お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

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中学校給食を大津市で実現しよう! 滋賀県はビリから5番目の実施率です2008/01/25

いのちとくらしを守る大津市政をつくる会の二号ビラから
 旧志賀町にすでにある中学校給食を、「大津市にない」という理由だけでなくすことの非常識さ!そのことへの旧町民の方々の怒りは大きいものがあります。

 実施したアンケートへの回答にも、若い女性から
 「志賀町の良さがドンドンなくなって、合併なんてちっとも良くなかったです。志賀町にない制度がいっぱいあるって友だちに言われて信じたのが、間違いでした。何でも大津市に合わせるのは、おかしいと思います。良さを残して下さい。」
 という声が返ってきています。

 でも、問題は大津市。

 ないことが当然の暮らしでしたから、あったらうれしいけれどという程度の気持ちが、大勢なのかも知れません。
 国は給食は食育をすすめる観点からも、一貫して推進する立場です。
 一方、アンケートでも、「給食は、小中とも実施しない。(昔から親の責務である)」という声もあるのは事実です。

 私が強い印象をもったのは、ある方からの回答です。
 「関東から、大津に来て、給食がない(*中学校にです BIN★)のに驚きました。全国で7割がしているとは知りませんでしたが・・・。まだまだ若い世帯が増えそうな大津市で、若い夫婦が住みやすい”市”にしてください。」

 関東であたりまえとなっている中学校給食が大津市に引っ越しただけでなくなってしまったり、合併したら「大津市にない」という理由でなくされようとしています(*市の公式見解は、合併議定書の「当分の間」存続から一歩も出ていません。新市長の回答も同様です)。

 私は、なさけなくなりました。

 ですから、結果のいかんにかかわらず、大津市で中学校給食実現のために、力を発揮したいと思うのです。

 上は、ビラの一部です。
 「なくてあたりまえ」という方々に全国では「あるのがあたりまえ」という事実を知っていただきたいために作った部分です。

コメント

_ pon ― 2010年02月15日 17時48分25秒

大津市在住です。
子供の頃から大津市在住で、中学で給食がないのも普通と思っていました。
「金八先生」で生徒が給食を食べているのをみて、やっぱり都会は違うなぁと
思ってたぐらいですw
それから自分が親になり、中学校で給食を実施していないことのほうが
珍しいと知り、出来たら実施して欲しいものだと思うようになりました。
小学校で給食の試食会があり、そこで食材はほとんどが国産、しかも滋賀産と
教えてもらい、それなのにあんな安価で安心なものを提供してもらって
親として本当に嬉しく思いました。
これから少子化で大津市内の子供も減っていくでしょうし、
小中共に給食ということもそれほど難しいことではないと思うので
大津市には是非真剣に考えて欲しいところです。

_ BIN★→ponさんへ ― 2010年03月13日 14時52分08秒

コメントありがとうございます。
現在、自校方式ではなくなったとはいえ、
志賀中学校では給食が存続しています。
そころが、合併の経過措置がきれて、
なくなる危険が高くなりました。
運動をしなければと思っています。

_ JIN ― 2011年01月14日 10時44分29秒

子供が2歳と5歳です。
本社(大津市)に転勤となり、永住となる可能性が高いため家を購入することにしました。
いろいろと候補がありましたが、大津市に給食がないことから候補から外しました。
他の市町村で探します。
私の同僚も同じ理由で大津市への引っ越しをやめた人が多いです。

_ BIN★→JINさん ― 2011年03月12日 15時41分53秒

コメントありがとうございます。
お書きになった給食の件、
切実さはます一方なのに、
実施を願う私たちの運動が弱いせいで、
うまくいっていません。
残念なことです。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)