お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

三色のデザインが派手ですね、この花2008/04/14

三色が目立つ花です
この花は目を惹きました。
派手な配色ですね。
無知な私が
「見たこともない」と言っても
あまり説得力がありません。
でも・・・実際
あまり見かけない花じゃあ
ないですか?

じゃあ、この花はすぐ名前がわかりますか?・・・クンシラン2008/04/14

ユリっぽいですね、ユリにしては派手
昼休みにお弁当を食べながら、ブログをチェック。
お!コメントがある。
なになに?ひとつまえの花は「スパラシキス」。
にゃこりんさん、教えていただいて
ありがとうございます。

・・・どうして調べるんだろう。
もっと難しいものないのか・・。
この花はどうですか?
「スパラシキス」の近くに植えてありました。

調べるまでもないですか?

関宿の山菜おこわの店のテーブルに置いてありました2008/04/14

関宿のお店のテーブルの花です
関宿にいって、なにを食べようかと思っていたら、
山菜おこわがメインというお店がありました。
じゃあ、入ろうと中へ。
私は、少し遅れてお店に入りましたが、
連れの二人がいない。
探したら、奥の部屋にいました。
タバコの煙がいやなので禁煙席に
換えてもらったとか。

メニューを見ました。
あとでいろいろ食べたいので、
定食ではなく、軽目にすることに。
それで、「山菜おこわ」にしました。

「単品ですか?」
「いえいえ、これです。そばもついているもの」
「はい、単品ですね」
隣のテーブルにあとから来られた方も
「単品ですか」と聞かれていました。
それがあまりに頻繁なので、
「単品じゃだめなのか?」とつっこみを
いれたくなるほどでした(笑)。

注文したあとの待ち時間、
観光地図を眺めていましたが、
テーブルのうえには、小さな花瓶。
お、スミレ・・がある・・・でもちがうぞ。
なんだろうこれ。変に膨れている。
・・・ということで写真撮影。
フラッシュをたいたので、後ろは真っ暗。

さて、この花はなんなんだろう。
ひとつは菜の花。

つつじが集合して咲いているって感じですね2008/04/14

放射状に咲くツツジみたいですね
もう花の名前で争うのはムダだとあきらめました。
派手な花がいろいろありますね。
これは、きっと在来種ではなく、外国の花でしょうね。
放射状にたくさんのツツジっぽい花が咲いています。
これでもか!!って感じです。

なごみのタンポポ2008/04/14

どこでも楽しく咲いているタンポポ
タンポポはどこに咲いていてもタンポポ。
それはそうなのですが、
ふつうはないだろうなぁと思うところに
ちゃっかり咲いているところを見ると、
なぜか和みませんか?
お寺の人に抜かれないのがいいのかも。

来年もお掃除されないでしっかり咲いてほしい。
さて、私も変なところで咲いていないで仕事仕事・・。

屋久島のサルは小さいけど毛が長い2008/04/14

屋久島のサル(横顔ヴァージョン)
「屋久島のサルは小さいけれど、毛が長い」・・・と聞いていました。
実物に出会ったのは、2日目。
島を一周する道路で、世界遺産となっている森林を走り抜ける道でした。
飛び込んでくるのが心配で、窓を開けずに撮りました。
でも、心配無用なのかも。
こっちは見えているはずなのに、なにかをじっと考えている様子。
う~ん、賢そうに見えていますねぇ。
もうすぐヒトに進化するのか?

初めてであったヤクシカ@屋久島2008/04/14

初めてであったヤクシカ
3月28日。2日目。
屋久島では、サルのほかに、ヤクシカに出会いました。
ヤクシカは繁殖しすぎるほど多数生息しているといいます。
実際に出会うと、家族全員から声がでてしまいます。
「いた!!シカ」
これは、オスですね。角がついています。

ホトケノザ(仏の座)または三階草に2008/04/14

ホトケノザ(仏の座)または三階草
 すでにアップしたことのある花です。
 私がこの花を見て、注目したのは花そのものの形でした。イヤリングがついているように見えたのです。
この花について調べると、イヤリングだと思った部分が、花びら。そしてその上の部分に、おしべがあるとか。虫は、花びらにとまり、中をのぞきこんで蜜をすいます。その背中におしべの花粉がつくようになっているらしいのです。
なにか手の込んだ細工なんですね。
 おしべがついている場所が興味深いので、今度見たら、その部分を撮影したいと思います。
 さて、その構造はともかく、名前の付け方についてですが、見た人によって注目する場所がちがうのですね。
 「ホトケノザ」とは、茎を囲む葉が仏さんがすわる場所(蓮華座)のような形をしていることからきているのです。わたしは、まったくその場所には関心がありませんでした。三階草という別名も、葉がつくる座のかたちが上下に重層的についていることから来たらしい。
 この名前を知っていたら、まずそういう目で見たでしょうね。
 名前を知らないほうが新鮮???
 いや、はずかしいことかな。

これって西洋タンポポですね(・・・と思ったけれどちがうらしいです ^^;)2008/04/14

総苞がそっていますね、このタンポポ
タンポポにも、たくさんの種類があるなんて考えもしませんでした。
大きく分けると、在来種と外来種があるそうです。
二つを区別するのは、「総苞」の形。
ちなみに、「総苞」とは、”花序全体を基部で包む小さいうろこ状の包の集まり”だそうです。
「花序」は、カジョと読んで、”茎への花の付き方。花軸上の花の並び方”。
 用語もむつかしいですね。
 要するに、タンポポの花の下の部分ですね。
 「総苞」がそりくりかえっているのが、西洋タンポポ。
上の花はそっていますから、西洋タンポポってことになりますね。
 タンポポを見ると、折らないように裏返しにしています。すると、全部が西洋タンポポ・・・。
お~い、在来種はどこへいったんだ!!
 在来種を探してみましょう。

*****************************************
・・・と自分なりに、わかったつもりだったのですが、
ちがっていたらしいです。
MKさんのコメントによれば、これは在来種。
うれしい誤算?!
まちがった情報を流すのはよくないので訂正します。
くわしくはMKさんのコメントをごらんください。

休むまもなく「ひこにゃん」はお仕事2008/04/14

ひこにゃんは、また仕事なんですね。
去年は、彦根城築城400年祭でした。
そこで、マスコットのひこにゃんは大ブレーク。
その後、ひこにゃんをめぐって一騒動がありました。
わが事務所に100円で届けられたお菓子。
見ると、ひこにゃん。
え!?なんでなんと思って読むと、
「井伊直弼と開国150周年祭」と書いてあります。
そうか、ひこにゃんは、また今年もお仕事なんですね。
そうす奈良では、お祭りなのに別の騒動がありますね。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)