お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
ミニ研究会用メモ:旧大津陸軍墓地には、いったいくつの個人墓碑があるのか? ― 2008/03/19
●旧大津陸軍墓地の個人墓碑数
私が2007年11月に「旧大津陸軍墓地を語り合う会」をしたときに、数で混乱したことがある。
だから、総数について、まずは確認することが必要である。
●大津市が作成した墓碑名簿
大津市が1976年頃に作成した旧陸軍墓地の墓石の名簿がある。
これを見る限り、個人墓碑は、565柱ある。ただ、名簿に登載されながら、(理由は不明)失われている墓石が1基だけあるので、現存するのは564柱である。
私は、この名簿と実際を照合してみたが、完全に一致している。氏名や階級の読み間違いや位置の間違いはあるにしても。
●ブロックごとの内訳
大津市作成の名簿に登載されている個人墓碑の数字をブロックごとに挙げてみる。
●旧大津陸軍墓地移転対策委員会の碑
旧大津陸軍墓地の敷地にバイパスを通すこととなり、そのために破壊される墓地の移転問題が生まれた。移転を担ったのが、この「旧大津陸軍墓地移転対策委員会」であると思われる。
ところが、この委員会が残した碑を見ると、「将兵559柱」と刻まれている。
この数字は、大津市が名簿に載せている565柱と一致しない。もっとも、「将兵」といっている以上、そうではないものを除外した数字ということになるだろう。
つまり、6柱が除外されていることになる。
●6柱はどれか?
将兵ではない墓碑は、たしかに、Mブロックに存在する。だが、それは、13柱(現存は12柱)であって、6ではない。
私が2007年11月に「旧大津陸軍墓地を語り合う会」をしたときに、数で混乱したことがある。
だから、総数について、まずは確認することが必要である。
●大津市が作成した墓碑名簿
大津市が1976年頃に作成した旧陸軍墓地の墓石の名簿がある。
これを見る限り、個人墓碑は、565柱ある。ただ、名簿に登載されながら、(理由は不明)失われている墓石が1基だけあるので、現存するのは564柱である。
私は、この名簿と実際を照合してみたが、完全に一致している。氏名や階級の読み間違いや位置の間違いはあるにしても。
●ブロックごとの内訳
大津市作成の名簿に登載されている個人墓碑の数字をブロックごとに挙げてみる。
Aブロック 20 将校
Bブロック 15 下士官
Cブロック 18 下士官
Dブロック 19 下士官
Eブロック 207 兵卒(士官候補生1)
Fブロック 37 兵卒と下士官
Gブロック 1 ロシア兵俘虜
Kブロック 139 兵卒と清国兵俘虜(2)
Lブロック 98 兵卒
Mブロック 11 民間人(将校の縁戚)
個人墓碑合計 565
●旧大津陸軍墓地移転対策委員会の碑
旧大津陸軍墓地の敷地にバイパスを通すこととなり、そのために破壊される墓地の移転問題が生まれた。移転を担ったのが、この「旧大津陸軍墓地移転対策委員会」であると思われる。
ところが、この委員会が残した碑を見ると、「将兵559柱」と刻まれている。
この数字は、大津市が名簿に載せている565柱と一致しない。もっとも、「将兵」といっている以上、そうではないものを除外した数字ということになるだろう。
つまり、6柱が除外されていることになる。
●6柱はどれか?
将兵ではない墓碑は、たしかに、Mブロックに存在する。だが、それは、13柱(現存は12柱)であって、6ではない。
ミニ研究会用メモ:「将校の墓碑」一覧(20基)@旧大津陸軍墓地 ― 2008/03/19
旧大津陸軍墓地に存在する将校の墓碑は以下の20基である。
①陸軍歩兵大尉 正七位勲六等
浅野 典則
②陸軍歩兵少尉 正八位
田中 幸太郎
③陸軍歩兵大尉 従七位勲五等
徳大寺 亀一
④陸軍歩兵大尉 従七位勲五等
伏木 徳太郎
⑤陸軍歩兵大尉 正七位勲六等
松浦 文夫
⑥陸軍二等軍医正 正六位勲四等
村治 重厚
⑦陸軍歩兵中佐 従五位勲四等
井戸 順行
⑧陸軍歩兵少佐 従五位勲四等
中山 充蔵
⑨陸軍歩兵少佐 従五位正六位勲四等功五級
奈良 鉞治郎
⑩陸軍歩兵中尉 従七位勲五等
田中 忠孝
⑪陸軍歩兵大尉 正七位勲五等
谷村 元吉
⑫陸軍歩兵少尉 正八位勲六等功五級
村治 昭
⑬陸軍歩兵中尉 従七位
伊藤 兼太郎
⑭陸軍歩兵少尉 正八位勲六等功五級
鎌倉 誠一
⑮(文字解読不能)
⑯陸軍歩兵大尉
南保 一義
⑰陸軍歩兵中尉 従七位
宮田 金之助
⑱陸軍歩兵大尉 従六位勲四等
稲垣 伊右衛門
⑲陸軍歩兵少将 正五位勲三等功四級
草場 彦輔
⑳陸軍歩兵中佐 従五位勲四等
西田 源吾
ミニ研究会用メモ:「日清戦争期の下士官の墓碑」一覧@旧大津陸軍墓地 ― 2008/03/19
旧大津陸軍墓地の中段の東側の下手は、日清戦争期の下士官の墓地である。全部で、15基ある。
①陸軍歩兵二等軍曹 中川 彌三郎
②陸軍歩兵一等軍曹 元武 勇
③陸軍歩兵二等軍曹 山元 丑之助
④陸軍歩兵一等軍曹 松宮 寅治郎
⑤陸軍歩兵一等軍曹 矢杉 安太郎
⑥陸軍歩兵特務曹長 尾嵜 常人
⑦陸軍歩兵一等軍曹 小泉 音吉
⑧陸軍歩兵一等軍曹 中沢 市次郎
⑨陸軍歩兵一等軍曹 濱田 定一
⑩陸軍歩兵一等軍曹 太田 末次郎
⑪陸軍歩兵曹長 阪根 萬太郎
⑫陸軍歩兵二等軍曹 中村 定太郎
⑬陸軍歩兵一等軍曹 松室 重凞
⑭陸軍歩兵一等軍曹 阪井 晸一郎
⑮陸軍歩兵特務曹長 柳川 傳蔵
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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