お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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舟遊び@大津祭り(10月)2007/12/11

同じく大津祭りの宵宮で見た展示物です。
「貝あわせ」の隣にありました。

●舟遊び

王朝時代の絵巻から採ったような絵ですね。
そもそもこの布は、なになんでしょうか?
ハンカチーフ?包装のためのもの・・。
絵は、舟遊びの光景を描いてますね。
実際にこんな華やかな船があったなら
ぜひ乗ってみたいですね。
そういえば、TVですが
雅楽を演奏しながらの映像を見た気がします。
トリは鳳凰かな?
船の中を見ると、乗っているのは
家族のような気がしますね。
子どもあり、女性ありですから。

●扇子

男性が一人、扇子を海にさしています。
色も赤くて目立ちます。
これは、なにをしているのでしょうか?
特別の遊びなんでしょうか?
扇子をそんなことに使ったら、
もったいない・・・なんて、
想像をたくましくしながら、
眠るまでのひとときをすごしています。

おやすみなさい。

エンブレムに見る民営化の流れ2007/12/11

時代を刻むのは、石碑や墓碑だけではありません。
普段見慣れた建物にも刻まれているのです。

これは、まだ暑かった9月に撮った写真です。
日差しの強さを感じますね。
「JR」の文字が光っています。

いまこの写真を見直して、
頭をよぎったのは、郵政民営化。
先日も、おなじ中央郵便局の建物なのに、
間仕切り隔てて並んでいる事務所が
会話さえままならない様子に、
やりきれなさを感じて帰ってきました。
そうそう、ブログでも書きましたね。

郵政民営化は小泉内閣の目玉でした。
国鉄の分割民営化は、中曽根内閣の目玉。
ということは、このエンブレムは、
1987年4月1日に取り付けられたもの
ということになります。
同じアパートの別の棟の前には、
さらに興味深いものがあったのです。
ほんとうはそれをご紹介したかったのです。
つぎの日記をご覧ください。

1987年で時を止めたエンブレム2007/12/11

「時よ止まれ、おまえは美しい!」というのは、
ゲーテのファウストの有名な言葉です。
ヒロシマにも、
1945年8月6日午前8時15分で
止まった時計があります。

大津市の湖岸の建物で見ることができる
この「国鉄」と刻まれたエンブレムもそうです。
いまは、2007年12月。
しかし、この建物の時は、
1987年3月31日までで止まっていて、
それ以降の時の流れを拒否しているように見えるのです。

けっして不名誉の看板ではないはず2007/12/11

壊れた看板にあなたはなにを見ますか?
ブログを書いていて、
「この人たちに読んでほしい」
と思うときはあるのです。
でも、家族のプライバシーなどを考えて、
このブログを知り合いにも、
紹介してきませんでした。
知っている人なら、
話す機会もあるし、
仕事の合間で、つづくかどうわからないし、
なによりお気軽に書いていこうと
思っていたからです。
それがいつのまにか、
自分にとって大切なツールとなり、
思いを深めるものとなってきたのです。

●壊れたタテ看板になにをみるか

 「JR」「国鉄」という
二つのエンブレムを紹介したあと、
最後にお見せしたかったのは、
この壊れたたて看板です。

「社宅内において、会社の許可なく
演説または印刷物を配布・掲(?)・・・」

とまでしか読めません。

私は、この看板の内容が「不当だ」とか、
「いや当然」とかいう議論をしようと思いません。
ときは移り、市民の感覚も変わってきたからです。
私の目に浮かんだのは、
国鉄の労働者であることを
いまなお誇りにし、
大切な節目ごとに、
その服に身をつつんで(もしくはそのつもりで)登場する
老戦士(失礼!)の人たちの顔です。
志賀町のNさん、滋賀のNさん、膳所のSさん、
大江のNさん、瀬田のKさん・・・。
この人たちの仲間のがんばりが、
戦った相手側の看板の形で残っているのは、
皮肉なことかも知れません。

