お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
マキアヴェリを読めばむかつく方もいらっしゃるでしょうけれど ― 2008/03/07
マキャヴェリの「君主論」(1513年)は、政治学では有名な本です。マキアヴィリズムという言葉があるように、目的のためには手段を選ばないことを述べているようなイメージがあると思います。
久しぶりに読んでみると、むかつく箇所が多々あります。
たとえば、
また
このむかつく箇所のおおい本が数百年も価値あるものと認められ、はるか遠方の日本で翻訳されて販売されているには、理由がなくてはなりません。その理由は、いくつかあるでしょうけれど、つぎの箇所は、理由のひとつになると私は思います。
これだけからも、”もうけっこう”と思われる方がいたり、”それなら、読もうか”と思われる方もいらっしゃると思います。
もし、マイネッケ(Friedrich Meinecke,1862 - 1954)の『近代史における国家理性の理念』(1924)を読まなかったら、マキアヴェリは完全にパスしていたところでした。偉大な人物の偉大な本として、お勧めします。
久しぶりに読んでみると、むかつく箇所が多々あります。
たとえば、
人間は、恐れている者より、愛情を感じていた者を容赦なく傷つけるものである。この理由は、がんらい人は邪悪であるから、たんに恩義の絆でつながれている愛情などは、自分の利益がからむ機会が起これば、すぐにでも断ち切ってしまうものだからである。だが、恐れている者に対しては、処刑の恐怖でしっかり縛られているので、けっして見殺しにしないのである。
また
名君は、信義を守ることがかえって自分に不利をまねくばあいに、あるいは、すでに約束したときの動機が失われてしまったようなああいでは、信義を守ることをしないであろうし、また守るべきではないのである。もっとも、この教えは、もし人間がみなよい人間ばかりであれば、まちがっているといえよう。人間は邪悪なものであって、あなたに対する信義を忠実に守ってくれるものではないから、あなたのほうも人々に信義を重んずる必要はない。そのうえ、信義の不履行を合法的に言いつくろうための口実は、君主にはいつでも見いだせるものである。
このむかつく箇所のおおい本が数百年も価値あるものと認められ、はるか遠方の日本で翻訳されて販売されているには、理由がなくてはなりません。その理由は、いくつかあるでしょうけれど、つぎの箇所は、理由のひとつになると私は思います。
・・・私のねらいは、読む人が直接役にたつもおんを書くことである。想像の世界より、具体的な真実を追究することのほうが、私は役にたつと思う。これまで多くの人は、見たことも聞いたこともない共和国や君主国を想像のなかで描いてきた。しかし、人の実際の生き方と人間がいかに生きるべきかということとは、はなはだかけ離れている。だから、人間いかに生きるべきかということのために、現に人の生きている実態を見落としてしまうような者は、自分を保持するどころか、あっというまに破滅を思い知らされるのが落ちである。なぜなら、なにごとにつけても善を行うと広言したがる人は、よからぬ多くの人のあいだにあって破滅せざるをえないものである。ゆえに、自分の身を保持しようとする君主は、よくない人間となりうることを習う必要があり、またこの態度を、時に応じて行使したり、行使しなかったりする必要がある。
これだけからも、”もうけっこう”と思われる方がいたり、”それなら、読もうか”と思われる方もいらっしゃると思います。
もし、マイネッケ(Friedrich Meinecke,1862 - 1954)の『近代史における国家理性の理念』(1924)を読まなかったら、マキアヴェリは完全にパスしていたところでした。偉大な人物の偉大な本として、お勧めします。
「火の用心」ポスター展@今津平和堂 ― 2008/03/07
「平和新聞」 高島版 第2号をいただきました。表です。 ― 2008/03/07
3月6日に高島市に出かけたときに、このビラをいただきました。
高島の平和委員会が発行している「平和新聞」高島版です。
表と裏に印刷されています。これは、表。
クリックしていただければ、字が読める大きさです。
主な記事は、
ちなみに、平和新聞は、日本平和委員会が発行しています。
なお、高島市には、近畿で最大の自衛隊と米軍の共同演習場=饗庭野(あいばの)演習場があり、住民は「あいば野平和運動連絡会」をつくっています。
高島の平和委員会が発行している「平和新聞」高島版です。
表と裏に印刷されています。これは、表。
