
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
ラモー(Jean Philippe Rameau 1643-1764)のクラヴサン曲 ― 2007/11/29

●ジャン=フィリップ・ラモー。
フランスの大音楽理論家にして、作曲家。
ヴィヴァルディ、バッハ、ヘンデル、スカルラッティらの同時代人。
オペラやクラヴサンの作曲家。
ところで、私は、ラモーの曲はオペラは全然。
クラヴサン曲は、ごくわずかしか聴いたことがない。
深夜に、心を乱す曲を聴く気分ではないときに、
ロベール・カサトジュ(Robert Casadesus)の
CD(Sony classical 5033882)を棚から取り出して聴く。
優雅だけど、けっこう骨太の気もする。
気に入って、何度か聴きなおす。
●曲目 ・・・フランス語読めません
Gavotte(ガヴォットくらいはわかる)
Le Rappel des Oiseaux
Les Sauvages
Les Nials de Soloqne
●部屋の片付け
今日は休日。
家族がそれぞれ仕事と学校へ出発。
私はゴミだしが終わってから、すこし体を休める。
ここ数日ずっとだるかったので。
起きたのは、午後1時をずいぶん経ってから。
寝汗をかいている。
無理に体を動かさず、しばらくじっとしている。
そして、食事をとる。
とったとたんに、また元気に。
それで、ラモーを聴きながら、部屋の片付け。
ミクシは、音楽の話ばかり書いていた。
気がつけば、CDの山。
今は、本を読むことのほうを大切にしている。
フランスの大音楽理論家にして、作曲家。
ヴィヴァルディ、バッハ、ヘンデル、スカルラッティらの同時代人。
オペラやクラヴサンの作曲家。
ところで、私は、ラモーの曲はオペラは全然。
クラヴサン曲は、ごくわずかしか聴いたことがない。
深夜に、心を乱す曲を聴く気分ではないときに、
ロベール・カサトジュ(Robert Casadesus)の
CD(Sony classical 5033882)を棚から取り出して聴く。
優雅だけど、けっこう骨太の気もする。
気に入って、何度か聴きなおす。
●曲目 ・・・フランス語読めません
Gavotte(ガヴォットくらいはわかる)
Le Rappel des Oiseaux
Les Sauvages
Les Nials de Soloqne
●部屋の片付け
今日は休日。
家族がそれぞれ仕事と学校へ出発。
私はゴミだしが終わってから、すこし体を休める。
ここ数日ずっとだるかったので。
起きたのは、午後1時をずいぶん経ってから。
寝汗をかいている。
無理に体を動かさず、しばらくじっとしている。
そして、食事をとる。
とったとたんに、また元気に。
それで、ラモーを聴きながら、部屋の片付け。
ミクシは、音楽の話ばかり書いていた。
気がつけば、CDの山。
今は、本を読むことのほうを大切にしている。
セザール・フランクのピアノ五重奏曲 ― 2007/11/29

●フランクの五重奏曲体験
故スビャトスラフ・リヒテルと
ボロディン四重奏団の
メロディア盤(LP)で聴いたのが最初。
明るい志向性のはっきりした音楽を
聴きなれていたので、
この曲を聴いた後、
しばらく憂鬱な気分が抜けなかった。
1980年代に同じ顔ぶれが
「モスクワの冬」(プーシキン博物館)で
演奏したライヴ盤(Philips)も出ている。
私には、音は悪いけれど、
旧盤の緊張感が忘れられない。
今日聴いたのは、
クレーメル(Vl)、
ハーゲン四重奏団、
ラヴィノヴィッチ(Pf)らが
ロッケンハウスでライヴ録音したもの。
(ECM J60J20076/7)
切れ味がすごいと思った。
●サロン音楽?
フランクは熱い。
その情熱は、
明るくはないけれど、真摯。
同じ作曲家のヴァイオリン・ソナタを
共演することになったとき、
リヒテル(Pf)とオイストラフ(Vl)の間で、
意見が合わない。
前者は、奇跡の傑作、
後者は、サロン音楽という評価。
私には、フランクのヴァイオリン・ソナタが
個人的な情熱の世界であるとは思えても、
サロン音楽とは思えない。
オイストラフの含意はどこにあったのだろう。
故スビャトスラフ・リヒテルと
ボロディン四重奏団の
メロディア盤(LP)で聴いたのが最初。
明るい志向性のはっきりした音楽を
聴きなれていたので、
この曲を聴いた後、
しばらく憂鬱な気分が抜けなかった。
1980年代に同じ顔ぶれが
「モスクワの冬」(プーシキン博物館)で
演奏したライヴ盤(Philips)も出ている。
私には、音は悪いけれど、
旧盤の緊張感が忘れられない。
今日聴いたのは、
クレーメル(Vl)、
ハーゲン四重奏団、
ラヴィノヴィッチ(Pf)らが
ロッケンハウスでライヴ録音したもの。
(ECM J60J20076/7)
切れ味がすごいと思った。
●サロン音楽?
フランクは熱い。
その情熱は、
明るくはないけれど、真摯。
同じ作曲家のヴァイオリン・ソナタを
共演することになったとき、
リヒテル(Pf)とオイストラフ(Vl)の間で、
意見が合わない。
前者は、奇跡の傑作、
後者は、サロン音楽という評価。
私には、フランクのヴァイオリン・ソナタが
個人的な情熱の世界であるとは思えても、
サロン音楽とは思えない。
オイストラフの含意はどこにあったのだろう。
チャイコフスキーの「舟歌」(「四季」から) ― 2007/11/29

