お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
暖かい日差しのなかで ― 2007/11/30
井上勝生『幕末・維新』(シリーズ日本近現代史①)岩波新書 ― 2007/11/30
二日以上かかって通読した。
なかなか刺激的で新鮮。
「歴史とは過去と現在との対話である」(E.H.カー)
という言葉どおり、
アジアの伝統社会が見直されはじめた
現在の到達点にたってこそ、
見直すことができた維新史である。
『「極東」の東端という、地勢上、
有利な位置にある日本においては、
発展した伝統社会のもとで、
開国が受け容れられ、
ゆっくり定着し、
そうして日本の自立が守られた、
というのが本書の一貫した立場』
という。
これが、全編をつうじて展開される。
もっとも注目したのは、
次の主張。
『日本の開国は、比較的早く定着した。
そうであれば、幕末・維新期の対外的危機の
大きさを強調するこれまでの評価を
大はばに見直す必要がある。
切迫した対外的危機を前提にしてしまうと、
専制的な近代国家の急造すら
「必至の国家的課題」だったということになる。』
私は、これは
明治からつくられる専制国家の正統論に
たちむかう重要な視座に思われる。
この本を読んだあと、
私は、これまで、経済過程としての
資本主義化の「二つの道」が、
そのまま国家論(政治論)に
直結されてきたのではないか
と思うようになったのだ。
なかなか刺激的で新鮮。
「歴史とは過去と現在との対話である」(E.H.カー)
という言葉どおり、
アジアの伝統社会が見直されはじめた
現在の到達点にたってこそ、
見直すことができた維新史である。
『「極東」の東端という、地勢上、
有利な位置にある日本においては、
発展した伝統社会のもとで、
開国が受け容れられ、
ゆっくり定着し、
そうして日本の自立が守られた、
というのが本書の一貫した立場』
という。
これが、全編をつうじて展開される。
もっとも注目したのは、
次の主張。
『日本の開国は、比較的早く定着した。
そうであれば、幕末・維新期の対外的危機の
大きさを強調するこれまでの評価を
大はばに見直す必要がある。
切迫した対外的危機を前提にしてしまうと、
専制的な近代国家の急造すら
「必至の国家的課題」だったということになる。』
私は、これは
明治からつくられる専制国家の正統論に
たちむかう重要な視座に思われる。
この本を読んだあと、
私は、これまで、経済過程としての
資本主義化の「二つの道」が、
そのまま国家論(政治論)に
直結されてきたのではないか
と思うようになったのだ。
『霊土』の碑@旧大津陸軍墓地 ― 2007/11/30
1976年以前には存在しなかった小さな碑が、現在、旧大津陸軍墓地にある。それが、「天 霊土」と刻まれた碑である。由来は、どこにも書いていない。ごく小さなものであるだけに、何度も、足を運んだ私も気がつかなかった。ある日、気がついて、ともかく写真を撮った。11月24日の会のあと、西大津駅の喫茶店に入って、お話しをするうちに、やっとその意味がわかった。
●237柱の墓地の移葬
1976年まで、上段・中段・下段と分かれていた旧大津陸軍墓地に、重大な事態が生まれる。それは、バイパスを墓地内を通過させること、そして、そのために、墓地を移設するという話である。事の良し悪しは問わないが、その結果、下段の墓地全体を破壊することとなった。奉賛会の人たちは反対したが、押し切れらたのだ。
●骨は溶けるが革靴は残る
下段は、兵卒の墓碑が237柱並んでいた。全体の3分の1以上になる。移すために、掘り返すことになった。それらの兵士の墓は、土葬であった。しかも、座った状態で棺にいられれて葬られていた。「骨は溶けてなくなっていたが、革靴などはそのまま残っていた」「多くの砂が棺のなかに入っていた」「なんともいえない臭いがした」などの話である。その生々しい話に私は息をのんだ。
●遺品を新しい墓地に埋める
それらの遺品は、丁寧に新しい墓地にそれぞれ埋めなおす作業が行われた。奉賛会の人たちの「(バイパスの)車が平気で遺骸の上をまたぐことは許さない」という強い主張で、棺のなかの砂はすべて新しい墓地にもっていくことになった。現在、お地蔵さんのある場所に移した。
●霊土の意味
それでもなお、砂は収まりきれないほど多かった。そこで、さらに別の場所に盛って、「霊土」と名づけて、供養することになったのである。
●鬼火 最後に火をかける
墓石や遺品、そして、棺の最後の一粒の砂を運び去ったあとで、それまで、237柱の墓碑があった土地に火をかけた。火は、赤々と燃え上がったが、そのなかに、青い火が方々に見えた。闇に浮かぶ、赤い火と、それに混じる青い火の光景は、忘れられないという。
●237柱の墓地の移葬
1976年まで、上段・中段・下段と分かれていた旧大津陸軍墓地に、重大な事態が生まれる。それは、バイパスを墓地内を通過させること、そして、そのために、墓地を移設するという話である。事の良し悪しは問わないが、その結果、下段の墓地全体を破壊することとなった。奉賛会の人たちは反対したが、押し切れらたのだ。
●骨は溶けるが革靴は残る
下段は、兵卒の墓碑が237柱並んでいた。全体の3分の1以上になる。移すために、掘り返すことになった。それらの兵士の墓は、土葬であった。しかも、座った状態で棺にいられれて葬られていた。「骨は溶けてなくなっていたが、革靴などはそのまま残っていた」「多くの砂が棺のなかに入っていた」「なんともいえない臭いがした」などの話である。その生々しい話に私は息をのんだ。
●遺品を新しい墓地に埋める
それらの遺品は、丁寧に新しい墓地にそれぞれ埋めなおす作業が行われた。奉賛会の人たちの「(バイパスの)車が平気で遺骸の上をまたぐことは許さない」という強い主張で、棺のなかの砂はすべて新しい墓地にもっていくことになった。現在、お地蔵さんのある場所に移した。
●霊土の意味
それでもなお、砂は収まりきれないほど多かった。そこで、さらに別の場所に盛って、「霊土」と名づけて、供養することになったのである。
●鬼火 最後に火をかける
墓石や遺品、そして、棺の最後の一粒の砂を運び去ったあとで、それまで、237柱の墓碑があった土地に火をかけた。火は、赤々と燃え上がったが、そのなかに、青い火が方々に見えた。闇に浮かぶ、赤い火と、それに混じる青い火の光景は、忘れられないという。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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