クリックしていただければ、字が読める大きさです。
主な記事は、
米兵の女子中学生暴行事件
高島市平和委員会
米国大使館に抗議文を送付
イージス艦衝突事件
あいば野平和連等
厳正な捜索・救援・真相究明を求める
ちなみに、平和新聞は、日本平和委員会が発行しています。
なお、高島市には、近畿で最大の自衛隊と米軍の共同演習場=饗庭野(あいばの)演習場があり、住民は「あいば野平和運動連絡会」をつくっています。
「平和新聞」 高島版 第2号 裏です ― 2008/03/07
ヒヨドリ=鵯、Hypsipetes amaurotis ― 2008/03/07
やっぱり雪国型の信号でした@高島市 ― 2008/03/07
ムクドリ(椋鳥 Sturnus cineraceus)@ぜぜ公園の水辺 ― 2008/03/07
ムクドリは、よく見かけるトリです。
湖岸でもそうですが、
幹線道路の街路樹にもいます。
ふいの出会いもあるのです。
去年は、そうでしたね。
歩道のなかに降りてきました。
エサを見つけたんでしょうね。
大胆にも、それをくわえて、
ちぎっていました。
私はあまりに近かったので、
どきどきしてしまいした。
そして、飛び立ったときには、
ずいぶん時間が経ったように
感じたのです。
それはきっと特別な体験に
思えたと思うのです。
ディッキンソンの詩が生まれるのは
こういうときなんでしょうね。
決して空想では生まれない驚き。
つい一週間前も、1mもない距離で
ムクドリのつがいに出会いました。
ビルの一階、駐車場の骨組みに
並んで飛んできたのです。
今度は、落ち着いて観察できました。
けっこう太って見えるのです。ムクドリ。
上の写真は、膳所公園。
すっかり、水草が消えていました。
枯れたヨシだけが目立つなか、
数羽のムクドリがエサを求めて
飛び回っていました。
2羽が写っていますね。
ピントが合わなかったり、ぶれたり。
ディッキンソンの詩です。
湖岸でもそうですが、
幹線道路の街路樹にもいます。
ふいの出会いもあるのです。
去年は、そうでしたね。
歩道のなかに降りてきました。
エサを見つけたんでしょうね。
大胆にも、それをくわえて、
ちぎっていました。
私はあまりに近かったので、
どきどきしてしまいした。
そして、飛び立ったときには、
ずいぶん時間が経ったように
感じたのです。
それはきっと特別な体験に
思えたと思うのです。
ディッキンソンの詩が生まれるのは
こういうときなんでしょうね。
決して空想では生まれない驚き。
つい一週間前も、1mもない距離で
ムクドリのつがいに出会いました。
ビルの一階、駐車場の骨組みに
並んで飛んできたのです。
今度は、落ち着いて観察できました。
けっこう太って見えるのです。ムクドリ。
上の写真は、膳所公園。
すっかり、水草が消えていました。
枯れたヨシだけが目立つなか、
数羽のムクドリがエサを求めて
飛び回っていました。
2羽が写っていますね。
ピントが合わなかったり、ぶれたり。
ディッキンソンの詩です。
A Bird came down the Walk
He did not know I saw---
He bit an Angelworm in halves
And ate the fellow,raw,
And then he drank a Dew
From a convenient Grass--
And then hopped sidewise to the Wall
To let a Bettle pass--
He glanced with rapid eyes
That hurried all around--
They looked like frightened Beads, I thought--
He stirred his Velvet Head
Like one in danger, Cautious,
I offered him a Crumb
And he unrolled his feathers
And rowed him softer home---
Than Oars divided the Ocean,
Too silver for a seam--
Or Butterflies, off Banks of Noon
Leap, plashless as they swim.
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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