
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
アジサイの色 ― 2008/06/01
白いアジサイ・・・ ― 2008/06/01
アジサイの色はどう変わるのでしょうか? ― 2008/06/01
アジサイ。緑から白、白から青へ。 ― 2008/06/01
え!?これもアジサイなんでしょうか? ― 2008/06/01
ブログを楽しんでいますか? ― 2008/06/01
ブログは、書くほうは、楽しいにちがいありません。よほど差し迫った事情、たとえば業務命令で記事を書かされて盗作さわぎをおこす(どこかのテレビ局のアナウンサーのように)などの場合は、別です。個人でつくるブログで楽しくもないのに書く人はいないと思います。
でも、追い込まれて書くって場合もあるんでしょうね。
ブログランキングがあります。あれに熱中すると危険だと思います。多くの人に見てもらいたいと思うのは、自然な気持ちなんですが、それを主な動機(もしくは楽しみ)にすると、視聴率に振り回されるTV局状態になるんじゃないでしょうか。
少し前に、ブロガーの死が話題になりました。あれは、組織や集団があってはじめてできる情報提供(量的にも質的にも高いもの)を個人でやろうとして、過労死するってケースでしたね。
そういうブログのプロとしてやるのは、問題外。

個人ブログの楽しみってなんだろうってことを考えてみたのです。
書くほうは、まずは、なにをやっても楽しいのです。でも、少し時間がたつと飽きてきます。コメントがないとか、見てもらう機会が少ないとかが気になりだします。自分のなかに、ブログ更新の動機があれば、そんなことは気に留めずに、ドンドン書くことになりますが、見てくれている人を無視するのなら、なんのために発表しているかわからなくなります。自分用のノートという機能でもいいですが、それだけではさびしい。
私は、ブログの楽しみは、(まったく知らない人との出会いを除けば)「刺激」だと思いました。
他の人のブログを見に行って、いいなぁと思うのは、「お!」とかいう刺激です。「なんだこれ?」とか、「きれいだなぁ」とか、いう感嘆符がつくのがいいです。
そして、個人の顔が見えて、ナマの声が聞こえるってことでしょうか。あまり客観的な書き方だと疎遠な気がします。告白っぽいのも中身によりますけれど、なんか教えてやろうという雰囲気のものよりは、よっぽどいいと思いました。
自分だけの楽しみに書くのですが、きてくれるひとを不快にするようなものは、ダメだと思いました。
もちろん、これらは、私自分についてもいえることです。
自分が後で読んでも、刺激されるような、そういうブログを書いてみたいと思っています。思うことができれば、苦労はしません。二つが別物ってことは知っていますが、楽しみながら接近できればいいなぁと思います。
でも、追い込まれて書くって場合もあるんでしょうね。
ブログランキングがあります。あれに熱中すると危険だと思います。多くの人に見てもらいたいと思うのは、自然な気持ちなんですが、それを主な動機(もしくは楽しみ)にすると、視聴率に振り回されるTV局状態になるんじゃないでしょうか。
少し前に、ブロガーの死が話題になりました。あれは、組織や集団があってはじめてできる情報提供(量的にも質的にも高いもの)を個人でやろうとして、過労死するってケースでしたね。
そういうブログのプロとしてやるのは、問題外。

個人ブログの楽しみってなんだろうってことを考えてみたのです。
書くほうは、まずは、なにをやっても楽しいのです。でも、少し時間がたつと飽きてきます。コメントがないとか、見てもらう機会が少ないとかが気になりだします。自分のなかに、ブログ更新の動機があれば、そんなことは気に留めずに、ドンドン書くことになりますが、見てくれている人を無視するのなら、なんのために発表しているかわからなくなります。自分用のノートという機能でもいいですが、それだけではさびしい。
私は、ブログの楽しみは、(まったく知らない人との出会いを除けば)「刺激」だと思いました。
他の人のブログを見に行って、いいなぁと思うのは、「お!」とかいう刺激です。「なんだこれ?」とか、「きれいだなぁ」とか、いう感嘆符がつくのがいいです。
そして、個人の顔が見えて、ナマの声が聞こえるってことでしょうか。あまり客観的な書き方だと疎遠な気がします。告白っぽいのも中身によりますけれど、なんか教えてやろうという雰囲気のものよりは、よっぽどいいと思いました。
自分だけの楽しみに書くのですが、きてくれるひとを不快にするようなものは、ダメだと思いました。
もちろん、これらは、私自分についてもいえることです。
自分が後で読んでも、刺激されるような、そういうブログを書いてみたいと思っています。思うことができれば、苦労はしません。二つが別物ってことは知っていますが、楽しみながら接近できればいいなぁと思います。
横尾忠則 『コブナ少年』 ― 2008/06/01
杉浦日向子 『合葬』(ちくま文庫) ― 2008/06/01

