お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
藤樹の里ふれあいセンター(高島市)へ ― 2008/01/28
「いのちとくらしを守る会」が大津市長選挙の結果について声明を発表しました ― 2008/01/28
「いのちとくらしを守る大津市政をつくる会」は、1月25日に幹事会を開いて、選挙結果について以下の声明を発表しました。
***********************************
●要求実現に向けて新たな芽吹き、
大津市政に変化をつくり出した市長選挙
2〇日投票の大津市長選挙で「会」と日本共産党推薦の井上敏一は当選できませんでした。ご支持を寄せていただいたみなさん、日夜ご奮闘いただいたみなさんにお礼とお詫びを申し上げます。
さて、今回の選挙は、小泉構造改革以来の国民負担増による「いのちとくらし」が脅かされている中で、大津市が「暮らしを守る防波堤」となり、国の悪政から市民を守り、さらに足らざるところを補うという基本的立場、すなわち憲法と地方自治の本旨を実現することにありました。
選挙戦での政策論戦で「三つのほっとプラン」―「国保料の引き下げ「中学校給食の実現」「巡回バスの実現」「中学校卒業までの医療費無料化」など具体的政策を打ち出し、「ムダな庁舎新築移転をやめ実現します」と訴え抜き市民的共感を広げてきました。
実際22日付「朝日新聞滋賀版」の出口調査記事では「井上に投票した人では、4割以上が『政策や公約』を挙げて、国保料引き下げなどの公約に対する期待が高かった」と報じています。この様なわたしたちの論戦を、他陣営は無視できず、こうした政策を取り入れざる状況をつくり出してきました。
その結果、目片市長は当選後の記者会見で、庁舎問題は「今の財政状況では建設しない。建設基金も現庁舎の耐震化にも振り向けられる。必要なら、子育て支援などの福祉に使ってもいい」(朝日22日付)と語るなど、わが陣営がたたかったからこそ市民要求の実現に展望を切り開いたことは明らかです。
また、医療費無料化制度も、目片市長の公約で「小学校卒業まで」に延長させたことも、わたし達が争点にしたゆえに起こった前進面です。さらに「中学校給食」や「巡回バス」の実現に向けた運動が全市的な広がりをつくりはじめたことも選挙戦を通じての新たな芽吹きです。
しかし、得票数・率は前回から後退する残念な結果でした。政策論戦では終始リードしながら、これを生かし切って広範な有権者に共感を広げ、市政改革を望む有権者の投票行動まで組織しきれなかった「会」と「日本共産党」の活動が決定的に不足し「二大政党、の対決構図に割ってはいることができなかった」(京都新聞21日付)の水準に止まってしまったからです。
わたしたちは、今回の選挙戦での教訓をしっかりと受けとめ「いのちとくらしを守る、大津市政をつくる会」の日常的な活動を強め、とりわけ構成団体の総決起をはかる努力や、候補者決定をはじめ選挙準備を早めるなどの改善をはかります。
引き続き、かかげた政策と要求実現のための運動と世論づくりで大津市政を動かす活動を継続し、憲法と地方自治の本旨を実現するために奮闘します。
2008年1月25日
いのちとくらしを守る大津市政をつくる会
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●要求実現に向けて新たな芽吹き、
大津市政に変化をつくり出した市長選挙
2〇日投票の大津市長選挙で「会」と日本共産党推薦の井上敏一は当選できませんでした。ご支持を寄せていただいたみなさん、日夜ご奮闘いただいたみなさんにお礼とお詫びを申し上げます。
さて、今回の選挙は、小泉構造改革以来の国民負担増による「いのちとくらし」が脅かされている中で、大津市が「暮らしを守る防波堤」となり、国の悪政から市民を守り、さらに足らざるところを補うという基本的立場、すなわち憲法と地方自治の本旨を実現することにありました。
選挙戦での政策論戦で「三つのほっとプラン」―「国保料の引き下げ「中学校給食の実現」「巡回バスの実現」「中学校卒業までの医療費無料化」など具体的政策を打ち出し、「ムダな庁舎新築移転をやめ実現します」と訴え抜き市民的共感を広げてきました。
実際22日付「朝日新聞滋賀版」の出口調査記事では「井上に投票した人では、4割以上が『政策や公約』を挙げて、国保料引き下げなどの公約に対する期待が高かった」と報じています。この様なわたしたちの論戦を、他陣営は無視できず、こうした政策を取り入れざる状況をつくり出してきました。
その結果、目片市長は当選後の記者会見で、庁舎問題は「今の財政状況では建設しない。建設基金も現庁舎の耐震化にも振り向けられる。必要なら、子育て支援などの福祉に使ってもいい」(朝日22日付)と語るなど、わが陣営がたたかったからこそ市民要求の実現に展望を切り開いたことは明らかです。
また、医療費無料化制度も、目片市長の公約で「小学校卒業まで」に延長させたことも、わたし達が争点にしたゆえに起こった前進面です。さらに「中学校給食」や「巡回バス」の実現に向けた運動が全市的な広がりをつくりはじめたことも選挙戦を通じての新たな芽吹きです。
しかし、得票数・率は前回から後退する残念な結果でした。政策論戦では終始リードしながら、これを生かし切って広範な有権者に共感を広げ、市政改革を望む有権者の投票行動まで組織しきれなかった「会」と「日本共産党」の活動が決定的に不足し「二大政党、の対決構図に割ってはいることができなかった」(京都新聞21日付)の水準に止まってしまったからです。
わたしたちは、今回の選挙戦での教訓をしっかりと受けとめ「いのちとくらしを守る、大津市政をつくる会」の日常的な活動を強め、とりわけ構成団体の総決起をはかる努力や、候補者決定をはじめ選挙準備を早めるなどの改善をはかります。
引き続き、かかげた政策と要求実現のための運動と世論づくりで大津市政を動かす活動を継続し、憲法と地方自治の本旨を実現するために奮闘します。
2008年1月25日
いのちとくらしを守る大津市政をつくる会
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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