お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
20年ぶりに明日香村へ ― 2008/05/06
上の写真は、高松塚古墳の遠望です。
さて6日は、明日香村へ。もともと5日に行く予定だったのですが、天気予報が雨でしたから、1日ずらしたのです。風邪気H君は、残念ながら、参加を見合わせました。
明日香村は、20年ほど前に行ったことがありました。そのときの印象は強烈でした。異文化に接した気持ちになったのです。
今回は、どうでしょうか?
JR大津駅からJR京都駅へ。近鉄に乗り換えて、橿原神宮前駅で下車。そこからレンタサイクル(1台1000円。別の場所での乗り換えは、200円の追加料金)に乗り換えて、明日香村へ向かいました。
飛鳥駅下車でもいいのですが、乗り継ぎの電車に乗り遅れたので、橿原神宮前駅から、出発しました。
10数分ぐらい自転車をこいでいくと、「明日香村」の標識が見えました。前回とは逆の順路から、明日香村のお寺や遺跡を巡ることになりました。
自転車に乗り出して、すこし後悔。カミさんにも、K君にも、坂道で追いつくのは大変。
最初に見学したのは、「明日香村埋蔵文化財展示室」。職員さんの親切な対応に感激しました。このような対応は、村中どこへ行っても感じられたことです。
ただ、これまでになかった施設が増えたこと、全体的に観光地化し、洗練されたと思いました。
それでも、巨石遺跡の迫力と空想力を刺激するパワーは変わっていませんでした。新たに、亀形遺跡も発見されたことですし、いっそう興味深い場所になったと思いました。
明日香村滞在の時間帯のほとんどすべてが、自転車での移動時間。感想を語り合う時間がもてず、もうすこし急がず回りたいと思いました。
**********************************
これで、5日と6日の連休は、それぞれ日帰りでしたが、平城京と飛鳥で過ごしたことになります。往復は、これまでのようにマイカーを使わずに公共交通機関を利用しました。その往復時間、私は、澤地久枝さんの『密約 外務省機密漏洩事件』(岩波現代文庫)を読み終わりました。カミさんはを大和和紀『あさきゆめみし』を3巻まで読んだそうです。
さて6日は、明日香村へ。もともと5日に行く予定だったのですが、天気予報が雨でしたから、1日ずらしたのです。風邪気H君は、残念ながら、参加を見合わせました。
明日香村は、20年ほど前に行ったことがありました。そのときの印象は強烈でした。異文化に接した気持ちになったのです。
今回は、どうでしょうか?
JR大津駅からJR京都駅へ。近鉄に乗り換えて、橿原神宮前駅で下車。そこからレンタサイクル(1台1000円。別の場所での乗り換えは、200円の追加料金)に乗り換えて、明日香村へ向かいました。
飛鳥駅下車でもいいのですが、乗り継ぎの電車に乗り遅れたので、橿原神宮前駅から、出発しました。
10数分ぐらい自転車をこいでいくと、「明日香村」の標識が見えました。前回とは逆の順路から、明日香村のお寺や遺跡を巡ることになりました。
自転車に乗り出して、すこし後悔。カミさんにも、K君にも、坂道で追いつくのは大変。
最初に見学したのは、「明日香村埋蔵文化財展示室」。職員さんの親切な対応に感激しました。このような対応は、村中どこへ行っても感じられたことです。
ただ、これまでになかった施設が増えたこと、全体的に観光地化し、洗練されたと思いました。
それでも、巨石遺跡の迫力と空想力を刺激するパワーは変わっていませんでした。新たに、亀形遺跡も発見されたことですし、いっそう興味深い場所になったと思いました。
明日香村滞在の時間帯のほとんどすべてが、自転車での移動時間。感想を語り合う時間がもてず、もうすこし急がず回りたいと思いました。
**********************************
これで、5日と6日の連休は、それぞれ日帰りでしたが、平城京と飛鳥で過ごしたことになります。往復は、これまでのようにマイカーを使わずに公共交通機関を利用しました。その往復時間、私は、澤地久枝さんの『密約 外務省機密漏洩事件』(岩波現代文庫)を読み終わりました。カミさんはを大和和紀『あさきゆめみし』を3巻まで読んだそうです。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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