お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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空想と思索にいざなう「道」2007/12/14

なんでもない道(笑)
なんでもない道です。

小さな運河がわきをながれ、
街路樹が取り巻いています。
自動販売機もないし、
看板もありません。

ハトはいるけれど、
人を恐れる様子がないのは、
この道を通るひとたちの
姿を映し出しているように
思えます。

まちは田舎とちがい
刺激に満ちています。
しかし、刺激は人の欲望を
かきたてるけれど、
思索を生むものではありません。
刺激は退屈をまぎらわせますけれど、
それは、内部から満たすものでは
ありません。

写真に撮るものためらわれるような
このなんでもない「道」は
心の小さな波動を聞き取るのに
ちょうどいいおだやかさをもっています。

私が最初に発見したのなら、
みなさんにお勧めとしてしてもいいのですが、
もう十分、有名になっています。
「哲学の道」として。

2004年夏、
カミさんと二人で歩いたときに 写した写真です。

足利尊氏が献じ、毛利輝元が蔵を建てる2007/12/14

三井寺一切経蔵
わたしは、小学生時代、
三井寺の山内を庭のようにして
遊びまわりました。
昼すぎに入っても、暗くなるまでときを
わすれて、遊べる不思議な魅力をもった空間でした。
その遊びのなかで、見慣れていた建物がこれです。
一切経蔵。外見は二層、内部は一層。

一切経は、回転する八角輪蔵に収められています。
1354年に足利尊氏が献納し、
それを収める蔵は、1602年に毛利輝元が
建立したのです。
当時の私がその値打ちを知る由もない
重要文化財。

この建物の近くにある
現在修理中の金堂は国宝。
その反対側に接しているのは
三重塔で、これも重要文化財。

内部にはおそるおそる入りました。
おにごっこの舞台にはしましたが、
いたずらをしたことはありません。
ひとりのときは、独特の雰囲気に圧倒されながら、
まわりを静かに回りました。

いま、三井寺山内に入るには、
入場料は、大人 450円 小学生50円
中学生150円 高校生200円。
とても、毎日、ときをわすれて、
眺めるなんてできません。
入場料について、お寺さんを
責めるつもりはありません。
文化財保護について、国がもっと
真剣に取り組めば、観光に依存する必要も
ないと思うのです。

変わらない道2007/12/14

三井寺の金堂がはるか正面に見える道です。
私が10代になる以前にあそんだときと、
なんら変わらない姿で残っています。
ですから、二十年たっても、三十年たっても
わたしは、迷うことなく、目的の場所にたどりつく
ことができました。
今年の9月のことです。

私は、再開のなつかしさとともに、
やすらぎを感じました。

それは、このときをとめたような空間にあると思います。
何度も焼き討ちにあって変化しているにしても、
1400年近い年月を耐え抜いた空間です。
旧態依然という表現はあたりません。
目先の流行に踊らされない重々しさ、
自分を見失わない威厳を感じます。

私は変わったけれど、この場所はかわらない。
私は、やがていなくなるけれど、
この場所はかわらない。
そういうものに向き合い
不思議なやすらぎを感じました。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)