お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
イオンモール建設現場を通過しました ― 2008/01/23
●すすむ基礎工事
草津市新浜のイオンモール建設現場は、
通過するごとに、基礎工事がすすんでいます。
2007年11月の法改正施行前の
駆け込み出店に怒りをもったとしても、
すでに、開発許可は下りて、
営業許可の申請を残すのみ。
●中主町のイオンモールへ
今日はたまたま夕方から、
近江八幡市に向かいました。
途中、中主町のイオンモールを
通りがかり、中に入りました。
イオンモールそのものとしては、
決して大きな施設といえないかも知れませんが、
同じ地域の他の店を圧する規模だと思います。
一階部分でほとんどすべての日常用品が
揃いますから、便利なことはまちがいありません。
問題は、他の地域への影響なのです。
●対応策を実行にうつすときなのだが
草津市新浜の場合、巨大さは西日本最大規模。
大津市への影響は計り知れません。
大渋滞は予測されますけれど、
車での生活者には、便利なことは否定しません。
しかし、それが「まちこわし」につながるからこそ、
法改正されて原則出店できないようにされたのです。
その趣旨がわかっていながらの駆け込み出店。
怒っていてもはじまりません。
営業許可を出さないように運動を強めます。
それでも、許可された場合どうするのか。
どう、まちの生活を守るのか。
批判しているだけでは、
改善されるはずもありません。
厳しい現実を前にして、
どう行動するかを考え、
ためいきをつきながら、
通過しました。
草津市新浜のイオンモール建設現場は、
通過するごとに、基礎工事がすすんでいます。
2007年11月の法改正施行前の
駆け込み出店に怒りをもったとしても、
すでに、開発許可は下りて、
営業許可の申請を残すのみ。
●中主町のイオンモールへ
今日はたまたま夕方から、
近江八幡市に向かいました。
途中、中主町のイオンモールを
通りがかり、中に入りました。
イオンモールそのものとしては、
決して大きな施設といえないかも知れませんが、
同じ地域の他の店を圧する規模だと思います。
一階部分でほとんどすべての日常用品が
揃いますから、便利なことはまちがいありません。
問題は、他の地域への影響なのです。
●対応策を実行にうつすときなのだが
草津市新浜の場合、巨大さは西日本最大規模。
大津市への影響は計り知れません。
大渋滞は予測されますけれど、
車での生活者には、便利なことは否定しません。
しかし、それが「まちこわし」につながるからこそ、
法改正されて原則出店できないようにされたのです。
その趣旨がわかっていながらの駆け込み出店。
怒っていてもはじまりません。
営業許可を出さないように運動を強めます。
それでも、許可された場合どうするのか。
どう、まちの生活を守るのか。
批判しているだけでは、
改善されるはずもありません。
厳しい現実を前にして、
どう行動するかを考え、
ためいきをつきながら、
通過しました。
コメント
_ トリバン ― 2008年01月24日 18時20分29秒
_ BIN★ ― 2008年01月24日 18時47分08秒
トリバンさん、コメントありがとうございます。
私は、とても、悩んでいます。
イオンモールにとりくむまえは、「不可避」かなぁと思えましたし、そういう方向に社会はすすんでいます。商業は旧態以前のままを保持するなんてできません。つねに新しいニーズに向き合い、同時に、競争原理の真っ只中で生きていかなければなりません。
トリバンさん、率直に書いていただいて、ありがとうございます。正面から受け止めて、考えます。突き詰め足りないところがあるのは、自覚しています。すぐ答えがでなくても、ご容赦ください。
私は、とても、悩んでいます。
イオンモールにとりくむまえは、「不可避」かなぁと思えましたし、そういう方向に社会はすすんでいます。商業は旧態以前のままを保持するなんてできません。つねに新しいニーズに向き合い、同時に、競争原理の真っ只中で生きていかなければなりません。
トリバンさん、率直に書いていただいて、ありがとうございます。正面から受け止めて、考えます。突き詰め足りないところがあるのは、自覚しています。すぐ答えがでなくても、ご容赦ください。
_ トリバン ― 2008年01月24日 23時53分54秒
ご丁寧な返答ありがとうございます。
多分、答えなんてないんだと思います。
大体、それが解っていればコメントなんてしません。(-_-;)
合理性を追求することが多分数学的な答えなのでしょうが、(この場合の合理性には環境問題等も含みます。)
そこには人間が介在し、感情があり、人生がある。
ただ、一番いけないのは黙認すること。
この年になって、どのように社会に関わっていくか考える今日この頃です。
またお邪魔します。
ありがとうございました。
多分、答えなんてないんだと思います。
大体、それが解っていればコメントなんてしません。(-_-;)
合理性を追求することが多分数学的な答えなのでしょうが、(この場合の合理性には環境問題等も含みます。)
そこには人間が介在し、感情があり、人生がある。
ただ、一番いけないのは黙認すること。
この年になって、どのように社会に関わっていくか考える今日この頃です。
またお邪魔します。
ありがとうございました。
_ BIN★ ― 2008年01月25日 02時50分52秒
地元の商店街を守らなくてはと思っているのに、実際には、商店街で買い物をしていないのです。時間帯が合わないということもあるのですが、訪問してみて、「ありがとう、でも、今度は必ず買い物で来てください」といわれました。これって大切な点をついていると思いました。買い物をしないものに、守れなんていってほしくないという気持ちなのかも知れません。そこまで、いわないにしても、シニカルな気分がお店にはあるように思いました。イデアの問題ではなく、生活の問題なのですね。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
トリバンと申します。
数ヶ月前から楽しませて頂いています。
当現場の近くに住んでいます。
難しい問題ですね。
基本的には渋滞となればその影響から不可避な場所に住んでいますし、正直このような施設は不要です。日常の買い物にはおそらく大きすぎて効率が悪い。近くに十分なスーパーがありますし、シネコンだって現状で十分です。
つまり、大きな迷惑です。
ただ、
それが大津市の商店街に果たして本当に影響するのでしょうか?
勿論、今までの大規模小売店舗の蓄積が多大な影響を及ぼしたことは否定しません。その結果として衰退しつつある。しかし、それは不可避なのでは?
つまり、これらの大規模小売店をなくすのであればいいでしょうが。ただ、そうなると、近隣商圏に負けてしまいます。
しかも、大津商店街のもたらす総利益とこれら大規模店舗が地元に落とす利益を比較するとどうなんでしょう?老齢化も進行しています。
勿論、心情的には理解できます。
批判するつもりは毛頭ありません。
ただ、
「オレンジの輸入の反対に興じいるうちに、ミカン自体の需要が減少した。」の二の舞にならないかと危惧しています。
結局は、住民の選択なのだと思います。
長文、乱筆失礼しました。