お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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夕照庵でお抹茶を2008/09/25

夕照庵でお抹茶を
降るといわれてなかなか降らない雨のように
解散総選挙の日程がゆれている。
秋の一日は、政治と無関係に穏やか。
それでも、どこか緊張をはらみながら過ぎる。

いつもより後にずれこんだ昼休み。
外は小雨が降りだしている。
肩の張りが強くてけだるい。
健康保持のウォーキングに行く気になれない。

疲れがたまったときに、
ふと気が抜けるなにかがほしくなる。
それってなんだろう?
睡眠不足は食うことと見つけたり」と
だれかが言っていた。
それを信じたばかりに、現在よりも10kg近く
太ってしまった。
(重要注:今はもどっています)
睡眠不足は寝るに限るのだ。

ふと先日のことを思い出す。
疲れすぎていると、休みの過ごし方が難しい。
じっと寝ているのが体にはいいのだけれど、
なにかむなしくて、充実した一日にしたいと願う。
それで、近場の『葛飾北斎展』へ。

違った空間に誘われて、刺激を受けた分だけ、
疲労が増した気がした。
近くの高校からテニスの音が聞こえ、
芝生では、子どもたちと家族連れのにぎやかな声がする。
いつもは元気モノのカミさんの足どりが重く感じられる。



看板に誘われるようにして、夕照庵に入る。
ここならゆったり出来るかもしれないと・・・。



座敷でいただきたかったのだけれど、上がることができないのだ。



しかたなく、20人ばかりの部屋で
黒塗りの細長いテーブルにならんで、抹茶をいただく。



疲れはとれないけれど、周りの世界から切り離された
独自の時間を過ごせた気がした。

スローペースで、澤地久枝『火はわが胸中にあり』を2008/09/25

西南戦争「記念碑」は「竹橋事件」から2年後に建立
一気に読める本とそうではない本が、
(当然のことですが)あります。
それは、人によって違うはずです。

明治11年の「竹橋事件」を描いた
澤地久枝『火はわが胸中にあり』は、
なかなか読みすすむことができません。
ようやく半分ぐらいです。
眠くなる時間に読み始めていることも
ありますけれど、読んでは考えるって
こともしばしばなのです。

話の進み具合は、緩やかで、
その細目がどういう意味かわからないまま。
ですから、ときにわずらわしくさえ思えます。
伏線があまりないこともその理由かも知れません。

半分きても、まだ蜂起の日にたどり着いていません。
こういう軍事行動に詳しくない私が読んでも、
企てをすすめる兵の動きの稚拙さが目に付きます。
そういう時代だったのでしょう。
それでも、徴兵制度が施行され、西南戦争を戦い、
勝利した自分たちに誇りをもつ一方、
不平等な賞罰と郷里の家族の辛酸ぶりに
蜂起を企てることに、納得できることばかり。

そして、それを打ち砕いた先に、絶対服従の
天皇の軍隊が見えてくるのもわかります。

読むほどに暗闇が深くなり、
その闇に、義挙を企てる兵たちがはまっていく
姿が予想されます。

そう、ひとつ頭をかすめたことがあります。
それは、大津にある西南戦争の碑のことです。
(上の写真)

私は、この碑を、西南戦争に勝った印、
それをやり遂げるために戦死した将兵を
顕彰するものだと思っていました。
いま、この本を読むと、そう単純には思えません。
近衛砲兵大隊、東京鎮台予備砲兵第一大隊、
近衛歩兵第二連隊の兵たちがいだいた不満は、
きっと大阪鎮台大津営所の兵士も共通にいだいたはず。
西南戦争が終わるのが明治10年の秋。
「竹橋事件」は、明治11年8月23日。
大津市に、巨大な「記念碑」が建ち、盛大な祝典が
開かれるのは、おなじ明治11年8月のことです。
兵士たちの不満をなだめる意図がなかったとは
いえない気がします。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)