お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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『 没後120年記念 絵画の冒険者 暁斎 Kyosai-近代へ架ける橋-』@京都国立博物館に行ってきました2008/04/26

暁斎展が行われている京都国立博物館
 京都国立博物館で、『特別展覧会/ 没後120年記念 絵画の冒険者 暁斎 Kyosai-近代へ架ける橋- 』が開催されています。他の方のブログでも紹介されていたので、ぜひ見たいと思っていました。
 期間は、2008年4月8日 (火) ~5月11日 (日)ですで、今日しかないとおもって行きました。
 かなりまとめて作品を見ることができたのはうれしいことでした。
 早熟の天才であり、確かな技巧をもっている画家であることがわかりましたが、それ以上に、現世的な鋭い観察眼をもつ批評家、大胆な発想ができる反骨の人であると思いました。
 この会場では、絵画、屏風画、掛け軸など伝統的な分野の作品が多かったのですが、目を奪われたのは、巨大なタペストリー(なんていうんでしょうこれは?)でした。
 暁斎展は、もう一ヶ所行われています。
 京都マンガミュージアムにも足を運びました。

下の写真は、暁斎展ポスターにちょっとイタズラを。

『明治日本のギャグマスター 暁斎漫画展』@京都国際マンガミュージアムに行きました2008/04/26

明治日本のギャグマスター 暁斎漫画展@
 京都国立博物館につづいて、京都国際マンガミュージアムに足を運びました。
 同じ暁斎展でも、タイトルそのものが違っています。もちろん内容もですが、マンガミュージアムらしいアングルが感じられますね。
 ここには、より庶民的な、より社会的な、より俗世間で生きる明治人としての暁斎を見ることができました。
 暁斎は、おどろおどろしさを好む趣味人という範囲に止まらない存在です。明治政府に逮捕されて、投獄された経歴をもっているのもはじめて知りました。彼の絵からは、現世的な権力とか宗教的な権威への懐疑と嘲笑が漂ってきます。その批判的な目は、「自由」をふるかざす者(福沢諭吉、板垣退助など)たちへの向けられていることに興味を覚えました。それを見たら、逮捕したくなるのはわかる気がしますね(笑)。  さらに長生きして、日本の近代史の諸事件を目の当たりにしたら、どれだけ強烈な絵が生み出されたのかわかりません。
 そうそう、晩年のゴヤのような絵を残したように思えるのです。
 現代は日本のアニメに世界的な関心が寄せられています。暁斎は、その規模には及びませんが、ジャポニズムが西欧で流行したタイミングともあわせて、注目されていたことをはじめて知りました。

朝の花2008/04/26

朝の花は閉じているんですねぇ。
わが家の黄色い花。
朝昼夜では印象が違います。
昼は花を広げ、朝と夕方は閉じている・・・こんなことも知りませんでした。
下の写真は、午後ですね。

タンポポがふたつ、目玉もふたつ2008/04/26

タンポポがふたつ、目玉もふたつ
 タンポポを撮っていたら、コンクリートの上に目玉がふたつ写っていました。

タンポポ2008/04/26

タンポポは花が散っても絵になります
タンポポは咲いた花も絵になりますが、
花が散ったあとも楽しませてくれますね。
 でも、穂が散って、耳につまったりすると、まずいですね。
 来年の春あたりに、耳からダンディライオン!

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)