私は、この看板の前を通るたびに、
大切な記念碑だと感じるのです。
いつまでこのままかわからないものですが。

危機という言葉の二つの顔2007/12/11

親しい団体さんを回って事務所に帰ってきました。
一休みの時間に、 朝、新聞を読みながら、
考えていたことをメモしておこうと思います。

●朝日新聞の記事から

昨晩は宿直。朝食は、喫茶店のモーニングでした。
朝日新聞が置いていましたので、目を通していたのです。
いくつかの記事を読んだところで、
共通する言葉が使われていることに気がつきました。
それが「危機」という言葉であり、内容も共通していました。
ひとつの記事は、社説。「岡田監督 オシム流を生かしつつ」
もうひとつは、アル・ゴア元米国副大統領の
ノーベル平和賞受賞のスピーチを扱った記事です。

●「岡田監督 オシム流を生かしつつ」

オシムはいうまでもなく、
脳梗塞で倒れたサッカー日本代表監督。
祖国ユーゴスラビアの崩壊の時代を生きて、
鋭い知性と妥協のない辛口の話に、
私自身がカルチャーショックを受けた人です。
この社説は、つぎのように結ばれています。

危機は常に次の成長への好機である

●「炭素の夏」

ゴア(Albert Arnold Gore, Jr.)氏は、
ドキュメンタリー映画「不都合な真実 An Inconvenient Truth)
などでの環境問題での啓発活動を評価され、
ノーベル平和賞を受賞しました。
受賞講演のなかでも、
「炭素の夏」(二酸化炭素排出による温暖化)を訴えています。
そして、つぎの言葉が出てくるのです。

日本語と中国語で『クライシス(危機)は
 『危険』と『機会』を意味する漢字二文字で表現する


●「新たなる財政構造改革プログラム」

危機」をめぐり、同じ内容の
メッセージをもつ記事を読んだあとで、
嘉田滋賀県知事が上記のプログラムを発表し、
それに対して、県市長会が要望書を10日に提出した
という内容の記事を読みました。
.県がこれまでのムダ使いのツケによる借金返しと、
三位一体の改革による
毎年100億円の地方交付金削減のもとで、
福祉医療費や私学助成金などを削る
のが上記のプログラム。
市長会ら四団体の要望は、
県の一方的な削減に反対だというものです。

●危機は中途半端を許さない

私は、県民のくらし、市民のくらしを考えれば、
中途半端は許されない、
そういう時代認識が必要だと思うのです。
県政も、市政も同様です。
つまり、一方で、ダム(県)や新庁舎建設(市)などの
大型事業を推進しながら、
他方で、県民・市民の暮らしも守るなんて
できない時期だということです。
県の「財政構造改革プログラム」は
警察本庁の建設計画のテンポはそのまま、
しかし福祉は容赦なく削ることで、
正直にそれを告げているのです。
しかし、危機は好機
別のオプションが存在します。
これまでのムダ使いの流れを断ち切って、
市民の暮らしを守ることに徹すること、
そのうえで、防衛費の水増し請求などのムダや
大企業・資産家減税をつづける
国の政治の方向を変える、
それしかないと思います。
行政の長自らの人件費を削るのは
当然でしょうけれど、
肝心なところに手をつける勇気がないと
責任を果たしたとはいえないのです。

これはまちがい探し?@大津祭り(10月)2007/12/11

昨晩につづいて、
大津祭りの展示物です。
このお店では、
左右に同じような刺繍(?)が
張り出されていました。

この意図はなに?
まちがいさがしかな。

左が原図、右が修復されたレプリカ
さあ、どこか違うところはありませんかって。

これでは、まだ分かりにくいですね。
左右をアップしますから、挑戦して見ませんか?

これが原図かな?2007/12/11

さて、左のほうの写真です。
これが原図でしょうねぇ。

こっちは右の絵のレプリカ?2007/12/11

左の方です。
右の絵のレプリカでしょうね。
色も輪郭もくっきりしています。

しげしげ眺めると、
巨大な頭部の仙人にまつわる
エピソードが描かれている様子。
この方はどなた?
福禄寿?

幸福には決まった形がない・・・「安楽庵 百福図」から2007/12/11

これも、大津祭りの展示物。
平成15年に復元された「安楽庵 百福図」
「福」という字が、100の書体で描かれている図ですね。

写真をアップにして(クリックしてください)、
一つ一つの書体を見ていくと、
書体の名称も書かれていて、飽きません。

どうしてこれが「福」って思うものもありますが、
「幸福には、決まった形がない」
というオチかも知れませんね。

90まで数えましたが、
そこでやめてしまいました。
外枠の「福」も、入れて100なのかどうか、
知りたかったのですけれど。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)