お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
いつからここにと思うけど・・・月下美人 ― 2007/11/11
二度あることは三度ある・・で、また月下美人 ― 2007/11/11
月下美人って、そんなにどこでも、生えている(植えている)ものなのでしょうか?またまた街で見つけました。
空き地を占領するコスモス ― 2007/11/11
これは、コスモスじゃない?! ― 2007/11/11
花を見ていたら、ネコと目があってしまいました ― 2007/11/11
高島市新旭町にも、日露戦争の砲弾型の墓石がありました ― 2007/11/11
いまバイパス(湖西道路)の複線化の工事が急ピッチで進んでいる高島市。新旭養護学校の近くはまだ開通していません。ですから、側道を走っていることになります。
大津市への帰途、砲弾型の墓石のことを考えていました。道路わきに墓地が見えました。いつもの風景なのに、目に飛び込んできたのは、この墓石の頭の部分でした。
通り過ぎて、これはまちがいないと確信しました。ハンドルを左に切り、161号線をはずれて、戻ることにしました。大回りをして、来た道を再度走りましたが、墓地へ車で入る道はありません。結局、ハンドルをもういちど左にきって、一般道にはいり、そこに止めて、歩いて墓地に出かけました。
「大字今津共同墓地」にあった3柱の墓石と、まったくおなじ形の墓石が建っていました。
とこかく、これで、今津の共同墓地だけではないことはわかったのです。この形はどこまで広がっているのでしょうか?
大津市への帰途、砲弾型の墓石のことを考えていました。道路わきに墓地が見えました。いつもの風景なのに、目に飛び込んできたのは、この墓石の頭の部分でした。
通り過ぎて、これはまちがいないと確信しました。ハンドルを左に切り、161号線をはずれて、戻ることにしました。大回りをして、来た道を再度走りましたが、墓地へ車で入る道はありません。結局、ハンドルをもういちど左にきって、一般道にはいり、そこに止めて、歩いて墓地に出かけました。
「大字今津共同墓地」にあった3柱の墓石と、まったくおなじ形の墓石が建っていました。
とこかく、これで、今津の共同墓地だけではないことはわかったのです。この形はどこまで広がっているのでしょうか?
大阪鎮台予備兵隊号ヲ第五大隊ト唱ヘシム(陸軍省 明治06年12月21日) ― 2007/11/11
大阪鎮台徴兵三大隊入営ニ付聯隊ヲ編制ス(陸軍省 明治07年05月05日) ― 2007/11/11
大阪鎮台徴兵三大隊入営ニ付連隊ヲ編制ス
大阪鎮台ヨリ本省ヘ伺
当軍管本年徴兵既ニ三大隊入営相纏リ候ニ付テハ兼テ御布令ノ通リ連隊編制相成度候間左ノ件々相伺申候至急御指揮被下度候也
別表之通連隊号御定相成候ニ付テハ下条ヘ現@ノ大隊号相記シ置候@右号御廃シ更ニ大隊号御下命相成度事
去ル明治四年召集ノ此兵本年中ニテ満期ノ者来ル六月一纏メ免役致シ度候事
現@@兵ノ隊数五大隊ノ内第十八大隊ノ隊号ヲ廃シ四大隊ニ編制シ右十八大隊ヘ編入申付別表面ノ通致シ度候事
大阪営所 大@営所 姫路営所 @大隊号
第十大隊 第十四大隊 本年第一徴兵 第五大隊
本年第二徴兵 第四大隊
本年第三徴兵 新大隊号 第一大隊 第二大隊
大阪鎮台ヨリ本省ヘ伺
当軍管本年徴兵既ニ三大隊入営相纏リ候ニ付テハ兼テ御布令ノ通リ連隊編制相成度候間左ノ件々相伺申候至急御指揮被下度候也
別表之通連隊号御定相成候ニ付テハ下条ヘ現@ノ大隊号相記シ置候@右号御廃シ更ニ大隊号御下命相成度事