杉浦日向子さんのマンガには、切なさがにじむような江戸物があると同時に、より痛切な憤りを感じるようなものがありますね。
彰義隊を扱った『合葬』は、その最たるものです。
ご本人は、静かな口調でつぎのように書いています。そして、それがすべてを物語るように思います。
文庫の表紙は、タイトルにあわせるように黒を基調としています。
読み終わったとき、10代の若者たちの運命を思い、ため息がもれてきます。「江戸=旧弊もしくは封建的遺物、明治=文明開化」という維新政府の図式とは、まったく別の歴史観がここにあります。
彰義隊を扱った『合葬』は、その最たるものです。
ご本人は、静かな口調でつぎのように書いています。そして、それがすべてを物語るように思います。
江戸の風俗万般が葬り去られる瞬間の情景が少しでも画面にあらわれていたら、どんなに良いだろうと思います。
文庫の表紙は、タイトルにあわせるように黒を基調としています。
読み終わったとき、10代の若者たちの運命を思い、ため息がもれてきます。「江戸=旧弊もしくは封建的遺物、明治=文明開化」という維新政府の図式とは、まったく別の歴史観がここにあります。
黒ネコとSHIN-ICHI FUKUDA『JONGO』と森茉莉と ― 2008/06/02

福田新一さんのギターとピアソラが3曲楽しめるCDが、『JONGO』(VICP-228)。もちろん、14曲あるので、ピアソラだけではなけれど、一番気に入ったのは、タンゴ「ブエノスアイレスの冬」。
このCDの表紙に黒ネコがいる。このネコがいるので、つい買ってしまったのだけど、買ってほんとうによかったと思っている。
昨日、森茉莉『私の美の世界』(新潮文庫)から、適当に気に入りそうな文章を選んで読んでいた。「なんか、ちがうなぁ」と思わないこともなかったけれど、二つの文章は気に入った。ひとつは、「悪魔と黒猫」。もうひとつは、「室生犀星の死」である。
そもそも、福田新一さんのCDを取り出して聞き始めたのは、この文章を読んだからに他ならない。
「悪魔と黒猫」はつぎのように結ばれている。
私も昔からネコを人とかわらない気持ちで飼っていて、しかも、その最後を看取ったこともあるので、ぐっとくるものがある。
他方「室生犀星の死」は、最後まで癌であることを告知しないまま迎えるものとなっていた。
締めくくるりの文章は、つぎのように書かれている。
私も母を癌でなくしている。それが判明してから、数ヶ月におよぶ病院生活をともにすごした。
森茉莉の死に向かい合う二つの文章に強く共感するものを感じたということである。
このCDの表紙に黒ネコがいる。このネコがいるので、つい買ってしまったのだけど、買ってほんとうによかったと思っている。
昨日、森茉莉『私の美の世界』(新潮文庫)から、適当に気に入りそうな文章を選んで読んでいた。「なんか、ちがうなぁ」と思わないこともなかったけれど、二つの文章は気に入った。ひとつは、「悪魔と黒猫」。もうひとつは、「室生犀星の死」である。
そもそも、福田新一さんのCDを取り出して聞き始めたのは、この文章を読んだからに他ならない。
「悪魔と黒猫」はつぎのように結ばれている。
死ぬ日の午後、寝台の下から私を見て、一声啼いたお前の声は今でも私の胸を掻きむしる。それは母親の死んだ時の記憶よりも切ない。何故ならお前は自分が猫であることも知らず、死というものも知らずにいて、そのために幸福だった。それが最後の日になって、やっぱり何かを感じたらしかったからだ・・・。
私も昔からネコを人とかわらない気持ちで飼っていて、しかも、その最後を看取ったこともあるので、ぐっとくるものがある。
他方「室生犀星の死」は、最後まで癌であることを告知しないまま迎えるものとなっていた。
締めくくるりの文章は、つぎのように書かれている。
仕方がない。と、マリは想った。敬愛している犀星のために、犀星の一生の最終を、人々に目にものを見せる絶筆を書かせて、光り輝くものにしたかったとしても、それは出来なかったのだ。死と、がっちり噛み合って、燃えながら死ぬ犀星を、人々に見せてやりたかった、なぞといったって、もう何もかもが終わったのだ。
犀星は死んだ。せめて、最後の荒い呼吸づかいに、禿鷹の死の、烈しい羽音を、聴かせて。
私も母を癌でなくしている。それが判明してから、数ヶ月におよぶ病院生活をともにすごした。
森茉莉の死に向かい合う二つの文章に強く共感するものを感じたということである。
ドクダミとムラサキカタバミ ― 2008/06/02

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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