お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
「酒船石遺跡」@明日香村を見ました ― 2008/05/09
20年ぶりに訪れた明日香村。その当時には存在しなかったものがあります。それが、「酒船石遺跡」。
酒船石(岡)の下手に、2000年に新しく遺跡が発見され、「酒船石遺跡」と命名されました。この命名には、(岡の)「酒船石」との関連があることを前提にしているわけですが、それには異論があると聞いています。
新しく発見されたものは、「亀形石造物」と「小判形石造物」そして周辺の遺構です。
これを見るためには、300円の入場料が必要(お金がいるんです!)。遺跡の一部は埋めなおされて、「亀形石造物」と「小判形石造物」が近くで見ることができるようにされています(そんなことしていいんだろうか?)。壊れやすい砂岩の部分はレプリカになっているそうです。
ボランティアのガイドさんがいて、遺跡の発見の経過や、遺跡の特徴、これをめぐる異なる学説の存在など、高度な説明をしてくれました。
とても興味深く聞きました。
命名にあるように、岡の「酒船石」と一連のものとして考える視点が生まれて、庭園の水まわり関係の遺跡で祭祀に使われたという説が有力だと思いました。
写真中央の奥が「小判形石造物」(他に適当な名前がないんだろうか?水に関係しているのだから、枡形とか)、手前が「亀形石造物」。 まあ、石造物にはちがいありませんが、他の石が「猿石」、「亀石」、「酒船石」などと名付けられているのですから、○○石などとしたほうがなじみやすいと思いました。
材質ですが、飛鳥地方の花崗岩を使っているそうですね。特徴がはっきりしているといいます。その特徴は、ソバカス(?)があること?「石舞台の石と同じです」という説明でした。
酒船石(岡)の下手に、2000年に新しく遺跡が発見され、「酒船石遺跡」と命名されました。この命名には、(岡の)「酒船石」との関連があることを前提にしているわけですが、それには異論があると聞いています。
新しく発見されたものは、「亀形石造物」と「小判形石造物」そして周辺の遺構です。
これを見るためには、300円の入場料が必要(お金がいるんです!)。遺跡の一部は埋めなおされて、「亀形石造物」と「小判形石造物」が近くで見ることができるようにされています(そんなことしていいんだろうか?)。壊れやすい砂岩の部分はレプリカになっているそうです。
ボランティアのガイドさんがいて、遺跡の発見の経過や、遺跡の特徴、これをめぐる異なる学説の存在など、高度な説明をしてくれました。
とても興味深く聞きました。
命名にあるように、岡の「酒船石」と一連のものとして考える視点が生まれて、庭園の水まわり関係の遺跡で祭祀に使われたという説が有力だと思いました。
写真中央の奥が「小判形石造物」(他に適当な名前がないんだろうか?水に関係しているのだから、枡形とか)、手前が「亀形石造物」。 まあ、石造物にはちがいありませんが、他の石が「猿石」、「亀石」、「酒船石」などと名付けられているのですから、○○石などとしたほうがなじみやすいと思いました。
材質ですが、飛鳥地方の花崗岩を使っているそうですね。特徴がはっきりしているといいます。その特徴は、ソバカス(?)があること?「石舞台の石と同じです」という説明でした。
石舞台@明日香村 ― 2008/05/09
明日村にある最大の遺跡。石舞台。
強大な権力なくして造成できないことから、蘇我の馬子の墓であることが最有力視されている。
上の写真は、山側から。下の写真は平地側から撮影。
私には、二度目の訪問。客観的な調査をする力は私にはない。むしろ、自分がどんな印象をもつか、この遺跡からなにを感じるのかが大切だと思った。
いっしょにいった息子のK君は、写真で見ていただけなので、石室があることを知らなかった。カミさんは、別の機会にきていたが、「もっと近くまで自転車でこれて、上にも登ることができた」と言っていた。
石舞台は、田んぼのなかに、ど~んとあって、だれもが登っても叱られない、親しげな巨石の集まりであったんだろう。
それが、いまや入場料をとるし、周囲には観光施設(売店)や大きな駐車場ができている。