去ル明治四年召集ノ此兵本年中ニテ満期ノ者来ル六月一纏メ免役致シ度候事
現@@兵ノ隊数五大隊ノ内第十八大隊ノ隊号ヲ廃シ四大隊ニ編制シ右十八大隊ヘ編入申付別表面ノ通致シ度候事
大阪営所 大@営所 姫路営所 @大隊号
第十大隊 第十四大隊 本年第一徴兵 第五大隊
本年第二徴兵 第四大隊
本年第三徴兵 新大隊号 第一大隊 第二大隊
メモ : 第五大隊と兵の出身県について ― 2007/11/11
●大阪鎮台第五大隊
明治6(1873)年9月に編成。
当時の鳥取・豊岡・北條・足羽・石川の5県の壮兵から成る。
明治7(1874)年5月5日に大阪鎮台第九連隊第一大隊と改称。
●鳥取県
1871年7月14日 (旧暦)
廃藩置県により、旧因幡国の8郡(岩井郡・邑美郡・法美郡・八上郡・八東郡・智頭郡・高草郡・気多郡)、旧伯耆国の6郡(河村郡・久米郡・八橋郡・汗入郡・会見郡・日野郡)、旧播磨国の3郡(神東郡・神西郡・印南郡)の一部が鳥取県となる。
11月15日 (旧暦)
旧播磨国の領域が姫路県に編入される。
12月27日 (旧暦)
島根県より旧隠岐国が編入される。
1876年8月21日
鳥取県が島根県に併合される。
1881年9月12日
島根県のうち、旧因幡国の8郡、旧伯耆国の6郡が鳥取県として分立・再置される。
1896年4月1日
岩井郡・邑美郡・法美郡が合併し岩美郡、八上郡・八東郡・智頭郡が合併し八頭郡、気多郡・高草郡が合併し気高郡、河村郡・久米郡・八橋郡が合併し東伯郡、汗入郡・会見郡が合併し西伯郡となる。
●豊岡県
廃藩置県により1871年(明治4年)7月14日に設置。
豊岡藩(1.5万石)が豊岡県となる。
県庁所在地は豊岡藩陣屋跡。
1871年(明治4年)11月22日:舞鶴県や篠山県など11県16郡を豊岡県に統合。
1876年(明治9年)8月21日:豊岡県廃止。
但馬・氷上郡・多紀郡は兵庫県へ編入。
また丹後と天田郡は京都府へ編入。
明治6(1873)年9月に編成。
当時の鳥取・豊岡・北條・足羽・石川の5県の壮兵から成る。
明治7(1874)年5月5日に大阪鎮台第九連隊第一大隊と改称。
●鳥取県
1871年7月14日 (旧暦)
廃藩置県により、旧因幡国の8郡(岩井郡・邑美郡・法美郡・八上郡・八東郡・智頭郡・高草郡・気多郡)、旧伯耆国の6郡(河村郡・久米郡・八橋郡・汗入郡・会見郡・日野郡)、旧播磨国の3郡(神東郡・神西郡・印南郡)の一部が鳥取県となる。
11月15日 (旧暦)
旧播磨国の領域が姫路県に編入される。
12月27日 (旧暦)
島根県より旧隠岐国が編入される。
1876年8月21日
鳥取県が島根県に併合される。
1881年9月12日
島根県のうち、旧因幡国の8郡、旧伯耆国の6郡が鳥取県として分立・再置される。
1896年4月1日
岩井郡・邑美郡・法美郡が合併し岩美郡、八上郡・八東郡・智頭郡が合併し八頭郡、気多郡・高草郡が合併し気高郡、河村郡・久米郡・八橋郡が合併し東伯郡、汗入郡・会見郡が合併し西伯郡となる。
●豊岡県
廃藩置県により1871年(明治4年)7月14日に設置。
豊岡藩(1.5万石)が豊岡県となる。
県庁所在地は豊岡藩陣屋跡。
1871年(明治4年)11月22日:舞鶴県や篠山県など11県16郡を豊岡県に統合。
1876年(明治9年)8月21日:豊岡県廃止。
但馬・氷上郡・多紀郡は兵庫県へ編入。
また丹後と天田郡は京都府へ編入。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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