お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
宮崎駿『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』(2002年) ― 2008/05/15
5月14日にブックオフで買った本の一つです。
さっき、一気に読み終わりました。
これは、宮崎駿さんの著作というよりは、インタビュアーである渋谷陽一さんの本というのが正しい気がしますね。まったく気軽に進むトークショーのような雰囲気の本です。
私が、この本に期待したものと実際ではずいぶんギャップがありました。
よかったという意味ではありません。
宮崎さんは、きっと普段どおりに話していたと思います。
しかし、このインタビューからは、『ナウシカ』、『天空の城ラピュタ』、『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』などの作者の顔が見えない・・・そんな気がしました。
たぶん、私だけの感想だとは思いますが。
さっき、一気に読み終わりました。
これは、宮崎駿さんの著作というよりは、インタビュアーである渋谷陽一さんの本というのが正しい気がしますね。まったく気軽に進むトークショーのような雰囲気の本です。
私が、この本に期待したものと実際ではずいぶんギャップがありました。
よかったという意味ではありません。
宮崎さんは、きっと普段どおりに話していたと思います。
しかし、このインタビューからは、『ナウシカ』、『天空の城ラピュタ』、『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』などの作者の顔が見えない・・・そんな気がしました。
たぶん、私だけの感想だとは思いますが。
中江藤樹生誕400年祭@高島市 ― 2008/05/15
高島市で、「中江藤樹生誕400年祭」が、3月7日から9月28日まで行われています。5月7日に、高島市に出かけたときに、このポスターの写真を撮りました。
高島市議会を傍聴したときに驚いたのですが、30人の市議会議員と市長先頭に市の幹部職員が、おそろいの黄色の半被を着用して(その背中には藤樹のマンガ)、本会議に臨んでいたことです。
中江藤樹という人がいて、近江聖人と呼ばれていたことは、私も知っています。知ってはいましたが、それ以上の知識をもっていません。
・・・それは自慢にはならないことですが(笑)。
内村鑑三の『代表的知識人』を先日買って読みました。西郷隆盛をはじめ著名人が10人選ばれています。その一人が中江藤樹でした。
それで・・・ようやくプロフィールの一端に触れたのです。
私はすこし誤解していました。偉大な儒学者なので、幕府か藩のなかで、高い地位についていたと思っていたのです。派手さのない誠実な人生は、「聖人」とよばれるに値しますが、人気を博することは難しいかもしれません。
高島市議会を傍聴したときに驚いたのですが、30人の市議会議員と市長先頭に市の幹部職員が、おそろいの黄色の半被を着用して(その背中には藤樹のマンガ)、本会議に臨んでいたことです。
中江藤樹という人がいて、近江聖人と呼ばれていたことは、私も知っています。知ってはいましたが、それ以上の知識をもっていません。
・・・それは自慢にはならないことですが(笑)。
内村鑑三の『代表的知識人』を先日買って読みました。西郷隆盛をはじめ著名人が10人選ばれています。その一人が中江藤樹でした。
それで・・・ようやくプロフィールの一端に触れたのです。
私はすこし誤解していました。偉大な儒学者なので、幕府か藩のなかで、高い地位についていたと思っていたのです。派手さのない誠実な人生は、「聖人」とよばれるに値しますが、人気を博することは難しいかもしれません。
葉も茎も細い紫の花→ニーレンベルギア ― 2008/05/15
ピンクのタンポポっていうのはまずいですか? ― 2008/05/15
サナギがぶら下がっていると思った野草→ヒメコバンソウ(姫小判草) ― 2008/05/15
これも「アワフキムシ」でしょうか? ― 2008/05/15
野いちご?(じゃなくて「ヘビイチゴ」だそうです) ― 2008/05/15
木のキーホルダーは暖かい! ― 2008/05/15
キーは金属製ですから、冷たい感触があります。
キーホルダーは、別になんでもいいと思っていました。
かわいいとかいうよりも実用的なものが好きでした。
いま使っているのは、「屋久杉」のキーホルダーです。
屋久島で1000円で買ったもの。
島ですてきなカフェと民芸品をあつめたお店がありました。そこにネコもいたのですが、他のお土産店にはないそれぞれ個性的なホルダーがおかれていました。1000円と1500円で、手ごろな値段でした。 選んでいると、「手の感触で気に入ったものを決めてください」といわれました。
キーホルダーって手の感触で決める?
私は、色と形で選びました。
それについても解説してくれて、木目が細かく、ところどころ光のスジが見える(猫目石のように)のが屋久杉の特徴だから、それで選んでくださいとのこと。
「じゃあ、1000円と1500円の違いは?」と聴いてみると、答えは、「あくまで作者のフィーリングです(笑)」
納得できるようなできないような。
使い始めてみると、手に木の感触がとてもなじむのです。暖かいし、ソフトだし・・・。おもわず、ずっとさわっていたくなるような。
それで、すっかり気に入って使い始めました。
ところが、一週間もしないうちに消えてしまいました。
留め金がはずれたのです。がっくり。
三日間落ち込んでいましたら、机の上に戻っています。
仕事場でたずねたら、玄関に落ちていたとのこと。
「屋久島、屋久島って騒いでいたから、すぐ持ち主がわかった」そうです。まあ、もどってうれしいです。
カギといっしょにポケットにいれておくと、キズが付いてしまいます。ですから、木だけ外に出していたら、ポトリと落ちてしまったのです。写真に撮ると、キズが目立ち増すねぇ。悲しい・・・。
キーホルダーは、別になんでもいいと思っていました。
かわいいとかいうよりも実用的なものが好きでした。
いま使っているのは、「屋久杉」のキーホルダーです。
屋久島で1000円で買ったもの。
島ですてきなカフェと民芸品をあつめたお店がありました。そこにネコもいたのですが、他のお土産店にはないそれぞれ個性的なホルダーがおかれていました。1000円と1500円で、手ごろな値段でした。 選んでいると、「手の感触で気に入ったものを決めてください」といわれました。
キーホルダーって手の感触で決める?
私は、色と形で選びました。
それについても解説してくれて、木目が細かく、ところどころ光のスジが見える(猫目石のように)のが屋久杉の特徴だから、それで選んでくださいとのこと。
「じゃあ、1000円と1500円の違いは?」と聴いてみると、答えは、「あくまで作者のフィーリングです(笑)」
納得できるようなできないような。
使い始めてみると、手に木の感触がとてもなじむのです。暖かいし、ソフトだし・・・。おもわず、ずっとさわっていたくなるような。
それで、すっかり気に入って使い始めました。
ところが、一週間もしないうちに消えてしまいました。
留め金がはずれたのです。がっくり。
三日間落ち込んでいましたら、机の上に戻っています。
仕事場でたずねたら、玄関に落ちていたとのこと。
「屋久島、屋久島って騒いでいたから、すぐ持ち主がわかった」そうです。まあ、もどってうれしいです。
カギといっしょにポケットにいれておくと、キズが付いてしまいます。ですから、木だけ外に出していたら、ポトリと落ちてしまったのです。写真に撮ると、キズが目立ち増すねぇ。悲しい・・・。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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