明日香村の石の遺跡の魅力は、村の生活にとけこんで、特別扱いされないところにあると私は思う。昔からの人々にとっては、疎遠な気がするのではないだろうか。
しかし、観光客が勝手に来て(悪気はなくても)村の生活を乱すよりは、保存を考えて、施設づくりをするほうが将来的にはよいのだとも、思う。
それはともかく、石室のなかに、解説するボランティアの方がいる。その説明の内容は深くて、ここでも感心することしきりだった。
それぞれの石の写真を撮りたかったのだが、(私もその一人だが)観光客が多すぎて、できない相談みたいである。
強大な権力なくして造成できないことから、蘇我の馬子の墓であることが最有力視されている。
上の写真は、山側から。下の写真は平地側から撮影。
私には、二度目の訪問。客観的な調査をする力は私にはない。むしろ、自分がどんな印象をもつか、この遺跡からなにを感じるのかが大切だと思った。
いっしょにいった息子のK君は、写真で見ていただけなので、石室があることを知らなかった。カミさんは、別の機会にきていたが、「もっと近くまで自転車でこれて、上にも登ることができた」と言っていた。
石舞台は、田んぼのなかに、ど~んとあって、だれもが登っても叱られない、親しげな巨石の集まりであったんだろう。
それが、いまや入場料をとるし、周囲には観光施設(売店)や大きな駐車場ができている。
明日香村の石の遺跡の魅力は、村の生活にとけこんで、特別扱いされないところにあると私は思う。昔からの人々にとっては、疎遠な気がするのではないだろうか。
しかし、観光客が勝手に来て(悪気はなくても)村の生活を乱すよりは、保存を考えて、施設づくりをするほうが将来的にはよいのだとも、思う。
それはともかく、石室のなかに、解説するボランティアの方がいる。その説明の内容は深くて、ここでも感心することしきりだった。
それぞれの石の写真を撮りたかったのだが、(私もその一人だが)観光客が多すぎて、できない相談みたいである。
「大店立地法審議会」を傍聴しませんか? ― 2008/05/09
「イオンモール出店反対とまちづくりを考える会」事務局から、「守山リゾートSC」と「フォレオ大津一里山」の大店立地審議会の日程と傍聴のよびかけが届きました。
ついでに、傍聴要綱が添付されていました。興味ある方のために、簡単にご案内します。
審議会ですが、5月16日(金)午後1時30分から午後4時30分まで。大津市打出浜2番1号「コラボしが21」3階中会議室1で開かれます。
議題は、
(1)大規模小売店舗立地法に基づく届出に係る審議について
ア.新設:(仮称)琵琶湖・守山リゾートSC(守山市)
イ.変更:エイスクエア(草津市)
ウ.新設:フォレオ大津一里山(大津市)
(2)その他
となっています。
この審議会は、非公開の議題を除いて傍聴することができます。傍聴希望者が定員を超えれば抽選となります。
ついでに、傍聴要綱が添付されていました。興味ある方のために、簡単にご案内します。
審議会ですが、5月16日(金)午後1時30分から午後4時30分まで。大津市打出浜2番1号「コラボしが21」3階中会議室1で開かれます。
議題は、
(1)大規模小売店舗立地法に基づく届出に係る審議について
ア.新設:(仮称)琵琶湖・守山リゾートSC(守山市)
イ.変更:エイスクエア(草津市)
ウ.新設:フォレオ大津一里山(大津市)
(2)その他
となっています。
この審議会は、非公開の議題を除いて傍聴することができます。傍聴希望者が定員を超えれば抽選となります。
すずしげな白い花です ― 2008/05/09
白い花をつけた草 ― 2008/05/09
これアザミっぽい花ですね、ちがうけれど。(チャイブ) ― 2008/05/09
やっぱ、白にピンクは目立ちますよね。周りの花がかわいそう(?) ― 2008/05/09
これは葉っぱなのか、花なのか??(アッツザクラ) ― 2008/05/09
この花はどうですか?パンジーかな? ― 2008/05/09
フェンスに飛んだ種から花が咲いたっていう感じですね ― 2008/05/09
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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