●派手な曲もいいけれど・・・
ピョートル・チャイコフスキー
Пётр Чайковский(1840-1893)は
バレエ曲、交響曲やピアノ協奏曲第一番などが有名。
カミさんも、コンサートに誘われ
第五番を聴いてきた。
それらもいいけれど、
民衆的で暖かみのある
ピアノ小曲集のほうが、
深夜に一人で聴くには似合っている。
●ピアノ小曲集「四季」
1月から12月まで
12曲からなる「四季」。
有名なのは、
6月の「舟歌」と
11月の「トロイカ」。
リヒテル
スビャトスラフ・リヒテルは、
1983年4月、ミュンヘンで、
4曲選んで録音。
5月「白夜」、6月「舟歌」、
11月「トロイカ」そして、1月「炉辺にて」。
VICC-60005。
これが、「四季」との出会い。
プレトニョフ
私は、「四季」の全曲が聴きたくて
CDを探していた。
近江八幡市で会議が開かれた冬の日、
早めに着いて、ブックオフで見つけた。
それが、ミハイル・プレトニョフ(Pf)のこのCD。
録音年月日は、1985年11月3日。
武蔵野のバッハ・ホール。
VDC-1185。
ようやく全曲を聴くことができた。
それでも、冒頭からどこか深いところへ
連れて行かれそうな「舟歌」を繰り返し聴く。
今晩もそうだ。
ラフマニノフ
「トロイカ」には、あのセルゲイ・ラフマニノフが、
ピアノロールに録音した演奏が残っている。
現代の技術でよみがえった演奏は、
深く、エレガント。
TELARC20 CD-80491。
ピョートル・チャイコフスキー
Пётр Чайковский(1840-1893)は
バレエ曲、交響曲やピアノ協奏曲第一番などが有名。
カミさんも、コンサートに誘われ
第五番を聴いてきた。
それらもいいけれど、
民衆的で暖かみのある
ピアノ小曲集のほうが、
深夜に一人で聴くには似合っている。
●ピアノ小曲集「四季」
1月から12月まで
12曲からなる「四季」。
有名なのは、
6月の「舟歌」と
11月の「トロイカ」。
リヒテル
スビャトスラフ・リヒテルは、
1983年4月、ミュンヘンで、
4曲選んで録音。
5月「白夜」、6月「舟歌」、
11月「トロイカ」そして、1月「炉辺にて」。
VICC-60005。
これが、「四季」との出会い。
プレトニョフ
私は、「四季」の全曲が聴きたくて
CDを探していた。
近江八幡市で会議が開かれた冬の日、
早めに着いて、ブックオフで見つけた。
それが、ミハイル・プレトニョフ(Pf)のこのCD。
録音年月日は、1985年11月3日。
武蔵野のバッハ・ホール。
VDC-1185。
ようやく全曲を聴くことができた。
それでも、冒頭からどこか深いところへ
連れて行かれそうな「舟歌」を繰り返し聴く。
今晩もそうだ。
ラフマニノフ
「トロイカ」には、あのセルゲイ・ラフマニノフが、
ピアノロールに録音した演奏が残っている。
現代の技術でよみがえった演奏は、
深く、エレガント。
TELARC20 CD-80491。
スクリャービンの左手のための2つの小品 作品9 ― 2007/11/29

