お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
クラウディオ・アラウのJ.S.バッハのゴールドベルグ変奏曲 ― 2008/01/24
シューベルトの遺作ソナタの演奏で、
つよい印象をうけて、故アラウさんに
いまごろ心を奪われています。
棚を見渡せば、このCD。
1942年に録音された
バッハのゴールドベルグ変奏曲。
若いグールドが衝撃の録音(1955)
をする12年前のことです。
テンポなどディフォメが目立つ
グールド盤のような派手さは
ありませんが、きっちりとした
折り目正しい演奏です。
つよい印象をうけて、故アラウさんに
いまごろ心を奪われています。
棚を見渡せば、このCD。
1942年に録音された
バッハのゴールドベルグ変奏曲。
若いグールドが衝撃の録音(1955)
をする12年前のことです。
テンポなどディフォメが目立つ
グールド盤のような派手さは
ありませんが、きっちりとした
折り目正しい演奏です。
Снег идёт!雪が降る! ― 2008/01/24
ぽっかり空いた空間がまぶしい ― 2008/01/24
何気ないことがうれしいことがありますね。
今朝は、仕事場の駐車場が
いつもとちがっていました。
明るい!!!
それは、隣接する建物が
解体されているためです。
チェーン店進出のあおり・・・。
でも、この明るさはなんだろう!
高い建物(3階程度でも)が近くにあることは、
こんなに太陽を遠ざけているんだと
実感したのです。
さっそくカメラを取り出して撮影。
建設工事がはじまれば失われる明るさ。
なにかのときに役立つかも知れないと
シャッターを押しました。
今朝は、仕事場の駐車場が
いつもとちがっていました。
明るい!!!
それは、隣接する建物が
解体されているためです。
チェーン店進出のあおり・・・。
でも、この明るさはなんだろう!
高い建物(3階程度でも)が近くにあることは、
こんなに太陽を遠ざけているんだと
実感したのです。
さっそくカメラを取り出して撮影。
建設工事がはじまれば失われる明るさ。
なにかのときに役立つかも知れないと
シャッターを押しました。
ここにも空間が生まれました ― 2008/01/24
午前中は、仕事場で整理。
お昼まえに訪問する用事があって、
出かけました。
近くなので、歩くことにしました。
「まち」のくらしは歩くことが基本です。
歩くといろんな発見がありますから。
この一週間、車で市内を一周して
降りて見てみたい場所が多数ありました。
今日は行くことができませんけれど。
合併を繰り返した大津市は、
南北に長大であるだけではなく、
多様な地域の集合体です。
「琵琶湖が見える景観を守れ」と
言っても、もともと見えない土地が
いっぱりあります。
あらためて自分の目で直接
見て回ろうと思いました。
変に思われない限り、
住んでいる人とも話したいですし。
それはともかく。
次の仕事まで時間に余裕があったので、
少し遠回りをして、パルコ前へ。
ここでもビルの解体。
アミューズメント・センター?
作業が一区切りのようですね。
好奇心が旺盛ですから、
パルコの二階から、
見てみることにしました。
お昼まえに訪問する用事があって、
出かけました。
近くなので、歩くことにしました。
「まち」のくらしは歩くことが基本です。
歩くといろんな発見がありますから。
この一週間、車で市内を一周して
降りて見てみたい場所が多数ありました。
今日は行くことができませんけれど。
合併を繰り返した大津市は、
南北に長大であるだけではなく、
多様な地域の集合体です。
「琵琶湖が見える景観を守れ」と
言っても、もともと見えない土地が
いっぱりあります。
あらためて自分の目で直接
見て回ろうと思いました。
変に思われない限り、
住んでいる人とも話したいですし。
それはともかく。
次の仕事まで時間に余裕があったので、
少し遠回りをして、パルコ前へ。
ここでもビルの解体。
アミューズメント・センター?
作業が一区切りのようですね。
好奇心が旺盛ですから、
パルコの二階から、
見てみることにしました。
3階にのぼり、見てみました ― 2008/01/24
2階から見ると平面的で、よくわかりません。
のぞいていいのか、悪いのか。
パルコの円形のバルコニーは3階まであります。
それじゃあ、3階から見てみようと
上りました。
この空間はやがて失われていきます。
高層マンションが建設される予定だったと
思います。
失礼を省みず、撮影しておこうと
思いました。
向こうに見えるマンションは、
やがて見えなくなるのでしょうね。
いまは日当りがいいけれど。
のぞいていいのか、悪いのか。
パルコの円形のバルコニーは3階まであります。
それじゃあ、3階から見てみようと
上りました。
この空間はやがて失われていきます。
高層マンションが建設される予定だったと
思います。
失礼を省みず、撮影しておこうと
思いました。
向こうに見えるマンションは、
やがて見えなくなるのでしょうね。
いまは日当りがいいけれど。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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