を聞かせてもらいましたが、とても興味を惹かれました。
後期高齢者医療制度の勉強会を開かれる予定とかで、資料を見せていただきました。りっぱな内容だと思いました。一部いただきました。
旧陸軍墓地はなによりもまず墓地であり、いわば聖地。そこを”見学”というのは、興味本位の姿勢に思えること、長年にわたって無償で整備に努めてこられた方々に対しても、礼を欠くというご指摘を受けたからです。
今日は、滋賀県遺族会へもこの「集い」の案内をしました。そして、集まりの名称の変更を反映したチラシを、奉賛会の会長さん宅へ届けました。その際に、率直な気持ちをきかせていただくことができました。
昨日は、滋賀学区の「九条の会」の事務局長のUさんを訪問。この集いの趣旨を伝えて、協力をお願いしました。そのときに、いろいろお話ができてうれしくおもいました。
熊本の天草のご出身。「天草の乱」にかかわる話を聞かせてもらいましたが、とても興味を惹かれました。
後期高齢者医療制度の勉強会を開かれる予定とかで、資料を見せていただきました。りっぱな内容だと思いました。一部いただきました。
月下美人はおあずけ ― 2007/11/01
スーパーのM社長から、今日の夕方、ケータイに電話がありました。
月下美人の件です。
社長のお店にある月下美人が咲きそうになったら、電話するとのことでした。約束どおり、かけていただいてのです。
「今晩ですか?」
「いやいや、三つあるうちのひとつは、もう咲いてしまった。午前4時ごろらしい。それで、明日の午前4時ごろになるんだけどいい?」
「はい(少し時間にびっくり)」
「今晩、店を閉めるときに、もう一度、つぼみの固さを見て、4時ごろに咲きそうか電話しなおすわ」
「ありがとうございます」
そして、午後9時ごろに電話がありました。
「残念。今日はだめみたい」
「では、また連絡お願いします」
「オーケー」
ブログで深夜になるのを控えないと、月下美人を見逃しそうですね。
月下美人の件です。
社長のお店にある月下美人が咲きそうになったら、電話するとのことでした。約束どおり、かけていただいてのです。
「今晩ですか?」
「いやいや、三つあるうちのひとつは、もう咲いてしまった。午前4時ごろらしい。それで、明日の午前4時ごろになるんだけどいい?」
「はい(少し時間にびっくり)」
「今晩、店を閉めるときに、もう一度、つぼみの固さを見て、4時ごろに咲きそうか電話しなおすわ」
「ありがとうございます」
そして、午後9時ごろに電話がありました。
「残念。今日はだめみたい」
「では、また連絡お願いします」
「オーケー」
ブログで深夜になるのを控えないと、月下美人を見逃しそうですね。
この花、チョウチョウのように見えませんか ― 2007/11/01
真っ白の花もいいですけれど ― 2007/11/01
ピンクも単色より模様があるほうが好きです ― 2007/11/01
自民と民主が合同(連立)すれば、民(意)が消えて、自主(自分たちが主人)党。 ― 2007/11/02
福田首相との民主党の小沢代表との党首会談がはじまったとき、国会という国民の目の届くところではなく、二人だけの密室であることが注目された。
国会日程すら曲げて続く会談。
それらが、どのような内容の会談であるのかを、語っていると思われた。
結局、大連立の打診と持ち帰り。
置き去りになったのは、民意である。
国会日程すら曲げて続く会談。
それらが、どのような内容の会談であるのかを、語っていると思われた。
結局、大連立の打診と持ち帰り。
置き去りになったのは、民意である。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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