お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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日清戦争戦没者の個人墓碑が残っていました@高島市2008/05/16

日清戦争の戦没者の個人碑でしょうか@高島市
 高島市の(民間)墓地で、「明治29年8月建立」という戦没者の墓碑を見つけました。
 上の写真がそれですが、台座は3段。四角錘の形。墓地内でも目立つ大きさでした。



 この年代は、日清戦争(明治27~28年、台湾征服戦争は明治29年)期に相当します。西暦でいくと、1896年。  日露戦争の戦没者の個人墓碑が、高島市にあることは知っています。それは、四角錘ではなく、下の写真のような砲弾型(座薬のような形)です。



 日清戦争というさらに旧い時代の戦没者の個人墓碑を見るのは、私は初めてです。

シロツメグサ2008/05/16

シロツメグサ
シロツメグサは、なぜ、「白詰草」というのでしょうか?
 ネットで調べていくと、江戸時代にヨーロッパから日本にやってきて、ガラス製品の詰めもの(パッキングってことかな)に使われたので、この名前がついたとあります。そのものの名前だったんですね。
 明治以降は、飼育用のエサ。それが野生化して・・・つまり、エサになりたくなくて、逃げ出した子孫が全国に広がったってことですねぇ。自由への旅!
 いまは、「クローバー」のほうがわかりやすいです。つい最近、「4つ葉のクローバー」どころか、7つ葉(?)のクローバーが見つかったって話題になりました。
 このニュースを読んだあと、クローバーが生えている場所を通りがかると思わず足を止めました。「4つ葉」さえなかなか見つかりません。
 突然変異は、自然界の法則の一つです。やがて、「7つ葉」はいきなりむりでも、「4つ葉」のクローバーが普通の存在になっていくかも知れませんね。

廃屋の花壇2008/05/16

廃屋が花壇になっています
白い花が咲いています。
目立つ色ではなくても清潔感があって、好感度100%。



廃屋のコンクリートの裂け目に沿って咲いているのです。
たくましいですね、花って。
黄色いアカカタバミも、いい味を出しています。

お、イリオオテヤマネコか?!2008/05/16

しっぽのふくらみがいいですね、トラネコさん
もちろん、ちがいます。
ふつうのネコです。
夕暮れの町で出会いました。
声をかけながら近づいても、逃げてしまいます。
逃げては、立ち止まる、その繰り返し。
その様子から、飼い猫かも知れません。
しっぽのふくらみは、怒っているのかな?
でも、顔は怒っていないし。

最近、望遠レンズは持ち歩いていません。
ですから、これ以上、大きくは撮れませんでした。

資材置き場はネコの溜まり場2008/05/16

資材置き場のネコ。最後まで逃げなかった2匹。
山道から里におりていくあたりに、
資材置き場があります。
工務店さんの仕事場もあります。
そこに、ネコが7・8匹、たむろしていました。
めったに人通りがないからでしょうね。
道の真ん中を占領。

私の姿を見ると、たちまち数匹が姿を隠しました。
ネコさんの集会の風景を撮りたかったのに残念。
私の方でも、ネコに出会う
心の準備がありませんでしたから、
隠れて近づくとか、とっさにカメラを
向けるとかが、できませんでした。

それでも、逃げないネコがいます。
ネコの気配から察するところ、
これがぎりぎりの距離ですね。
・・・真ん中のネコ・・・
顔立ちがいまいちよくわかりません。 鼻が汚れているのでしょうか?

気楽に眠るムー♂ネコ@わが家2008/05/16

無警戒に眠るムー♂ネコ@わが家
ホームレスのネコたちは、春になって
ようやく過ごしやすくなってきたと感じて
いることでしょう。
街中で見かけるネコの数も増えたと
思います。
一方、わが家では、
季節の変化をあまり意識せず(?)
気楽に眠るムー♂ネコの姿がありました。

この無警戒なところがかわいい。

「ユリ」なのは見てわかりますけど2008/05/16

目が覚めるど紅いユリですね
これは、私が見ても「ユリ」に見えますよ。
調べると「ユリ」というのは、
ユリ目ユリ科ユリ属の総称だと書いてあります。
ですから、どのユリかってことがわからないと
意味がないと思いました。

私が名前を知っているのは、
そばかすがあるオニユリぐらいなもの。

これは、なにユリなんでしょうか。

ミズバショウも仏炎苞だったのか!2008/05/16

ミズバショウ
ミズバショウの花びらと思っていたものは、 実は、「仏炎苞」だったんですね。 Wikipediaをチェックしてはじめて知りました。
「仏炎苞」って、まむし草↓も、もっているし。



座禅草↓ももってますよね。

そういう目で、ミズバショウを見ると、 色が白いだけで同じものなのかと思いますね。

ギシギシ2008/05/16

ギシギシ
こんな名前で、
この草のことを呼んでいただろうか?
野原で遊んだ頃、名前なんて
気にしていなかったのかも知れない。

このギシギシは、薬草だそうである。
葉や茎ではなく、根が。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)