●館野泉さんの復活物語
今日は休日。どこへも出かけなかった。
TVものんびり見ていると、
「アンビリーバボー」で、
ピアニストの館野泉さんの
復活物語を取り上げていた。
館野さんは、半身不随となり、
ピアニストにとって致命的なダメージを受けた。
つまり、右手が使えなくなったのだ。
数年前のことである。
この物語は、BS2で見たことがある。
改めて館野さんの苦悩を追体験することになった。
私は、まだ館野さんが倒れる前に、
近くの「びわこホール」で演奏をきくチャンスがあった。
チケットを買おうと思いながら、
仕事のことを考えて、決心できなかった。
倒れられたというニュースが流れたとき、
自分の決断のなさを恨んだ。
そのときのプログラムは得意の北欧の音楽。
しかし、私が買ってもっている館野さんのCDは、
シューベルトの後期ピアノソナタ集。
●スクリャービンの左手のための曲
TVを見ながら、ひとつだけ、気になったことがあった。
それが、館野さんが復活後、
演奏会で弾いた
スクリャービンの左手のための曲。
「そんなのがあったんだ」と思う反面、
「あれ??聴いたことがある気がする」とういうもの。
二三ヶ月前に新しい書棚を入れたので、
CDの位置がかわっていて、
思うように見つけることができない。
3000枚はある。
自慢というより、買いすぎて後悔。
見つけたCDは、Stanislav Neuhaus edition vol.6。
Denon COCQ-83018。
タイトルのとおり演奏者は、
スタニスラフ・ネイガウス(1927-1980)。
リヒテルの恩師であり
名ピアニストでもあった
ゲンリヒ(ハインリヒ)・ネイガウスの
実の息子である。
●初期の作品か
ロシア革命前夜にあらわれたスクリャービン。
1872-1915。
早熟で濃厚なロマンティシズムから出発し、
神秘主義へ傾倒。
ピアニスティックな面白みがある。
私は、神秘主義時代の作品には、なじめない。
左手のための作品は、どうやら作品9だけらしい。
だから、館野さんが演奏したのは、
これにまちがいない。
作品番号からいくと、初期のものだ。
私が気に入っているのは、24の前奏曲集 作品11。
今日は休日。どこへも出かけなかった。
TVものんびり見ていると、
「アンビリーバボー」で、
ピアニストの館野泉さんの
復活物語を取り上げていた。
館野さんは、半身不随となり、
ピアニストにとって致命的なダメージを受けた。
つまり、右手が使えなくなったのだ。
数年前のことである。
この物語は、BS2で見たことがある。
改めて館野さんの苦悩を追体験することになった。
私は、まだ館野さんが倒れる前に、
近くの「びわこホール」で演奏をきくチャンスがあった。
チケットを買おうと思いながら、
仕事のことを考えて、決心できなかった。
倒れられたというニュースが流れたとき、
自分の決断のなさを恨んだ。
そのときのプログラムは得意の北欧の音楽。
しかし、私が買ってもっている館野さんのCDは、
シューベルトの後期ピアノソナタ集。
●スクリャービンの左手のための曲
TVを見ながら、ひとつだけ、気になったことがあった。
それが、館野さんが復活後、
演奏会で弾いた
スクリャービンの左手のための曲。
「そんなのがあったんだ」と思う反面、
「あれ??聴いたことがある気がする」とういうもの。
二三ヶ月前に新しい書棚を入れたので、
CDの位置がかわっていて、
思うように見つけることができない。
3000枚はある。
自慢というより、買いすぎて後悔。
見つけたCDは、Stanislav Neuhaus edition vol.6。
Denon COCQ-83018。
タイトルのとおり演奏者は、
スタニスラフ・ネイガウス(1927-1980)。
リヒテルの恩師であり
名ピアニストでもあった
ゲンリヒ(ハインリヒ)・ネイガウスの
実の息子である。
●初期の作品か
ロシア革命前夜にあらわれたスクリャービン。
1872-1915。
早熟で濃厚なロマンティシズムから出発し、
神秘主義へ傾倒。
ピアニスティックな面白みがある。
私は、神秘主義時代の作品には、なじめない。
左手のための作品は、どうやら作品9だけらしい。
だから、館野さんが演奏したのは、
これにまちがいない。
作品番号からいくと、初期のものだ。
私が気に入っているのは、24の前奏曲集 作品11。

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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